第27話 もう一度事件と向き合うために
話の途中で美羽子は目を丸くして声を上げた。
「ちょっ、ちょっと待って! どういうことっ……!?」
驚くのも無理はない。
それほど滅茶苦茶なことを話しているという自覚が哲矢にはあった。
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夜もそれなりに遅い時間。
哲矢はリビングのソファーに座って洋助と美羽子が帰ってくるのを待っていた。
その間、考えることは山ほどあった。
おかげで気持ちは大分落ち着いていた。
これから言おうとしていることは一時の気の迷いではないということを再確認する。
心の底に蓋をしてあった感情。
今まで目を背けてきたものだ。
それを解き放った今、哲矢の気持ちはとてもスッキリとしていた。
ガチャッ。
玄関のドアが開く音が聞こえる。
すると、すぐに洋助と美羽子の話し声が聞こえてきた。
「あれ~っ? 洋介さぁん。電気ついてますよぉ~」
「……お、おおっ、哲矢君? まだ起きていたんだ」
「おかえりなさい」
リビングへと入ってきた二人を哲矢は出迎える。
彼らからはほんのりとした酒の匂いがした。
羽衣駅前の繁華街まで出て大人の付き合いでもしてきたのだろうか。
美羽子は気持ちよさそうに足元をふらつかせ、洋助は彼女を支えるようにして付き添っていた。
(こんなタイミングで言ってしまってもいいのか?)
一瞬躊躇する哲矢だったが、今しかその機会がないことに気づく。
この瞬間を逃したら、次はもう明日の朝だ。
逸る気持ちが哲矢の背中を後押しする。
「……すみませんがちょっといいですか? お二人にお話があるんです」
「ん? どうしたんだい?」
「実は……」
哲矢は意を決すると、自分の正直な今の気持ちを洋助と美羽子に打ち明けるのだった。
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話を聞き終えた洋助は神妙な顔つきのまま押し黙っていた。
「…………」
その表情は、哲矢が初めて目にするとても険しいものであった。
美羽子はというと、アルコールも吹き飛んだように顔を青ざめさせていた。
哲矢はキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、それをグラスに注いで美羽子へと渡す。
一瞬のうちにして彼女はそれを飲み干した。
やがて、冷静さを取り戻したのか。
「もう一度、ちゃんと説明して」と低い声で要求してくる。
そこには苛立ちの感情も若干含まれているように哲矢には感じられた。
相手の感情を逆なですることが分かっていながら、哲矢は改めて同じ言葉を繰り返した。
「調査報告書は提出できません」
「それは分かったから。なんで……? あれほど言ったじゃない。なんでもいいから感じたことを書いてくれたらいいって。それだけで十分なのよ?」
「はい。それも分かってます。でも、書けないんです」
「どうしてっ!?」
美羽子が勢いよくテーブルを叩く。
哲矢はその挙動から目を離さずに彼女の顔を直視していた。
「み、美羽子君ッ! ちょっと落ち着きなさい」
興奮する美羽子を洋助は手で制すると、哲矢に向けて質問を投げかける。
「哲矢君。なぜ書けないのか。その理由を教えてくれないか?」
「はい……」
哲矢は素直に自分の気持ちを口にした。
今まで将人が起こした事件について真剣に考えてこなかったこと。
適当に終わらせて早く地元へ帰ろうと考えていたこと。
だから、自分には調査報告書を書く資格がないのだということ。
その話を聞いている間、美羽子はあからさまに哲矢から顔を逸らしていた。
対して洋助は哲矢の目を真っ直ぐに見つめながら話を聞いていた。
そして、一度大きく頷くと優しくこう語りかける。
「まず、君の言ってることは決して間違ったことじゃないって分かってほしいんだ。哲矢君。君は普通に生活を送っていた一人の高校生に過ぎない。だから、今回の件に関して負い目を感じる必要なんて一切ないってことを分かってくれ」
「はい」
「正直ね。僕らも哲矢君に少年調査官の仕事を完璧にこなしてほしいと思っていたわけじゃないんだ。難しい事件だしね。学園生活に慣れるだけでも苦労しただろうと思う」
「…………」
「だから、その過程で哲矢君が体験したことや感じたことをそのまま報告書に書いてくれたらそれだけで僕らは満足なんだ。事件の全容がどうだったとか、そういった真相が明かされることを僕らは別に求めていない。美羽子君もそれが言いたかっただけなんだよ」
「分かっています。それでも、俺は……書けないんです」
「何か事情があるのかい?」
「はい……」
「できれば教えてくれないか」
洋助はいつもの微笑みを宿しながらそう口にする。
「…………」
その瞳は信頼できそうに思えた。
息を深く吸い込むと、哲矢はこれまで隠してきた己の本音を一気に吐き出すのだった。
「……俺は今回の少年調査官の任務を通じてなにか自分を変えることができるんじゃないかっていう淡い期待を持ってこの街へとやって来ました。でも、そのことに気づかないふりをしていたんです。適当に終わらせてさっさと帰ろうって、事件と真剣に向き合おうともしなかった」
「けど……さっき報告書を書く段階になってようやく思い出したんです。自分がどういう気持ちでこの街へやって来たのかということを。だから、もう一度最初からきちんとやり直したいんです」
「俺はバカでした。地元の高校では周りとヘンに距離を取ったりして、正直あまり上手くいってなくて、そんな性格の自分が嫌いで……。今回の件は自分を変える大きなチャンスだって内心ではそう思っていたはずなのに。俺はそれを棒に振ったんです」
「哲矢君……」
「わがままを言っているのは重々承知しています。でも、この機会を逃したら俺はもう二度と自分を変えることができないような気がするんですっ。お願いします! もう一度、俺に事件と真剣に向き合う機会をくださいっ!」
青臭い台詞を口にしているという自覚はあった。
だが、これは紛れもない哲矢の本音であった。
話に耳を傾けていた洋助は無言のまま口に手を当てる。
もちろん、彼は分かっているはずだ。
哲矢が言う自分を変える大きなチャンスとは、思春期特有の根拠のない思い込みに過ぎないということに。
だが、それでも洋助は哲矢の言葉を否定することはなかった。
「……つまり、改めて事件と向き合えば自分を変えることができるかもしれない、と。そのために今はまだ調査報告書が書けないんだね?」
「そうです」
「…………」
「この通りです、お願いしますっ!」
哲矢は洋助と美羽子に対して深々と頭を下げる。
嫌われるだろうと思った。
見損なわれるだろうとも思った。
それでも、哲矢は一歩も引かなかった。
歯を食い縛って彼らに対して頭を下げ続けるのだった。




