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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
26/421

第26話 決意

 コン、コン。


 部屋のドアが突然ノックされる。

 哲矢は驚きのあまりなぜか調査報告書を慌てて隠してしまった。


「は、はいっ!?」


 洋助だろうか? 

 もしくは美羽子が何か伝えにやって来たのだろうか?


 しかし、彼らは仕事のために宿舎を出て家庭裁判庁へと向かったはずである。

 あれから結構な時間が経っている。

 ということは、選択肢は自然と一つに絞られた。


 どうしてだろう、と哲矢は思う。

 なぜかその選択肢が真っ先に浮かんでこなかったのだ。


 コン、コン。


 ノックは苛立たしげにもう一度繰り返された。


「……メイだな?」


 哲矢がそう口にするとノックが止まった。


 椅子から立ち上がって部屋のドアを開く。

 そこには鋭い目つきでこちらを睨みつけるメイが立っていた。


「遅い」


 彼女はそう言い放つと、ずかずかと中へ上がり込んでくる。

 メイの方からこれほど積極的にアクションを起こしてくるのはこれが初めてのことではないだろうか、と哲矢は思った。


「なんだよ。なにか用か?」


 なんでもない風を装いながらも内心では哲矢はドキドキと緊張していた。


 彼女は当たり前のようにベッドへ腰を下ろす。

 脚を組むと、哲矢を鋭い目で再び睨みつけた。


「書いたの?」

 

 もちろん調査報告書のことを言っているのだろう。

 けれど、なぜメイがそんなことを気にするのか。

 哲矢には分からなかった。

 

「そりゃ書くだろ。そのためにわざわざここまで来たんだからさ」


「見せて」

 

 メイが手を差し伸べてくる。

 その目は真剣だ。


 しかし、未だに哲矢にはこの状況が理解できなかった。

 率直にその疑問をぶつける。


「ちょっと待て。なんでお前に見せなきゃならないんだ」


「だって、補佐役は私でしょ? 私にだってあんたがなにを書いたか知る権利くらいあるわ」


「補佐役って言ったって……特になにかしたわけじゃないじゃないか。それに見てどうする? 添削でもしてくれるのか?」


「なにムキになってるのよ」


「そりゃ……」


 哲矢は後ろ手で隠してある用紙を一瞬握り締める。

 これ以上強く握ればくしゃくしゃになってしまいそうであった。


 メイは脚を組み替えると、室内を見渡し始めた。

 これといって特徴のない殺風景な部屋だ。

 何が珍しいのか、メイは一つ一つ品定めするように目を向けていく。


 やがて、ふぅ……とため息を吐くとこう短く口にするのだった。


「35点ね」


「は?」


「点数よ」


「だからなんの」


「ねぇ、もう少し居る気はないの?」


 言葉のキャッチボールをするつもりは初めからないらしい。

 哲矢はぐっと堪えてその言葉の意味について考える。

 

(どういう意味だ? なぜそんなことを訊く?)


 哲矢が言葉の意味を図りかねていると、メイはまたもや話題を別のところへと飛ばした。

 

「私の部屋はもっとキレイに整理されているわ」


 確かにこの部屋は色々と散らかってはいるが、それは帰省の準備をしていたからだ。

 だが、そのように反論することにも疲れ、哲矢はメイの話の続きを待った。


 暫しの間を置いた後、彼女はどことなく浮足立った様子でこう言った。


「もう少しここに留まるようなら、整理の仕方くらい教えてあげてもいいけど……」


「…………」


 こういう言い方しかできないのだろうか。

 不器用すぎてどこからつっこめばいいのか分からない。


「それはなんだ。暗に俺に残れと誘っているのか?」


「ま、早い話そういうことね」


「なぜ?」


「だから、報告書を見せてって言ってるの」


「なんの関係が……」


「ああ、もう!! いいからつべこべ言わずに見せなさいよっ!」


「おわぁ!?」


 メイが突然飛びかかってくる。

 彼女から逃れようと負けじと奮起する哲矢であったが、どういうわけかこういう時の彼女の腕力は尋常ではなかった。


(で、でたらめだっ……!)


 そうこうして揉み合っているうちに、あっさりと調査報告書を奪い取られてしまう。


 それを速読するメイ。

 左から右へ目を運ぶスピードが異常なくらい速い。

 哲矢が何か口出しをする前に彼女はそれを一気に読み終えてしまう。


 そして、低く「やっぱね」と呟くのだった。

 なぜかスマートフォンの壁紙を覗き込まれた時以上の羞恥心を感じた。

 哲矢は大声で訴える。


「一体なんなんだよ!? いきなり部屋へ上がり込んできて、勝手に人の報告書を読んで……。プライバシーの侵害だぞっ!」


 メイはそれには応じずベッドに再び腰をかけると、用紙を高く掲げながらこう口にする。


「あんたはなにも感じなかったの?」


「……っ、だからなにが!」


「イクタマサトのこと」


「そこに書いてあるだろっ!」


「そうじゃなくて。本音が訊きたいの」


「本音って……」


 今のメイには不思議な目力があった。

 相手が女子だということも忘れて哲矢は思わず後退ってしまう。


「本気でここに書かれているようなことを考えているの?」


「ああ」


「嘘ね」


「嘘じゃない!」


「だったら、なんでそんなに動揺しているわけ?」


「……ッ……」


 ここまでくると完全にメイのペースだった。


(言い包められてるぞ……)


 けれど、彼女の指摘が的確であることもまた事実だ。

 そこに書かれている内容は自分の本音とすべてが一致するわけではない、と哲矢は思う。

 メイはそれを一瞬のうちにして見抜いたのだ。

 

 だが――。

 だからどうしたというのだ、と哲矢は開き直る。

 そのことがメイとどう関係があるというのか。

 

 昨日まではろくに言葉も交わしたことがなかったような間柄だ。

 そしてそれは哲矢にとってとても慣れ親しんだ関係でもあった。


 所詮は他人なのだ。


 今までだってそうやって他者と壁を作って生きてきた。

 将人の将来を案じる必要なんてこれっぽっちもない。

 義理もないし、ましてやこれは義務でもなんでもない。


(俺は早くこんな面倒ごとは終わらせて地元に帰りたいだけなんだ)


 しかし、何かが心を引っかき回している。

 『ここで諦めたらふりだしに戻ってしまう』という声が微かに聞こえるような気がする。

 とても気持ちの悪い感覚が今哲矢の中には存在していた。


 押し黙る哲矢に対してメイは静かに続ける。

 

「昨日、私はあんたのことを『怖かったから逃げてきた』って言ったわよね? あれは……半分当てずっぽうだった。確信はなかったの。今でもそう。あんたが本当はなにを考えているのか私には分からない」

 

 これまでにないくらいメイは饒舌だった。

 哲矢は黙って彼女の話に耳を傾ける。


「初日に登校してみてすぐに分かったわ。私には無理だって。こんな中で事件の真相なんて追えるわけがないって。そっちも辛そうに見えた。それでも、あんたは毎日学園に通い続けた。そんな姿が少し羨ましかったのかもしれないわね。だからあの時、あんな言葉を言ってしまったのかも……」


「…………」


「そんな気持ちのまま、さっきあの男と会って……。ついムキになってあいつに言葉をぶつけたまではよかったんだけど、その後に続く言葉が出てこなかったの。頭に思い浮かぶのはどれも説得力のないものばかり。それで私は自問したの。『この3日間、私は本気でイクタマサトのことを考えてきたんだろうか』って。首を縦に振れない自分がいたわ」


「メイ……」


 哲矢は驚いていた。

 彼女と考えていることがまったく同じだったからだ。


 本気で将人のことを考えていただろうか?

 そのために自分は何か行動を起こしただろうか?


 どちらの問いに対しても素直に頷くことができなかった。


 当初の目的を忘れ、自分が楽になる道ばかりを選ぼうとしていたような気がする。

 だから、調査報告書に書かれている内容は自分の本心であると胸を張って言えないのだ。


 掲げていた用紙をメイは返却してくる。


「あとの判断はあんたに任せるわ」


 それを黙って哲矢は受け取った。

 その一瞬、彼女の寂しそうな顔が垣間見えたような気がした。


 部屋から出て行こうとするメイの後ろ姿が残像のように哲矢の視界に映る。


(ダメだ……。俺は応えることができない。そういう性格なんだ。今さら変えられない)


 一人では……と、哲矢は思う。

 そう思った瞬間、突然昼間の花の言葉が脳裏に甦ってきた。


 『なにか必要なら私も一緒に手伝います!』

                         

 一緒に……?

 それは哲矢がまったく考えもしなかった発想であった。


 一緒なら何かが変わるのだろうか。

 一緒なら事件の真相に迫ることができるというのだろうか。


(分からない……)


 だが、一人よりは可能性があるような気がした。

 それは、ほんのささやかな期待で……。


 浮かれてしまったと言ってもいいかもしれない、と哲矢は思った。

 一緒に手伝うと言ってくれる者が自分の近くにいたという事実に。


(まだメイのことは全然分からない。けど……)


 そこまで自分と考えが離れているようには思えなかった。

 いや、むしろ似ているのだ。


(これはチャンスなのかもしれない)


 ここでこの機会を手離せば、次にそれがいつ巡ってくるかは分からなかった。


(……でも、本当にいいのか?)


 十分待ったような気もするし、まだ待ち足りないような気もした。

 

 焦燥した顔で引き留める昼間の花の姿が哲矢の脳裏をかすめる。


 『将人君は無実なんです。あんなことをするような人じゃ……絶対にないんですッ!』


 確かに花はそう口にした。


 彼女は将人が無実であると強く信じている。

 誰かに脅されてありもしない罪を認めていると信じているのだ。


(それで俺のことをあの男を救い出す正義のヒーローかなにかと勘違いしている)

 

 バカバカしい……と。

 これまでならそう吐き捨てていたことだろう、と哲矢は思った。


 けれど、今なら分かった。

 彼女も同じなのだ。

 友達をただ救いたいだけなのだ。


(そうか……。俺は川崎さんに自分を重ねていたのか。だから、見ていられなくて……昼間は逃げ出してしまったんだ)


 あの時の自分は【彼】を救えなかった。

 でも今なら……。

 間に合うかもしれない、と哲矢は思った。


 ここで何もせずに帰ってしまったら、絶対に後悔するような気がした。


(まだ間に合う……。そうだ。今度こそ救えるかもしれないんだ!)


 そう思った瞬間、哲矢は直感的に言葉を走らせた。

 

「……だ、だったらッ!! もう一度事件を真剣に追ってみないかっ!?」


「…………」


「一緒ならきっとそれができるような気がするんだ!」


 メイは黙ったまま部屋のドアノブに手をかけて動きを止めていた。


 哲矢にとってこれほどはっきりと自分の思いを他者へぶつけたのは生まれて初めてのことであった。

 1秒が永遠に引き伸ばされたような感覚を抱く。

 嫌な汗が頬を伝って落ちる。


 その零れた一滴の中に大切だった親友の顔が一瞬浮かんだような気がした。




 ◇




 幕切れはなんとも呆気ないものであった。

 メイはゆっくり哲矢の方を振り返ると「保留」とだけ短く答えてから部屋を出ていってしまう。

 あとには殺風景な室内に哲矢だけが残された。


 今、哲矢の手には調査報告書が握られている。

 それに目を落としながら『これには真実が書かれていない』と哲矢は思う。


「もう一度、本気でやり直す……」


 誰もいない部屋に向かって一人で呟く。

 そうしてみると、なぜか実感が湧いてくるから不思議であった。


「一緒なら……か」


 この選択が正しかったのか、哲矢には分からなかった。

 だけど……と、哲矢は思う。


「はは……なんか楽しそうだな」


 哲矢は小さく笑った。

 そして、手にした用紙を丸めてゴミ箱へと放り投げる。


 その瞬間、自分の殻が壊れる音を哲矢は確かに耳にするのであった。

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