第256話 メイサイド-19
ガシャンッ!!
突如、密閉式のドアが大きな音を立てて開く。
キャスターチェアから勢いよく立ち上がった彩夏が寒川を押しのけてスタジオになだれ込んできたのだ。
彼女は他の者には一切目もくれず一直線にメイのところまでやって来ると、「テメーっ華音と中井をどこに隠したんだよっ!」と、怒声を上げながらブロンドの髪を乱暴に引っ張り上げる。
「うぅぐ!?」
身に覚えのない言いがかりに疑問を抱くよりもまず先に、メイは頭部に電流のように走る激痛と戦わなければならなかった。
手を剝がそうと必死に抵抗を試みるメイであったが、さすがに一派を率いているリーダーだけあって、彩夏は相手の弱みをよく熟知しているようであった。
「ぃたぁぁいぃぃっーー!!」
メイは、自分でも信じられないほどの絶叫を上げながら、引き千切られるような思いで振り回され、そのまま勢いよく円状のテーブルへと投げ出されてしまう。
「た、高島さんっ!?」
さすがにこの光景には翠たちも畏怖の念を抱かざるを得なかったのか。
メイを気にかける声を上げつつも、三人とも一様に顔を引き攣らせたまま固まってしまっていた。
「……ぐぉっ……げほッ……っ……」
「オラっ! 寝てんじゃねぞぉ!! この女ッ……!」
拘束された体を丸めてメイは苦しそうにうずくまる。
彩夏はそんなメイに目がけて小麦色に焼けた健脚を振り抜くと、それは見事に脇腹へヒットするのだった。
「お゛、あ゛……ッ!!」
キックボクサー顔負けの無慈悲な一撃だ。
急所を捉えたその一蹴りにメイは苦悶の表情を浮かべながら無様に胃液を吐瀉して床でのた打ち回る。
それを見下ろすような恰好となった彩夏は少し平静を取り戻したのか。
「……ま、いっか。どの道、テメーらが考えたことは失敗したわけだし」と、意味深な言葉を残して隣り部屋へと戻っていく。
去り際、メイの瞳には、彩夏が高く掲げるICレコーダーが人の住まなくなった廃家に残るぼろぼろのカレンダーのように未練たらしくいつまでも残像として残るのであった。
「……おえ゛ぇ゛っ……んぐぅ……ッ……」
丁寧にも密閉式のドアをきちんと閉めて彩夏がスタジオから出て行ってしまうと、翠は自分の体が拘束されていることも忘れてしまったかのように、ジタバタともがきながら呼吸を乱すメイに必死で声をかける。
「高島さん!! 大丈夫ッ!?」
野庭と小菅ヶ谷も固唾を呑んで二人の様子を見守っていた。
「……げほっ、はぁ、はァ……あぅ゛、はぁッ……」
途切れかけた意識をメイは寸前のところで保つと、なんとか息を整えて無事をアピールするように翠たちに向けて手を挙げる。
この程度の痛みは、将人の証言が奪われたことに比べればどうということはなかった。
ケーブルが体に食い込んで節々が痛んだが、メイは上半身をどうにか起き上がらせると、掛け時計に再び目をやる。
(13時45分……)
予定通りに事が運んでいるとすれば、哲矢が利奈と合流を果たしている頃であった。
まだ、花の演説まで大分余裕があると言えたが、八方塞がりの状況であることには変わりなかった。
翠のスマートフォンは奪われてしまっているし、ICレコーダーも手元にはない。
何よりも拘束されて身動きが取れないのだ。
けれど、メイの目はまだ死んでいなかった。
(――っ、絶対に、奪い返すッ……)
その強い思いが通じたのか。
この後、メイたちの元に哲矢によって用意された約束のシナリオが届くのであった。
◇
「……あれ? どうしたんだろ……」
異変に真っ先に気づいたのは翠だ。
野庭と小菅ヶ谷も翠に倣うように副調整室へ目を向ける。
メイも顔を上げて窓に視線を移すと、そこには焦燥し切った表情で廊下の方を何度か指さし、必死で彩夏に何かを訴えかける寒川の姿があった。
よくよく覗けば、放送室のドアは開け放たれている。
防音壁のためか彼らが話している内容はスタジオまで届かなかったが、窓越しから見る分には副調整室の空気が劇的に変わり始めていることにメイは気がつく。
その始終を初めから見ていた翠は、何か違和感に気づいたようにボソッと声を漏らした。
「二宮君がいない」
「ニノ、ミヤ……?」
「う、うん……。外で見張りをしてるって思ってたんだけど……」
翠は不思議そうに副調整室の方を覗き見ていた。
(……それが、あの女たちが……動揺してる、原因……?)
薄々相手の側で何が起こっているのかをメイは理解し始める。
すると、ちょうどそのタイミングで腕を組んで話を聞いていた彩夏が行動に出る。
彼女は寒川に手で合図を送ると、一緒に放送室の外へ出ようとするのだったが……。
彩夏たちが廊下に踏み出すよりも早く、その前方を立ち塞がる者が突如現れる。
その姿が窓越しからちょうど覗き見えた。
「っ……!?」
思わずメイは驚きの声を上げてしまう。
そこには、メイのよく知る人物が立っていたのだ。
ベージュのスーツに身を包んだその者は彩夏と寒川の行く手を塞いでいた。
メイは、その者がこの場所にいる必然性について瞬時に理解する。
むしろ、なぜ今までこのことを忘れてしまっていたのか、メイは自身に問い質したかった。
(……ミワコッ……!)
寒川は反射的に彩夏の前に立つと、美羽子と向き合うように対峙の構えを取る。
後ろ姿からでも、彼が獲物を姑息に狙う獰猛な狩人のように残酷な表情を浮かべているのがメイには分かった。
すぐさま頭の中で警鐘が鳴り響く。
それ以上その男を近づかせてはいけない、と。
「だ……めッ……!」
メイは予見してしまった悲惨な未来を必死で否定するように、拘束された体の限界に挑み、窓枠に何度か体当たりを試みて美羽子に合図を送ろうとする。
しかし、彼女の視線が副調整室の奥にある小さな窓ガラスに向くことはなかった。
それどころか、美羽子の瞳はどこか虚ろで焦点が定まっていないようにメイには見えた。
普段と明らかに様子が違う。
まるで、熱にでもうなされたかのように美羽子は突然ドアに縋るようにして片手をつけると、辛そうに肩で息をし始める。
よく見れば、ベージュのスーツは疲労困憊したように皺だらけで、ストッキングの所々は破けてしまっていた。
顔や脚の辺りにいくつかの擦り傷が確認できる。
どれも今朝会った時には無かったものだ。
もしかすると、見張りをしていたという二宮と交戦したのかもしれない、とメイはとっさに思った。
普通の大人の女性が高校生の男子と真剣に殴り合いをして勝てる可能性は低い。
きっと、ぎりぎりの状態で美羽子は二宮を振り切ったに違いなかった。
とすれば、彼女に体力が残されているはずもなく……。
「――っ、ミワコぉッ!! 逃げてぇぇっ!!」
声が届かないと分かっていながらも、メイは声を張り上げずにはいられなかった。
それは、スタジオにいる三人を驚かせてしまうほどの大声であったが、構うことなくメイは懸命に声を上げ続ける。
すると、振動が伝わったのだろう。
その場で苦しそうに俯いていた美羽子が一瞬スタジオの中に目を向ける。
だが、その瞳からはいつもの凛々しい輝きは消え失せてしまっていた。
彼女は苦悶の表情を隠すことなく浮かべる。
美羽子が限界の状態にあることは誰の目にも明らかであった。




