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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
251/421

第251話 哲矢サイド-55

 結局、自分は何もできないのだ。

 そのように事実を突きつけられたようで、哲矢の中に一気に無力感が込み上げてくる。


 けれど、ある引っかかりを覚えている自分に気づくと、哲矢は気を紛らわせるように全容の推測を進めていく。

 それは先ほどの男たちの何気ない会話の中にあった。

 

(御大……)


 新しく現れた方の警備員が口にした言葉。

 そこに哲矢は引っかかりを覚えていた。


 そして、すぐに哲矢は自分がそれをどこで聞いたかを思い出す。


 それは昨日の朝。

 洋助と共に職員室を訪ねた時のこと。


 その者が〝御大〟と呼ばれているところを哲矢はたまたま耳にしていた。

 突如、煙草で黄ばんだ歯茎とげらげらと下品に笑うしゃがれた声が脳裏にフラッシュバックする。


(清川ッ……あいつだ!)


 警備員の男たちが〝御大〟と称して呼んでいたのは彼で間違いない、と哲矢は思った。


 『御大に目をつけられたのが運の尽き』

 

 先ほど警備員の男はそうはっきりと口にしていた。

 つまり、哲矢と利奈を捕らえるように命じたのは清川ということになる。


 その事実が分かると、パズルのピースが一つずつ埋まっていく感覚があった。


 昨日、清川はドスの利かせた声で『後悔はないと考えてよろしいかな?』と最後通告にも似た台詞を口にしていた。

 これまでは社家が独自の理由に則って個人的に行動していると哲矢は考えていたが、警備員の男の発言により、実はその裏に清川も絡んでいることが証明された。


 これなら色々と合点がいく、と哲矢は思う。

 清川が後ろに控えているのだとすれば、社家が利奈に接近しても他の教師が何も言わなかったことも納得できた。


 この学園の実質のトップは清川で間違いない。

 だからこそ、教師は誰も歯向かえないのである。


 清川が敵である以上、宝野学園全体が敵であると考えた方が自然だ。


「……っ……」


 改めて自分たちが相手にしているものの巨大さを知り、哲矢はゾッとする。

 並大抵の決意では弾き返されてしまうに違いなかった。

  

 こうなってくると、時間内に会場へ間に合わなかったことが尚更悔やまれた。

 今ならば、花の代わりにスピーチする内容がいくつも浮かんだ。

 しかし、それはあとの祭りである。


 体育館は目と鼻の先にあるにもかかわらず、哲矢にはやはりどうすることもできない。


(畜生っ……)


 館内の様子はどうなっているのだろうか、と急に不安が込み上げてくる。

 応援者が到着しなかった今、花の立場は非常に危ういものとなっているに違いなかった。


 選管委員の上には当然教師がいる。

 おそらく花の演説は認められないことだろう、と哲矢は思う。


 清川や社家はそれが分かっていて、警備員の男たちや華音、中井を哲矢たちの元へ送ったのである。

 少しでも時間を稼ぐために。


(……そうか。やっぱりそうなんだ……)


 その結論が行き着く先は、メイや翠たちの身がやはり危険であるという解答にほかならなかった。


 美羽子が駆けつけたとはいえ、危ないことには変わりない。

 文化棟と体育館裏に警備員がいたということは、そのほかの場所にも彼らが配置されている可能性があることを示していた。


 ふと、木に吊るされて気を失っている利奈に目がいく。

 その負い目が哲矢に焦りを蓄積させていく。


 ロープを解こうと何度ももがく哲矢であったが、逆に動けば動くほど体にダメージが加わる。


「くそっ……!」


 今日何度この思いを味わったことだろうか。

 無力感を抱えたまま、それでも哲矢は仲間の無事を願わずにはいられなかった。


(みんな、無事でいてくれっ……)


 哲矢は一度、視線を前方へと戻す。

 警備員の男たちは教室棟の方面へ向けて歩みを進めているようであった。


 彼らの背中が見えなくなるまで哲矢はその姿を目で追っていた。

 だからだろう、哲矢は空間に生じる小さな変化にすぐ気づくことができた。


(……っ、あれは……)


 それは、この八方塞がりの状況に不満を溜めてきた哲矢の思いを代弁するかのように、舞台に一筋の切れ目を入れる。


(マーロー!!)


 変化に気づいているのは哲矢だけのようだ。

 談笑しながら歩く警備員の男たちは、前方から高速で向かって来ているものの存在に気づく様子がない。


 環境の厳しいサバンナで狩りを続けるチーターの如く、それは足音を消して確実に男たちの元へ駆け寄ってきていた。


 すでに照準を定められているとも知らず、警備員の二人は前方から迫りつつある脅威にまるで気づくことなく、呑気に話に夢中となっているようだ。

 

 その油断が命取りとなる。

 彼らが異変を察知する頃には事はすでに手遅れとなっていた。


「――うがぁッ!?」


 最初に遠くから聞こえてきたのはそんな間抜けな呻き声であった。

 果敢なゴールデンレトリバーは、一方の男の肩に勢いよく飛びかかって押し倒すと、瞬時にその者の戦意を喪失させる。


「うあぁぁあっ!」


 次に聞こえてきたのは、もう片方の警備員の絶叫であった。

 男は地面に尻もちをつくと、リアリティの欠けた情景を震えながら直視する。


 きっと、あまりに突然の出来ごとだったため、腰を抜かしてしまったのだろう。

 先ほどまで放っていた威圧感は完全に消え去っていた。

 

 そんな一連の出来ごとを傍から眺めていた哲矢は、背後から新たな男の声が聞こえることに気がつく。

 だが、今回は不思議と恐怖は感じない。

 むしろ、聞き覚えのあるそれに哲矢は安堵した。


「……風祭さんっ!?」


「大丈夫かい、哲矢君っ!」


 後ろから声をかけてきたのは洋助であった。


「じっとして!」


 彼は短くそう口にすると、ツールナイフを使って手際よく哲矢を縛り上げているロープを切断する。

 その後も哲矢が助けを求める必要もなく、洋助は向かいの木に吊るされていた利奈の身も素早く解放するのであった。


 それからすぐにマーローが走って洋助の元へ駆け寄ってくる。


「よぉ~し、よくやったね」


 洋助が手招きすると、その勇敢なゴールデンレトリバーは誇らしげに顔を上げ、「くぉぉ~~ん」と短く鳴く。


 一方で警備員たちはというと、肩にタックルを食らった方の男はそれで気を失ったのか、天を仰ぎ地面に寝そべったままであった。

 だが、腰を抜かしていた男の方はなんとか意識を保ったようだ。


 彼はやっとの思いで立ち上がると、恐々とした面持ちで哲矢たちの方へ視線を向けてくる。


「ワオォォォォンッッ!!」


 そこでマーローが威嚇するように大きな声で吠えると、その男は「ヒッ……」と短く悲鳴を残し、一目散にその場から離れていくのであった。

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