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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
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第25話 心の声

 三人は無事に羽衣市へと戻ってくる。

 その頃になると辺りはすっかり真っ暗となっていた。


 宿舎の周りには近くに家庭裁判庁があるだけで他に目立った建造物がない。

 コンビニやスーパーどころか、住宅さえも存在しない。

 あるのは放置された広大な土地とそこを悠然とした顔で走るモノレールだけだ。

 

 その昔、この辺りは在日米軍の空軍基地があったらしい。

 美羽子からその話を聞くまではどうしたらこんな壮大な景観ができ上がるのか不思議でならなかった。


 今ではこの何もない中にぽつんと現れる家庭裁判庁の白いシルエットを哲矢はとても気に入っていた。


(……だけど、明日でこの光景を見るのも終わりなんだな)


 「先に中に入っていて」と口にする美羽子に促される形で車庫の前で降りると、哲矢は家庭裁判庁の荘厳な外観を目に焼きつけながらメイと一緒に宿舎へと戻る。

 

玄関を開けるとさっそく洋助が出迎えてくれた。


「ああ、二人ともおかえり」


「ただいま帰りました」


「暁の鑑別局は遠かったでしょ?」


「はい。こっちを出たのが多分14時過ぎくらいだったと思うので、往復で結構かかりましたね」


「それはお疲れさま。少し休むといいよ。それで……あれ? 美羽子君は?」


 そう洋助が口にした瞬間、再び玄関のドアが開いた。


「ただいま戻りました~♪」


「あっ美羽子君。お疲れのところ申しわけないんだけど、この後庁舎に顔出せるかい? 例の恐喝窃盗の少年の生活史について確認したい点があるんだけど」


「わ、分かりましたっ! すぐに準備します!」


 大人は大変だ。

 美羽子はバタバタと何やら慌ただしく準備をしてから再び外へと出かけていった。


「関内く~んっ! 報告書よろしくね~!」


「はーい。分かってますー」


 去り際にも忘れずに忠告してくる辺りはさすがと言ったところか。

 メイは報告書と聞いても特に反応を示すことなく、リビングから2階へと上がっていく。


「メイ君っ~! 夕食は食べるよね?」


 1階から洋助がそう声をかけるも、あとに聞こえてくるのはバタンという部屋のドアが閉まる音だけであった。


「いいのかな。美羽子君からはメイ君の分だけ夕食の用意をしておいてほしいって連絡されてたんだけどなぁ……」


 洋助が困惑したように首を傾げる。

 キッチンからは美味しそうな匂いが漂ってきていた。


「俺があとでもう一度声をかけてみますよ」


「そう? 悪いね。じゃあ僕もまだ仕事が残っているから一度庁舎に顔を出してきます。帰りはもしかしたら遅くなるかもだから、報告書を書いたら今日は先に寝てもらっても大丈夫だから。なにか夜食がいるなら急いで作るけど」


「いえ、大丈夫です。さっきラーメン食べてもうお腹いっぱいなんです」


 洋助は笑顔で頷くと美羽子の後を追うようにして外へ出かけていった。


 本当にできた人だ、と哲矢は思う。

 最初洋助のことを哲矢は苦手だと感じたわけだが、それは子供っぽい防衛心が働いただけのことであった。


 そんな彼の好意を無下にする態度を取ったメイに哲矢は反感を覚える。


(もう少しまともな態度を取れないのかよ)


 後でメイの部屋を訪ねてみるか。

 哲矢は一度2階に目を向けてから自分の部屋へと入っていく。




 ◇




 学習机には一枚の用紙が置かれていた。

 調査報告書だ。

 ここにこの3日間宝野学園で過ごしてきて感じたことをまとめて書き込む必要がある。


 『なんでもいいから感じたことをここに書いて。大人には分からないものをあなたたちは感じ取ることができると思うから』


 初日に調査報告書を渡された時、美羽子はそう口にしていた。

 けれど、同世代である哲矢にも正直将人の気持ちは理解できなかった。

 

(いや……難しく考えるんじゃない)


 事件を起こした少年の生活を体験してみてどう思ったのか。

 単純にそれを書けばいいのだ。


 将人がクロだと思ったのだからそう書けばいい。

 頭ではそう思う。

 けれど――。


「…………」


 体は言うことをなかなか聞いてくれなかった。

 椅子に座って用紙と向き合っても、手にしたボールペンがまったく動かないのだ。


「……くそっ」


 そのうち手が震えてくる。

 それもそのはずだ。

 哲矢のこの反応は至極真っ当と言えた。


 この調査報告書は将人の審判に大きな影響を与える。

 哲矢は高校生でありながら、人一人の人生を大きく左右しようとしていた。

 それでも、気づかないふりをして自分自身に言い聞かせる。


(どうしたんだ。面倒ごとは早く済ませるってそう思っていただろ)


 その時、哲矢は誤ってボールペンを床に落としてしまう。


「……ったく、なにやってんだ。なに緊張してんだよ、俺は」


 ただの作文だ。

 何も恐れることはない。

 こんなものちゃちゃっと書いて、明日にはこの地ともおさらばして、また元の日常へ戻ればいいじゃないか。


 地元の高校だって何日も休んでいるのだ。

 あの日、大型の封筒さえ自宅に届かなければ、今頃こんなところには居なかった。

 平凡で退屈な日々を送っていたはずなのだ。


 そもそも自分には荷が重かったのだ、と哲矢は思う。


(早く終わらせて帰るべきだ……)











<<変わりたいと思ってるのに?>>       











「――っ!?」

 

 哲矢は身を乗り出して辺りを見回す。

 何か言葉が聞こえたような気がしたのだ。

だが部屋には誰もいない。


 ……分かっていたことだ。

 それは自分の内側から湧いて出た言葉なのだから。

 

(変わりたい? この俺が?)


 哲矢は頭を大きく振って一度学習机から離れてストレッチをする。


(バカらしい。早く書いて終わらせよう)


 5分くらいストレッチをして体を解すと、今度はボールペンがすらすらと走った。

 何も躊躇うことなく3日間のうちで感じたことを紙に書き記していく。


 途中で一度読み返してみると、それが上辺をなぞるようにしか書かれていない内容の薄いものであることがすぐに分かった。

 本当は不気味な宝野学園の実情についても触れたかったのだが、今朝の社家の言葉が甦ってなぜかそれを記すことができなかったのだ。


 別に彼を怖がっているとか、そういうことではない。

 面倒ごとに発展するのが嫌だったのである。

 

 社家にとってあれはリスクある発言であったと同時に宝野学園の教師を代表しての言葉であったはずだ。

 危険を冒してまで首を突っ込んできたということは、彼が警鐘を鳴らす『調子に乗ったこと』を書き込めば、今後全面的に宝野学園と衝突する恐れがあった。

 そんなのは御免だ、と哲矢は思う。

 

 誰かと点数を競っているわけではない。

 家庭裁判庁としては、少年調査官に選ばれた者が調査報告書を書いたという客観的な事実がただほしいだけのことなのだろう。


(こんなレポート……まったく意味はないんだ)


 ならばそちらが望む結論を書いてやる、と哲矢は心に強く決める。


 すると、ボールペンは走って止まらなくなった。

 それから30分もかからないで哲矢は調査報告書を書き終えてしまうのだった。




 ◇

 



「……終わった」


 これでこの地で自分を縛るものは何一つなくなった、と哲矢は思う。

 自由の身だ。


 むしろ、感謝されたい気分であった。

 わざわざこんなところにまでやって来たのだから。

 だが――。











<<本当にこれでいいのか?>>











 何かが引っかかって哲矢はもう一度調査報告書を見返す。

 特に問題があるようには思えなかった。











<<これは彼の人生を左右する大事なものなんだぞ?>>











 彼の人生?

 それが一体何だというのだ。


「……こんなものっ……!」


 哲矢はその一枚の用紙を両手で持ち、天井にかざしてみる。

 文字がくっきりと透けて見えた。

 その先に自身の本音も隠れているように哲矢には思えるのであった。

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