第240話 哲矢サイド-48 / 哲矢と利奈 その4
「後戻りのできないところまで来てしまって、ようやく私はそのことに気づいたよ」
「……どういうことだ?」
「川崎さんからのLIKEを社家に見せたら……教室に入谷さんの仲間を送るって、そう怒鳴ったの。〝浅はかな考えは潰してやる。お前はその間生徒会室から絶対に出るな〟って、すごい剣幕で……。そんな社家の顔は今まで見たことがなかったから。私、急に怖くなって……」
「言われた通り、昼休みが終わってからはこの部屋にずっといるつもりだったけど、どうしてもいても立ってもいられなくなって……それで廊下に出た時、たまたま宿舎にいた女の人を見かけたの」
「なるほど、そういうことだったのか」
「最初、こんなところにいるなんて想像もしてなかったからすごく驚いたよ。けど、すぐに〝これは運命だ〟って思った。ここで本当のことを話さなきゃ、私はきっと後悔するって。私はこうなるまで自分が一体なにをしてきたのか、事の重大さに気づいてなかったんだ」
利奈はそこまで口にすると、目を瞑って眉間に力を込める。
もしかすると、数分前の場面がフラッシュバックしたのかもしれない。
(…………)
哲矢は何も言うことができなかった。
ただ、彼女の言葉が紡がれるのをじっと待つしかなかった。
それから暫しの間黙ったままであった利奈は目頭を軽く押さえると、自らの十字架と向き合うようにゆっくりと続きを口にし始める。
「頭の中が急に真っ白になるのが分かったわ。それで、今まで経験したことのない恐怖を感じてる自分がいたの。ちょっと困らせてやりたいって、最初はそんな気持ちだったから……。本当に怖かった。だって、社家があんなこと言い出すなんて……」
「……ううん、違う。多分、私は分かってた。でも、見て見ぬふりをしてたの。洗いざらい彼に報告してたらどんなことになるか。結果は分かってたはずなのに……。本当にごめんなさい……。すべて私が――」
深々と頭を下げて、苦しそうに言葉を絞り続ける利奈のその言葉を哲矢は寸前のところで遮る。
「いや、もういい」
これ以上、彼女の悲痛な懺悔を聞いていられなかったのだ。
「もういいんだ。十分に伝わったよ。ありがとう」
「なん、で……? ありがとうなんて感謝、言われる筋合い……全然ないのに……」
「だって、すべて打ち明けてくれただろ? それだけでもう十分だ」
「……ぅく、ぅうぅっ……ぅっ……」
「もう自分を責めるな、鶴間」
「――――っ、うわあああぁぁぁぁぁっっ!!」
そこで利奈は、嗚咽交じりの大声を上げながらその場に膝から崩れ落ちてしまう。
大粒の涙を床に零しながら、彼女はまるで赤子のように泣きじゃくった。
そんな光景を見守りながら哲矢は思う。
確かに、利奈の取った行動は間違ったものだったのかもしれない。
本来ならば、もっときつく追及されて然るべきなのだろう。
だが、哲矢にはそれはできなかった。
決して偽善を気取っているわけではない。
同じ思春期に生きる者だからこそ、その敏感な感性に共感せざるを得ないのだ。
また、人のことは言えないという思いもあった。
(俺たちも一緒なんだよ、鶴間……)
結局、哲矢たちがやろうとしていることも、手順や見せ方が異なるだけで同じなのである。
10代とは未熟さと後悔の連続なのだ。
肩を大きく震わせて泣きじゃくる利奈の姿を見つめながら、哲矢はそのことを痛感するのだった。
(それに……)
悪いことだらけというわけでもない、と哲矢は思う。
彼女の告白のお陰で社家がどのような考えを持っているのかが分かったのだ。
それはかなり大きな収穫と言えた。
哲矢はそこで一息吐くと、今度こそ椅子から立ち上がることに成功する。
そして、そのまま利奈の前にしゃがみ込むと、そっと彼女の肩に触れながらこう口にした。
この瞬間、この場所で言わなければならない言葉があった。
「今は反省してるんだよな。そうじゃなきゃ、俺をこの部屋へ入れたりはしなかったはず。あと、ここまで赤裸々にすべてを話したりはしない」
「似たもの同士なんだよ、俺たちは。だから、俺には鶴間を責めることはできない。きっと花も同じ気持ちだと思う。大切なのは過去になにがあったかじゃなくて、これからどうするかじゃないか?」
哲矢が静かにそう口ににすると、微かに利奈の表情が動く。
それで、哲矢は躊躇していた台詞を口にする決心がついた。
「今からでも一緒に体育館へ行こう。ステージに上がって、そこですべてを話すんだ」
握り締めたスピーチ原稿にも自然と力が入る。
しかし――。
「……っ、ぅっ……」
その言葉に利奈は嗚咽を混じらせ黙ったままであった。
ひょっとすると、自分にそんな資格はないと考えているのかもしれない。
手で涙を拭いながら思い詰めたように下を向く彼女の仕草を見ていると、そんな思いが哲矢に伝わってくる。
もちろん、無理にステージに上がってもスピーチすることは難しいはずだ。
ましてや、用意された原稿を読むだけとなれば己の感情は入り辛いことだろう、と哲矢は思う。
それに社家からの妨害も予想された。
(でも……)
けれど、それでも哲矢は、利奈にはステージの上に立ってありのままを話す責任があると感じていた。
裏切られたからそう思っているわけではない。
この先利奈が後悔をしないために、そうしてほしいと哲矢は強く思っているのだ。
ここで一歩踏み出すことがどれだけ大切なことか、そのことを哲矢は痛いほど理解していた。
哲矢は優しい口調でもう一度続ける。
「……俺は、ここの生徒じゃない。でも、一週間この学園に通って、この場所がとても好きになったんだ。だから、このままじゃいけないって……なおさら強くそう思う」
その言葉を聞いても、やはり利奈は何も答えない。
もちろん、哲矢にも分かっていた。
自分がどれほど偽善に満ちた台詞を口にしているかということを。
以前の自分なら〝たった一週間しかいないのに、なに恥ずかしいこと言ってるんだ?〟と笑い飛ばしていたことだろう、と哲矢は思う。
けれど、今の哲矢には、それは心の奥底から出てきた言葉だという自信があった。
(たった一週間じゃないんだ)
時間の問題ではない。
どれだけこの学園の生活を大切に感じたか。
それが重要だということに哲矢は今さらながら気づく。
だから、続く言葉はすぐに出てきた。
「自分の無力さは俺たちが一番よく知っている。誰かの手を借りなきゃ成し遂げられないって。だから、助けが必要なんだ。もし本当に後悔してくれてるのなら……俺たちに力を貸してほしい。ありのままをステージの上で打ち明けてほしい」
「……っ……」
「お願いだ、鶴間。君の力が必要なんだよ!」
そこで利奈はハッと息を呑む。
やがて、彼女は自身の中でせめぎ合っていた思いとようやく決別をするように、震え混じりに声を発した。
「……こんな私を、許して……くれるってこと……?」
「俺は……いや、俺たちは。鶴間のことを〝仲間〟だってそう思ってるから」
「う……そ……なんで……。どうして、そんな……ぅぅっ……!」
再び堤防が決壊するように、利奈は声を噛み殺して泣き始めてしまう。
けれど、今度のそれは後悔や悲しみから来るものではないことに哲矢は気づいていた。
その証拠に哲矢の手は利奈の柔らかな両手に包まれている。
いつしか波もおさまり……。
利奈は自分と向き合うように何度か強く頷くと、いつもの凛とした表情を浮かべながらゆっくりとその場から立ち上がった。
「――関内君、行こう」
「ああ」
その言葉が二人の決着となった。
哲矢は腕時計に目を落とす。
時刻は14時過ぎを指していた。
ここから全速力で体育館まで向かえば、花の応援演説の時間にはぎりぎり間に合うかといったところだ。
「よっしゃ! 走るぜ!」
「う、うんっ……」
哲矢は利奈の手を取って廊下へと飛び出す。
一瞬、3階の様子が気になって階段に目を向けるも、美羽子を信じて哲矢はその場を後にした。
いつの間にか、全身の痛みを哲矢は綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
握る手の平からは、利奈の決意がじんわりと伝わってくる。
「もっと速く走れっ!」
「わ、分かった……」
哲矢はさらに脚を加速させて、体育館への道を急ぐのであった。




