第24話 少年登場
「もう二人とも子供じゃないんだからさぁ~」
哲矢とメイは美羽子に呆れられていた。
近くで帯同している職員の女の目も一層厳しいものとなる。
「本当にすみませんでした……」
彼女にも深々と頭を下げる。
(これじゃ、こっちが収容されているみたいだ)
一方でメイはというと、先ほどから口を固く閉ざしてそっぽを向いていた。
本当にこういうところはまだ子供だ、と哲矢は思う。
(まあでも、元を辿れば俺が悪いんだからなにも言えないけど……)
哲矢たちは揃って面会室へと移動していた。
運動の時間を終えた将人がそろそろやって来るというのだ。
室内が緊張感で張り巡らされていく。
哲矢とメイは美羽子の後ろに隠れるような形でパイプ椅子に腰をかけていた。
椅子を軋ませ、左右に落ち着きなく動き、哲矢は緊張感を紛らわそうとする。
「うっさい」
メイがジト目で睨みつけてくる。
それで哲矢も大人しくせざるを得なくなった。
それからすぐに面会室のドアが開いた。
男性教官に連れられた一人の少年がそこから姿を現す。
アシンメトリーに切り揃えたミディアムカットの銀髪。
日本人離れした端正な顔つき。
色白の肌に中肉中背の体型。
生田将人だ……と、哲矢はすぐに思った。
実物の彼は、写真で見た時よりも幾分覇気が無いように感じられた。
「…………」
将人は前髪の間から伏し目がちな瞳を覗かせて、先に座っていた哲矢たち三人を見渡す。
その一瞬、彼の眉が釣り上がるのを哲矢は見逃さなかった。
男性教官に座るよう命じられ、将人はテーブルを挟んだ向かいのパイプ椅子に腰をかける。
将人が座ると、タイミングを見計らったように美羽子が話し始めた。
「お久しぶりです。調査官の藤沢です。今日は面会に伺いました」
美羽子は業務用の笑顔を浮かべながら、名刺をテーブルの上に置く。
「…………」
その動作を一瞥した将人は髪を手でくしゃくしゃと弄る。
きっと癖なのだろう。
彼は美羽子の話を聞きながら、何度もその動作を重ねた。
「……というわけで面倒でしょうけど、また一から質問させていただきます」
「前に貰いました」
彼はテーブルの上に置かれた名刺をゆっくりと美羽子へ戻す。
「えっ?」
驚いたように美羽子は将人の顔を見返した。
「男性と来た時に……」
「ああ……そうね。でも、これはなんていうか……形式的なものだから。気にしないでください」
「…………」
美羽子は返された名刺をテーブルの隅に移動させる。
その仕草を将人は黙って見つめていた。
果たして目の前の男は言われたことを本当に理解しているのだろうか。
そんな一抹の不安が哲矢の脳裏に過る。
一方で隣りに座るメイはというと、前かがみとなって将人の挙動を一心に観察していた。
とても珍しい態度だ。
「……それでは、これからいくつか質問をしたいと思います」
美羽子はトートバッグから一枚の紙をテーブルに取り出すと、ボールペンでそこに日付を書き込んでいく。
「その前に……」
将人は、哲矢とメイの顔を覗くように交互に見つめると、美羽子に向かってこう問いかけた。
「その人たちは……誰ですか?」
当然の疑問だろう、と哲矢は思った。
見たこともない同世代の若者が二人、黙って後ろで座っているのだ。
気にするなというのが無理な話だろう。
だが、正体を明かすわけにはいかないと言われている。
事件を起こした少年に余計な詮索をさせないため、少年調査官のことは伏せておく必要があるのだ。
彼の問いに対して美羽子はしれっと嘘を吐いた。
「この子たちは社会科見学の一環で連れてきた学生です。許可も取ってますので気にしないで下さい」
「…………」
訝しげな視線が飛んでくる。
社会科見学と言うわりには二人とも制服を着ていない。
特にメイに至ってはパーカーにジャージといったラフすぎる格好をしている。
将人が怪訝に思ったとしても不思議ではない。
しかし、さすがは家庭裁判庁の調査官と言ったところか。
この件に関しては美羽子の方が一枚上手であった。
彼女は嘘を吐き通し、何でもない顔で話し続ける。
「では始めます。分からなければ分からないと素直に答えてください」
「また質問ですか……」
将人は不健康そうな細い腕をだらっとぶら下げて宙を見上げる。
そして、あくびを一つした。
まるで、すぐに充電切れを起こす電気自動車のようだ。
美羽子はふぅとひと息吐くと、彼が話す気になるのをじっと待った。
もしかすると、こういうことはこれまでにもよくあったことなのかもしれない。
情緒不安定。
変わった少年。
それが哲矢の将人に対する第一印象となった。
これまでは、文面の上でしか知らなかった存在。
彼が犯罪を行ったことも半信半疑であったが、実際に本人と会ってみると納得できた。
(川崎さん。悪いけど君の予想は多分外れているよ)
美羽子はひと通り彼を好きなようにさせてから続きを話し始めた。
「あなたの名前を教えてください」
「……それくらい分かっているでしょう?」
「質問です。ちゃんと答えてください」
「…………生田……」
「フルネームで」
「将人……」
「年齢は?」
「……17……いや、18か。なったばかりです」
「住んでる場所は?」
「百草市程久保8-×-26」
将人は美羽子の後ろの存在が気になるのか、チラチラと遠慮がちな視線を哲矢とメイに向ける。
その仕草は怯える小動物のようでもあった。
「ご家族は?」
美羽子が四つ目の質問を投げかける。
「…………」
するとそこで将人の口が止まった。
美羽子は真剣な表情を崩さずに彼の顔を見つめ続ける。
やがて、将人は口元に半月の哀しそうな笑みを浮かべるとこう答えた。
「……いません」
なんとも残酷な質問だな、と哲矢は思った。
もちろん、美羽子もいじわるでそう訊ねたわけではないということは分かる。
だが、もう少し聞き方を変えてもよかったのではないか、と哲矢には思えてしまった。
面会室は悲痛な沈黙で包まれる。
少し離れた場所でメモを取っている職員の女も、ドアを守るようにして座っている男性教官も、同時に咳払いをしてしまうほどの居心地の悪さがあった。
その均衡を破ったのは……。
「――ッ、あんた!!」
突然そう大声を上げながらパイプ椅子から立ち上がるメイであった。
彼女はそのまま美羽子の前に出ると、テーブルを思いっきり手で叩きつける。
「ちょ、ちょっとメイちゃんっ……!?」
美羽子の制止も無視し、彼女は将人を睨みつけながらこう口にした。
「どうしてそんなこと言うの!? あんたのお母さんまだ生きているんでしょっ!?」
「…………」
「ねえどうしてよ! 答えてッ!!」
今にも掴みかかりそうな勢いでメイが将人に詰め寄る。
しかし、それでも彼が口を開くことはなかった。
「あんたッ……あんたは……!」
「メイちゃんやめなさいッ!!」
そんな二人の間に美羽子が強引に割って入る。
哲矢は初めて彼女が本気で怒鳴るところを目撃した。
「……っ!」
メイは薄く下唇を噛むと、煮え切らない表情でもう一度将人に目を向ける。
彼は生気を欠落させた顔でメイのことを見つめ返していた。
おそらく彼女の想いは将人に届いていない、と哲矢は思う。
その歯痒さは傍で見ている哲矢にはよく理解できた。
再び何か言おうとして乗り出すメイを哲矢は手で制して首を横に振る。
もう何も言わない方がいい、そういうポーズのつもりだった。
さすがに彼女もこれ以上何か言ったところで無駄だと悟ったのか、諦めたようにパイプ椅子に座り直す。
「ごめんなさいね。彼女も悪気があったわけじゃないの」
「いえ……」
「それじゃ、質問に戻るわね」
こうして将人への質疑応答は再開された。
(…………)
そんな光景を見ながら哲矢は思う。
なぜ突然メイは将人に食ってかかったのか、と。
父を病気で亡くし、生まれて間もない頃に母と生き別れた彼が『家族はいない』と答えたところで特別不思議なことではない。
それにどうして伯母夫婦についての言及よりも先にメイの口から母親の名前が挙がったのか。
『家族はいない』と言ったことを責めるのなら、まず伯母夫婦の名前が挙がらなかったことを責めるべきなのではないか。
そもそもなぜ、彼の母親――セーナが今も健在であるとそう思えたのか。
疑問を挙げればきりがなかった。
哲矢はそっと隣りに座るメイの顔を覗き見る。
彼女は背中をパイプ椅子に深くつけたまま、あさっての方向へ視線を向けていた。
今彼女が何を考えているのか、哲矢には読めない。
先ほど待合室で抱いた親近感はいつの間にか消え失せ、哲矢は再びメイとの距離を感じていた。
それからいくつかの質問を経た後、美羽子は核心を突く問いを将人に投げかけた。
本当に四人のクラスメイトを襲ったのか、と。
それに対して将人はすんなりと首を縦に振った。
まるで、そのように振る舞うマニュアルが手元にあるかのように淡々と事件の詳細を肯定していく。
その受け応えはとてもリアリティに富んでいて、つけ入る隙は見当たらないように哲矢には思えた。
やがて、哲矢は将人の犯行を確信する。
彼が事件を起こしたに違いない……と。
真剣に耳を傾ける哲矢とは対照的に、メイはどこか遠い目をしながらその受け答えを他人ごとのように聞いているのであった。
◇
「お疲れさま。質問は以上で終わりです」
「…………」
すべてを答え終えた将人の顔には疲労の色が浮かんでいた。
まるで、先ほどのメイの発言がトリガーとなり、衰弱する呪いをかけられてしまったかのようにも見えた。
男性教官に促されて面会室を出る直前、将人は一度メイに視線を送る。
しかし、当の本人はそっぽを向いたままで、彼女がそれに気づくことはなかった。
将人が退室するのを見届けると、哲矢たちも部屋を後にした。
帰り際、美羽子はメイの愚行が初めからなかったかのように明るく暢気に振舞った。
アキュアの運転席に座ると、「お腹が空いたから帰りにどこかへ寄っていきましょう」と提案してくる。
メイからも反対の声が上がることはなかった。
「ラーメンとかどう?」
その言葉と共にアキュアは暁少年鑑別局の駐車場を発った。
行きと異なり帰りの車内はとても静かだった。
外の景色は橙黄色の煌きに覆われていた。
一番美しい時間帯である。
哲矢は後部席のシートに凭れながら、窓から差し込む夕陽に目を細めて思案していた。
これでひと通りの予定が終了したのだと。
その点に関しては安堵していた。
あとは宿舎に帰ってから調査報告書とやらを書かなければならない。
今回、少年調査官としてやって来た目的はそこにある。
正直、気が重い作業であったが、哲矢の気持ちは既に固まっていた。
(……生田将人はクロだ。川崎さんには悪いけどこれは間違いない)
そう決めてしまうと、心も自然と軽くなる。
それからしばらくすると、都道沿いにラーメン店の看板が見えてきた。
「ここにしましょう」と言って、美羽子はハンドルを切り、店の駐車場へと入っていく。
車も駐めてこれから降りようかという時。
メイは「私は待ってる」と短く告げ、背もたれに頭をつけて瞼を閉じた。
「お腹空いてないから」
いつも通りの低いテンションの彼女に戻っていた。
哲矢は何か言おうとするが続く言葉が浮かばない。
「分かったわ。それじゃちょっとだけ待っていてね。さ、関内君。行きましょう」
美羽子はドアを閉じると、哲矢をそこから強引に引き剥がした。
何か悶々とした気持ちを抱えたまま店の中へと入る。
まだ本格的な晩飯時ではないからなのか、人気がないからなのかは分からなかったが店内はガラガラであった。
哲矢は醤油ラーメンを単品で注文する。
腹が空いていたはずの哲矢だったが、運ばれてきたラーメンを見てもなぜか食欲は湧いてこなかった。
スープの表面に先ほど別れたばかりの将人の顔が一瞬薄っすらと映ったような錯覚を哲矢は抱くのだった。




