第239話 哲矢サイド-47 / 哲矢と利奈 その3
二人の間に不自然な沈黙が続く。
お互いが慎重に相手の出方を窺っているようであった。
だが、いつまでも悠長にこんなことは続けられない、と哲矢は思う。
時間が無いことは双方承知しているはずなのである。
ならば、この件に関して務めがある方が先に切り出すべきであった。
その瞬間、哲矢は利奈とはっきり目が合うのが分かる。
おそらく、それは彼女も負い目に感じていた部分だったのだろう。
心苦しく感じながらも、哲矢はその役目を利奈に委ねることにする。
「ふぅ……」
利奈は短く息を吐いてメガネの縁に手を触れると、今度は淡々とした口調で続きを口にし始める。
それは、結果的に哲矢の思いを汲み取った本心に迫る告白となるのであった。
「……私は、いつも関内君たちのことを監視してた。始業式から一週間ずっと。授業が終わってから後をつけたこともあった。大きな宿舎に住んでいて、そこでどういう生活を送っているのかも知ってるよ。だから、さっき女の人を見かけて分かったの。この人は関内君たちと一緒に生活してる大人だって」
「一昨日、シナモンの前にいたのもそうなんだ。偶然じゃなかった。あの日も途中から関内君たちの後をつけていた。声をかけられるように待ってたんだ。少しでも近づくきっかけがほしかったから……」
「でも、それは社家から命令されたからなんだろ?」
「……ううん、半分はそうじゃなかったよ。私は、自らの行いに川崎さんへの復讐心を重ねていたから……」
「復讐心?」
物騒な響きを持つ突然の名指しに、哲矢の声は尻すぼみしてしまう。
けれど、それと同時に妙に納得できる部分があることも確かであった。
(あれはそういうことだったのか)
一昨日、利奈の前に微妙な空気が流れていたことを思い出したのだ。
そんな哲矢の思いに気づいてか。
利奈は少しだけ自虐的に口を尖らせる。
「その後、川崎さんの方から内情を告白してくれたのは意外だったかな。本来なら、私の方から探りを入れるつもりだったから。でも、川崎さんはほとんど無警戒で自分たちがなにを考えてるのか、そのすべてを話してくれた。彼女は私のことを信じてくれたのに、私は……ごめんなさい……。私がそれを……」
利奈はそこで言葉を詰まらせてしまう。
しかし、先ほどのように泣いて取り乱したりするようなことはなかった。
ただ淡々と事実だけを口にする。
「私がそれを……社家に話してしまったの……」
「…………」
覚悟していたこととはいえいざ本人の口からそう宣言されると、それはそれで堪えるものがあった。
恐る恐る哲矢は言葉を振り絞る。
まだ、訊かなくてはならないことがあった。
「それじゃ……応援演説を引き受けるって言ってくれたのは……」
「……そう。初めから受けるつもりはなかった。関内君たちが考えてることを邪魔しようって思ってたから……」
さすがにこの本音には哲矢も唖然とするほかなかった。
単刀直入に言ってしまえば、最初から罠にかけるつもりで利奈は誘いを受けたのだ。
哲矢はくしゃくしゃに握り締めた原稿にさらに力を込める。
答えはもう出ていた。
この場に留まり続ける理由はもはや存在しない。
だというのに……。
「…………」
哲矢はなぜか椅子から立ち上がることができずにいた。
中井から受けた傷が痛むからではない。
原因はもっと別のところにあった。
(悲しそうな目……)
スタッキングテーブルに腰をつけたまま、身動き一つ取らずにいる目の前の彼女のことがどうしても気になるのだ。
そして、哲矢は彼女の中にはまだ決別しなければならない懺悔が残されていることを見抜く。
(まだ終わってないんだ)
その証拠に、利奈は声にならないくらいの小さな息を吐くと、まるで本物の醜さと対峙するかのようにゆっくりと言葉を絞り始める。
その名前を哲矢は知っていた。
(嫉妬だ)
それは、人が生きていく上で避けては通れないジレンマでもあった。
「……さっきも言ったけど、私は川崎さんに対して個人的な感情を抱いていた。それも自分でも目を背けたくなるほどの憎悪に満ちた感情を」
「私は……川崎さんが嫌いだった。生徒会に入って藤野さんとの時間は戻ったと思ったけど、実際はそうじゃなかった。藤野さんの視線の先にはいつも川崎さんの姿があったから。そこに私の姿は映ってなかった」
きちんと利奈と向き合うつもりであったが、赤裸々に語るその口ぶりから思っている以上に彼女の闇が深くて暗いことに哲矢は気づく。
それはどうしても譲れない一線だったのだろう。
だからこそ、そんな子供染みた嫉妬心だけで、社家に包み隠さずすべてを報告できてしまったのかもしれない。
「さっき、四時間目の終わりにLIKE貰った時もバカだなって思った。全部筒抜けなのに間抜けだって。でも……本当にバカだったのは私の方で……」
そこで利奈は薄く下唇を噛む。
おそらく、ここがこの話のハイライトなのだろう、と哲矢は彼女の仕草を見ながら思う。
後悔という言葉だけでは言い表せない複雑な表情を浮かべて利奈は続きを口にするのだった。




