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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
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第23話 メイとの秘密の共有

 暁少年鑑別局の外壁は全体が真っ白に塗装されていた。

 窓がいくつか並んでいて、中はカーテンで閉ざされて見えないようになっている。

 

 その外観を見て、哲矢は幼い頃に両親に連れられてよく行ったビールメーカーの工場が主催する大きな祭りのことを思い出していた。

 建物の雰囲気がそれとよく似ていたのだ。


「さあ、二人とも。着いたわ。降りましょう」


 美羽子の合図をきっかけに覚えてしりとりは一旦終了となる。

 三人で駐車場に降りると、そのまま建物の玄関口から中へと入った。


 すぐ右手に受付があった。

 その場にいた職員らしき中年の女に美羽子は来局した理由を伝える。

 すでに女とは知り合いであるらしく、彼女は慣れた手つきで美羽子に何やら用紙を差し出してきた。


 その時、哲矢はメイと一緒に女に顔を一瞥される。

 彼女は一瞬、不審そうな表情を浮かべ、美羽子に何か耳打ちをした。


「……いえ。この子たちは社会科見学の一環で連れてきただけです。よろしかったでしょうか?」


「なるほど……。そういうことでしたらどうぞ」


「また、お邪魔しますね」


 まだ公にできない制度というのも厄介なものだなと、哲矢はその様子を傍から見て感じるのであった。

 

 その後、哲矢たちは先導する職員の女の案内に従ってついて行く。


 建物内は照明が使用されていないため薄暗く、リノリウムが足にベタッと吸いついて歩き辛かった。

 築年数も相当経っているのだろう。

 至るところで傷みや汚れが目立った。


 そこには終焉へと飲み込まれる形成物の悲しい宿命が存在しているように哲矢の目には映った。

  

(……ん?)


 近くにグラウンドでもあるのだろうか。

 廊下を進んでいくうちに賑やかな声が聞こえてくる。


 窓から外の様子を覗くようにして歩いていると、いつの間にか隣りに並んで歩いていた職員の女が「運動の時間なんです」と小さく口にしてくる。


「そ、そうなんですねっ……!」

 

 突然話しかけられたことで哲矢は上擦った声を上げてしまう。

 その様子が可笑しかったのか。

 女は遠慮がちに微笑むと視線を戻して案内を続けるのだった。


 それからさらに奥へ進むと、『待合室』とプレートが掲げられた部屋の前に到着する。


「しばらくここで待っていて下さい。準備ができましたらお呼びしますから」


 職員の女は事務的な口調で淡々とそう口にすると、哲矢たちを部屋の中へ案内してからどこかへと消えていってしまう。

 

 待合室は四方をコンクリートに囲まれていた。

 光を取り入れる窓もなく、中は少し肌寒い。

 元々、少年を収容するために使用していた部屋だったのかもしれない。


 目の前には申し訳程度のソファーとテーブルが並べられていた。

 メイは真っ先にソファーへと腰をかける。


(ちっ。図々しい奴め……)

 

 そのまま黙って立っていると、美羽子に「なに突っ立っているの?」と怪訝そうに言われ、座るよう促された。


 仕方なくメイと向かいのソファーに腰を下ろす。

 思いのほか寄りかかると気持ちがよかった。


 美羽子はドアに背中を預けながら、壁に掛けられた時計を見ながら口にする。


「運動の時間があと少しで終わるらしいから。もう少し待ってね」


 時計は15時半を指していた。

 急に空腹感が襲ってくる。

 昼に訪れた喫茶店で何か軽いものでも食べるべきだったのかもしれない。 

 

 すると、その時――。


 突然、子供たちの陽気な歌声が室内に響き渡る。

 数年前に流行った小中学生による音楽ユニットの曲だ。

 着信音が鳴ったのだろう。


 美羽子は黒色のトートバッグの中からスマートフォンを取り出して電話に出ると、室内をうろうろと歩き始めた。

 電波状況が良くないのだろうか。

 彼女は人差し指で外を指さすと、ドアを開けて出て行ってしまった。

 

 後には静寂と哲矢とメイが残された。

 これがちょっとした悲劇(いや、喜劇)の幕開けとなった。

 



 ◇




 先ほどまでの車内であったような自然な空気は行方不明のまま。

 気まずい沈黙が二人の間に降り立っていた。


 メイは退屈そうにスマートフォンを弄っている。

 両手で持ちながら左右に振ったり指で弾いたりと意外と忙しそうだ。


「なにやってんだ?」


 ボーナスステージが続いていることを信じて、哲矢はダメ元でそう声をかけてみる。

 

「…………」


 当然、彼女からの返事はなかった。

 まぁ当然だよな、と哲矢は納得する。

 これこそが自分のよく知るメイの姿だ、と哲矢は思う。


 しかし……。

 ある疑念が哲矢の頭を過った。

 いつまでもこうして舐められっぱなしでいいのだろうか?


(……いや、よくない。このままじゃダメだ!)


 哲矢は意地になっていた。

今度はフレンドリーに声をかけてみる。


「あのさっ! なにやってんの? 俺にも教えてよ」


「――っさい黙れッ! 気が散る!」


 瞬殺だった。


(もうこれ怒ってもいいっすか……?)


 すると、哲矢の脳内にとさか頭の風貌をした神がパッと現れた。

 神は『身ぐるみ全部剥いでその小娘を八つ裂きにして食ってしまえェ~ッ!!』と地獄の釜を煮ながら親身に答えてくれた。


(いや、さすがにそこまではしないけど……)


 けれど、それで哲矢の心は決まった。

 ちょっとしたイジワルをすることにしたのだ。


「……なによ?」


 突然、哲矢はだらんと両手を前に伸ばすと、そのままメイに滲み寄っていく。


「……ちょ、ちょっと! それ以上近づくようなら殺すわよっ!」


 彼女はスマートフォンを高く掲げ、自分よりもそれを優先して守ろうとしていた。


(やっぱり……ならばっ!)

 

 哲矢は思い切ってそれに目がけて飛びかかることにした。


「おりゃ!」


「……っああぁッ~!?」


 気づくのが少し遅かったようだ。

 哲矢はメイのスマートフォンをがっちりと奪い取っていた。


「か、返せっ!」


 それを見て彼女が体ごと突進してくる。


「うおぉっ!?」


 その攻撃によろけ、スマートフォンを手離しそうになる哲矢であったが、寸前のところでなんとか堪えた。

 大事にそれを抱えると、部屋の隅へ逃げるように駆け込む。

 まるで、喧嘩する兄妹のようにここから簡単な鬼ごっこが始まった。


 哲矢は素早くソファーの死角に隠れると、スマートフォンの中身を覗こうと試みる。


「み、見るなーッ!!」


 その瞬間、怒りのかかと落としが哲矢の脳天に炸裂した。


「うぎゃああぁぁっ~~!」


 直にそれを受けた哲矢は床に転がり回る。

 メイの不意打ちにおののくも、まだスマートフォンは哲矢の手の内にあった。


(くっ……。い、今ならっ……!)


 画面をスワイプさせ、スマートフォンに光を灯す。


(残念だったな! 俺の勝ちだっッ!!)


 その瞬間、負けを確信したのだろう。


「うげぇ……」


 ソファーの上に乗ってその様子を覗き込んでいたメイが思わず諦めの息を漏らす。

 そして、パッと液晶に浮かび上がってきたのは……。


「は……?」


 筋骨隆々のハンサムな外国人が二人。

 ベッドの中で激しく抱き合っている画像であった。


 その下にはノベル式の英文テキストが表示されている。

 これは一体、どういうゲームだ……?


 哲矢は何事もなかったかのように笑顔でそれをメイに返却した。


「はははっ。悪りぃっ~。勝手に取っちまって!」


 もう笑うしか道は残されていなかった。

 忘れよう。

 

 けれど、恥部を晒された当の本人が簡単にこの件を忘れられるはずもなく……。

 頬を紅潮させたメイは、頭上から蒸気を発しながら呪文のような言葉を唱え始める。


「~~~~ッ!!」


 だが、何を言っているのかまるで分からない。

 哲矢に理解できたのは、自分の命は長くないだろうなということだけだ。


「……っ? う、うわぁっ!?」


 突如、タンブラーグラスが飛来する。 


 ガシャーンッ!!


 それは哲矢の顔の真横を通り過ぎて、壁に当たって砕け散った。


「……愚ッ!!」


 テーブルに残された二つのグラスを両手に持ったメイが赤い眼光を走らせながらじわじわと近寄ってくる。


「ま、待ってくれ……!! 誤解だっ!」


「人のスマホを勝手に奪っておいてなにが誤解か!」


 哲矢は慌てて逃れようとするが、この狭い部屋の中で隠れられるスペースなど今さら残っていなかった。

 まるで、瀕死の獲物に狙いを定めた獰猛なチーターのようだ。

 

 メイは目を据わらせたまま「どっちがいい?」と哲矢に投げかける。


「ど、どういうことでしょうか……?」


「どっちのグラスでやられたいかって、そう聞いてんのよ!!」


「ひっ!?」


 その目はマジだ。

 メイはタンブラーグラスを高く掲げる。

 

(おいおいっ……! 本気でやるつもりだぞッ!?)


 哲矢は、とさか神の声に従ってしまったことを後悔した。

 だが――。

 

「……ふんっ。まぁいいわ。これはやめてあげる」


 メイはそう口にすると、グラスをテーブルの上へと戻す。


(た、助かった……)


 そうホッとひと息吐いたのも束の間。

 彼女は、体を硬直させて動けないでいる哲矢のズボンのポケットを乱暴に弄ると、そこから強引にスマートフォンを引き抜く。


「……うおぅッ!? ちょ、ちょっとっッ!?」


「あんたも見たんだからそのお返し」


「ま、待ってく……うぎゃッ!?」


 鋭い回し蹴りが哲矢の腹部に命中する。

 あまりにも理不尽な行動だ。

 不敵な笑みを浮かべて見下ろすメイは、まるで小癪な悪代官そのものであった。


(終わった……)


 その瞬間、哲矢は人生の終わりを悟った。

 

 メイはスマートフォンを器用にスワイプさせ、ホーム画面を表示させる。

 そこに浮かび上がったのは――。


「……なにこれ」


 きらきらとしたアニメチックな絵柄の魔法少女の壁紙であった。

 普段はそんな壁紙にはしていないのだ、と哲矢は心の中で弁解する。

 ストレスだ。


「ストレスがこうさせたんだああぁぁっ~~~!!!」


 哲矢は叫んでいた。

 それは地球の裏側にまで届きそうなほどの叫び声で。


「…………」

 

 メイは沈黙を守ったまま、哲矢のスマートフォンを静かにテーブルの上に置く。

 その不気味な静寂が哲矢の寿命を1秒1秒確実に奪っていた。

 やがて、彼女は後ろ髪を優雅に払いながらこう口にする。


「へぇ~。こういうのが趣味なんだ」


 前髪から覗く大きな瞳には軽蔑の二文字が浮かんでいた。

 生きとして生けるものをすべて凍えさせてしまうかのような冷ややかな視線だった。


 ああ、俺の人生は終わった。

 そんな風に思う哲矢であったが……。

 

「ぷっ……」

 

 その時、突然、笑い声が聞こえてくる。


「……あはははっ!」

 

 メイが笑っていた。

 それも気持ちいいくらいに堂々と。


「高校生にもなってどんな壁紙してんのよ、あんたは」


「……い、いやっ! 知らないのか!? このアニメっ! 13年くらい前にこっちでめっちゃ流行ったんだぞ!! 最近じゃ外伝も制作されたくらいなんだぜっ!?」


「その頃いくつだと思ってんのよ。それにそんなのweeboの世界だけの話でしょ。熱く語られても知らないわよ、そんなの」


「そっちだってなんだよそれ! アメリカじゃ今そんなゲームが流行ってんのかっ!?」


「こ、これは……その……単なる趣味よっ! なんか文句あるわけッ!?」


 顔を赤らめたメイが再びグラスを手にして威嚇してくる。


「いや、ないです。はい」


「……ったく。なんか、どっと疲れたわ……」


「……はぁ、そうだな。不毛なやり取りはもうやめようぜ。どっちもどっちだ」


「そっちが始めたんでしょーが」


「そうだったな。悪りぃ」


「ほんとバカみたいね、私たち。笑えるわ」


「言えてる。すげーマヌケだ」

 

 何がそんなにおかしいのか、と哲矢は自分でも思う。

 それでも、哲矢はメイと向き合って笑い合っていた。

 それもごく自然に。


 秘密を共有したためだろうか。

 メイとの距離が少しだけ縮まったような気がしたのだ。


(意外と面白い奴だな)


 たった数分もしないうちに他者との関係はこうも変わるものなのだろうか。

 哲矢には分からなかった。

 

 けれど、今目の前にある彼女の微笑みは本物であるように思えた。

 その笑顔に哲矢は惹かれ始めていた。

 この先もずっとそれを見ていたい、と。

 

 そんなことを考えていると……。 


 バタンッ!


 突然、ドアが開いた。

 笑い合う二人の前に突如現実が突きつけられる。

 美羽子が戻ってきたのだろうかと思い、その方へ視線を向ける哲矢であったが、その予想は大きく外れることとなる。


「なっ……!?」


 そこには先ほどの職員の女が唖然とした表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 彼女の視線は、散らかった室内と割れたグラスに注がれている。


「あ、あの……これは……」


 弁解しようと試みる哲矢であったが、女の容赦ない追及の眼差しによってそれは遮断された。

 メイもしゅんと下を向いている。 


 やはり、本当に一番怖いのは大人がリアルに怒った瞬間であるようであった。

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