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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
228/421

第228話 哲矢サイド-36 / 哲矢と美羽子 その1

 ふと気づけば、哲矢の意識は混沌の溜まりの中にあった。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 思いを占めるのは自分がここにいる意味だ。


 突然、少年調査官に選ばれたとの封書が届き、見知らぬ土地で暮らし始めて、まったく面識のなかった他人のために命の危険を冒すことになってしまった。


 ここまで来た原動力が何であったのか、今の哲矢には分からなくなってしまっていた。


(……俺はなんのために殴られて、蹴られて、逃げ回って、死にそうになって……。それでも、まだこうしてこの場にいようとしてるんだ……?)


 制御できない感情の塊が膨れ上がっていくと、一瞬明滅する何かが哲矢の意識を捉える。

 それは、ひどく懐かしさを感じさせる光であった。


 とても遠いところに置き忘れてきてしまったようなそんな不思議な感覚がある。

 そして、哲矢は気がつく。


(そうか……)


 それは、かつて亡くしてしまった親友を悼むための光であるということに。


 俺は二度と同じ過ちを繰り返さないためにここまで頑張ってきたんだと、哲矢は忘れかけていた感情を思い出す。

 

 今度こそ大切なものを必ず守り抜く。

 かつて、自身が掲げた強固な意志に導かれるようにして、哲矢の意識は現実の淵へと舞い戻ってくる。


 すると、遠くの方から誰かの呼ぶ声が波に乗って聞こえてくるのが分かった。

 その声は力強く哲矢の名を叫んでいた。


「――関内君ッ!! しっかりしてッ!!」


 哲矢が腫れぼったい瞼を薄く開くと、そこには見知った人物が顔を埋めて、覆い被さるようにして涙を流していた。


(っ……)


 突如、先ほど感じた懐かしさとはまた違った別の温かな感情が甦ってくる。

 彼女は何度も何度も哲矢の名前を繰り返し叫び続けていた。


「……じさ……わ……ん……」


 辛うじて声は形となったようであった。

 ゆっくりと哲矢が手を挙げると、彼女はすぐさまそれを握り返してくる。


「関内君ッ!!」


「……ぁ……は……い」


「あぁ……」


 その者は安堵したように静かに息を吐くと、瞳に溜めた大粒の涙を落とす。

 温かな涙の雫が頬に当たるのを感じて、ようやく哲矢は目の前に誰がいるのかを理解する。


(藤……沢……さん……)

 

 それからしばらくの間は、ぼやけた意識を哲矢は落ち着かせる必要があった。

 震える波の輪が静かになるのを待ってから、哲矢は美羽子の支えを借りてなんとか上半身を起き上がらせる。


 当然、体の随所は酷く痛んだが、耐え切れないほどではなかった。

 まずは彼女に礼を述べなければならない。


 一度息を深く吸い込んでから哲矢はもう一度彼女の名前を口にする。


「藤沢さん……」


 その声に、美羽子は一瞬ビクッと体を反応させる。

 それは、まだ彼女との関係が完全に修復できていないことの表れでもあったが、それよりも哲矢は真っ先にこの言葉を口にしたかった。


「……ありがとう……ございます……」


 だが、自分でそう言って哲矢はハッとする。


(な……にを言ってるんだ、俺は……)


 美羽子は驚いたように目をぱちくりとさせている。

 その瞬間、周囲の景色がパッと明るみに出るように哲矢の視界は開けた。


 ゆっくりと辺りを見渡すと、そこには驚くべき光景が広がっていた。


「え……」


 なんと、あれほど無敵に思えた中井が机に抱かれるようにして気絶しているのだ。

 その近くでは、床にうつ伏せのまま気を失っている華音の姿もあった。


 それを見て、哲矢は自分が発した言葉の意味に気がつく。


 美羽子に目を向けると、彼女は何を言うわけでもなく静かに頷くのだった。

 問わずとも分かっていた。

 哲矢はその一部始終を目に焼きつけていたのだから――。

 

(……今何時だ?)


 とっさに時間が気になり、哲矢は教室の丸時計に目を向ける。

 時刻は13時39分を指していた。


 それは、この教室に哲矢が足を踏み入れてからほとんど時間が経っていないことを意味していた。

 たった数分の間に室内の状況は目まぐるしく変化したのだ。


 散乱とした周囲の様相を茫然と見回しながら、哲矢はここに至った経緯を辿り始める。


(……確か、中井のストレートを顔に喰らって……)


 自然と殴られた箇所に手が伸びる。


「……ぅっ!」


 鈍い痛みと共に気づくのはある違和感であった。


(な、なんだ……?)


 額に白い布のようなものが巻かれているのだ。

 無意識のうちに再び美羽子の方へ目を向けると、彼女は心配そうな様子で声をかけてくる。


「少し血が出てたから応急処置したんだけど……まだ痛む?」


 もう一度その箇所に手を触れるとヒリヒリと痛んだが、すでに感覚が麻痺しているのかほとんど気にならなくなっていた。

 

 哲矢は首を横に振ってから丁寧に会釈すると、なぜこんな現状になってしまっているのか、原因の究明を再開する。

 なんとなく頭では分かっているつもりなのだが、理解が追いつかないのだ。


(ダメだ……上手く考えられねえ……)


 やはり、直接美羽子の言葉を聞くほか解決の糸口はないように思えた。

 わざとらしく周囲を指さしながら哲矢は口にする。


「……これって……」


「えっ? あぁ……そうよね。関内君、気を失ってたから」


「俺……気を失ってましたか」


「うん。私が駆けつけた時には、この子たちに……」


 そう口にしながら美羽子は気絶している二人に目を向ける。

 そして、神に懺悔するような重苦しい口調で静かに告白をするのだった。


「――そう。これは私がやったことなのよ」

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