第216話 メイサイド-16 / メイと将人 その7
ぎこちない握手を終え、これで形の上ではメイは将人に受け入れられたことになる。
だが、そんな二人のやり取りを唖然とした表情で眺める者がいた。
女性教官だ。
「…………」
彼女は面会室に足を踏み入れて固まったままであった。
法務技官でさえ、解き明かせなかった将人の心の内側をメイが今開いたのだ。
信じられない、という思いが強いのだろう。
メイはそっと女性教官の元へ近づくと耳打ちをする。
「騙してしまってごめんなさい。私はマサトの内縁の妻なんかじゃないの。家裁の調査官として来た人間だから」
「…………」
何も彼女は答えない。
それをメイはよい機会と捉えた。
追い打ちをかけるべく、今度は権威的に冷たく言葉を放つ。
「悪いけど、今この場で見聞きしたことはすべて忘れてくれないかしら?」
「……忘れる?」
「あとのことはこちらでなんとかするわ。これは家裁としての命令よ」
「……あなたにそんな権限あるの……?」
「もちろん。すぐに確認してもらっても構わないわ」
「…………」
言葉を詰まらせながら、女性教官は黙り込んでしまう。
微笑ましい幼妻のはずが一変、家庭裁判庁の調査官と正体を明かされたことで、彼女は相当混乱している様子であった。
それから女性教官が納得するまで少しの時間が必要であった。
ピピピッ、ピピピッ――。
やがて、静寂を切り裂くようにアラームの音が室内に響き渡る。
約束の時間が経過したのだろう。
腕時計に目を落とした彼女は自身を納得させるように何度か頷いてからこう口にする。
「……分かりました。そちらの意向に従います」
それは、とてもさっぱりとした物言いであった。
おそらく、現実に理解が追いついたのだろう。
「どうも。あと、もう少しだけ彼を借りたいのだけど、いいかしら?」
メイは感謝の気持ちを口にしつつも本来の目的も忘れない。
付け加えて延長の要求にも女性教官は嫌な顔一つせず、〝あと15分だけ〟という約束で再び面会室から退室するのであった。
ガチャンッ。
扉が閉まるのを確認するとメイは将人に着席を促す。
覚悟を決めたのだろう。
彼もそれ以上は抵抗することもなく、メイの指示に従うのだった。
「じゃ、改めて確認させてもらうわ」
「どうぞ」
「私はあなたは事件と一切関係が無いって思っているのだけど、その認識で構わないのよね?」
将人は首を振りつつ、慎重に補足を加える。
「事件直後からの記憶しかないんだ」
「なら、なんで今まで犯人を名乗ってたの?」
「それは……」
「シャケにそう言うように言われたのね?」
その言葉に彼は一瞬戸惑いを見せるもやがて静かに頷く。
「ああ……そうだよ。あの人にそう言うよう言わされたんだ」
それは、今までメイが信じてきた仮説が肯定された瞬間でもあった。
将人は社家からの指示で犯人を名乗っていたことを初めて告白したのだ。
(これでテツヤたちにも顔向けできるわね)
確かな手応えにほくそ笑みつつ、メイはさらに言葉を続ける。
「ありがとう。その言葉だけで十分よ」
「どういうこと?」
メイはそこで話を一度区切り、この後、宝野学園で行われる立会演説会で自分たちがやろうとしている計画について手短に説明をする。
「――そこでシャケに事実を突きつけるつもりよ。あいつは、本当は誰がマイを落としたのか知ってるはずなの。だから、どうしてもあなたの証言が必要だったのよ」
「…………」
これからやろうとしている計画のスケールの大きさに、将人は暫しの間、言葉を失っているようであった。
「僕はとんでもない嘘を吐いてたんだ……」
犯罪絡みの情報を共有し、隠し通すことがどのような結果を招くか。
将人は自分の犯した過ちに打ち震える。
「もう一度、はっきりとその証言がほしいの。記録させてくれるわよね?」
やがて、メイが言う言葉の意味を理解したのだろう。
暫しの沈黙の後、彼はゆっくりと頷いて同意を示す。
「それで、事件が解決するなら……それは僕の役目だ」
「助かるわ」
将人の意思を確認し終えたメイはスカートのポケットからある物を取り出す。
「これに声を録音して」
「これは?」
「ICレコーダーよ」
「なるほど……」
物珍しそうに眺めてから将人はそれを掴み取り、記憶喪失となってからの経緯を順々に吹き込んでいく。
その姿を間近で眺めつつ、メイはようやく胸を撫で下ろした。
(これで、すべて出揃ったわね)
あとは本番を待つのみとなった。
―――――――――――――
「お疲れさま」
顛末をすべて録音し終えた将人からICレコーダーを受け取ると、メイは改めて感謝の言葉を口にする。
「これで準備は万全ね。必ず真実を持って帰るわ」
「う、うん……」
「本当はマサトに立会演説会に来てもらうのが一番なんだけど、決まりが色々と厳しくてね。さっきのだって、全部ハッタリなの。さすがにあなたを連れ帰ったらどうなるか分からないわ。だから、もう少しだけ辛抱よ」
「いや……それはべつにいいんだ。僕が招いてしまった結果だから。だけど……そのせいで、その……」
そこまで口にすると、将人は照れ臭そうに言い淀んでしまう。
何か伝えたいことがあるのだろうが、上手く言葉が出てこない様子であった。
「どうしたの?」
「あ、いや……。僕が吐いた嘘のせいで、その……。色々と迷惑をかけてしまった人がいるんじゃないかって思って……」
その言葉を聞いた瞬間、メイはすぐに将人は花のことを言っているのだと理解する。
少しだけ意地悪に「そうね」と告げてから、「でも、その子もきっと、あなたが本当のことを口にして喜んでいると思うわ」と結ぶのであった。
それに対して将人は恥ずかしそうに俯くだけであったが、内心ホッとしているに違いなかった。
ちょうどそんなタイミングで女性教官が顔を覗かせた。
将人は、今度こそ大人しく彼女に従い、部屋から出ていこうとする。
去り際、彼はどこか名残惜しそうにメイに言葉を投げかけてきた。
「あ、あのっ……!」
「ん、なに?」
「僕はその場所へ行けないけど、きっといい結果となることを願ってるよ……。た、高島っ……!」
「――任せておきなさい」
その声を耳に焼きつけるように将人は深く頷くと、どこか達成感にも似た表情を浮かべながら、女性教官と共に面会室を後にするのだった。
「…………」
その後ろ姿を見送ってから、面会室に残されたメイはパイプ椅子に凭れながら天井を見上げる。
(大丈夫……。きっとすべて上手くいくわ)
随分と回り道をしてしまった気もするが、結果的には大きな収穫を得ることができた。
「よし行くわよ」
改めて気合いを入れ直すと、メイは哲矢と花が待つ宝野学園へ向けて部屋の扉を開けるのであった。




