第211話 花サイド-23
それから詳細を伝え終えた花は、その後も居残りを決めてくれた翠たちと一緒に部室へ戻り、すぐに部員たちの輪の中へ加わる。
皆がそれぞれの務めを果たすべく最善を尽くしてくれていた。
その慌しい波が落ち着く頃には、四時間目はもうすぐ終わりを迎えようとしていた。
仲間に頼った甲斐もあって、脅迫文の差出人と思わしき人物は一人に絞られた。
「やっぱり……」
それは、想定内の人物であった。
いや、むしろ一番怪しいと目論んでいた人物なのである。
歓迎すべき結果となったのだ。
「これって、どれくらいの一致率なんでしょうか?」
花はこの場で指揮を執っていた女性顧問に素朴な疑問を訊ねてみる。
「うーん……。今あるデータの中では筆跡が一番近いって感じかしら。ざっと九割近くは合っていると思うけど」
「九割ですか」
「でも、それはあくまで判断材料に過ぎないことを忘れないで。実際は……」
「直接本人に確かめるしかない、ってことですよね?」
「はい。そういうこと」
彼女はそう口にすると手を叩いて部員たちを集め、ひとまずの区切りを宣言する。
皆の顔には達成感にも似た笑みが灯っていた。
ひとまず、結果が出たことで全員がほっと胸を撫で下ろし、互いの健闘を称え合っているようであった。
そんな微笑ましい光景を目に収めながら、花は最後まで尽くしてくれた仲間たちに感謝の言葉を口にする。
「皆さんっ! 本当にありがとうございましたっ!」
花が大きく頭を下げると、すかさず部員たちの声が飛び交った。
「川崎が困ってるなら助けるじゃん?」
「お互いさまだよ~」
「おめまるー」
「頑張って川崎ちゃん♪」
そのどれもが自分をフォローする言葉ばかりで、花の目頭はいつの間にか迸る熱で帯びる。
しばらくすると、部室の隅で野庭と小菅ヶ谷と遠慮がちに何やら話し込んでいた翠が花の挨拶を聞きつけてやって来た。
「お疲れさま。結果出たんだね」
「あっ、はい」
翠はやや控えめな様子で花の背後からタブレットに映し出されたタッチパネルを覗き込む。
「それで……誰だったの?」
「まだ、憶測の範囲ですが……」
部室外に漏れないように気を配りつつ、花は小声で答える。
「社家先生がやったんだと思います」
「そっか……」
僅かな希望を完全に打ち砕かれたような、そんな寂しさを滲ませた表情を翠は浮かべる。
だが、それも一瞬のことであった。
彼はすぐに瞳に光を取り戻すと、拳を宙に高く突き上げる。
「これで材料が一つ揃ったね」
そう口にする翠の表情は、先ほどとは異なり決意の片鱗のようなものが見て取れた。
タブレットをシャットダウンさせると、花はそれを小脇に抱えて彼の正面に向き直る。
「はい。あとは本番を待つだけです」
その頼もしさに背中を押される形で花は力強く頷くのだった。
◇
その後、一同は四時間目の終了を待たずに解散することとなった。
結果が出た今、ここに長居することは好ましくない、という女性顧問の判断である。
花もその意見には賛成で、手助けをしてくれた仲間たちにこれ以上余計なペナルティを蓄積させたくないというのが本音であった。
ともすれば、用件が済んだらおしまいという薄情な印象を与えかねなかったが、その罪悪感に耐えるのも自らの務めであると花は考えていた。
できるだけ丁寧に部員一人一人に礼を述べながら全員の退室を見届けると、次に花は律儀に居残りしてくれていた翠たちに声をかける。
「麻唯ちゃんの見舞いから戻ったら、メイちゃんにはその足で放送室へ向かうように伝えます。そこでICレコーダーを受け取ってください」
「おっけー。僕らはその間に機材の準備と調整をしておくよ」
「色々とすみません。今朝から手伝ってもらってばかりで……」
「きっとすべて上手くいくから。川崎さんも立会演説会頑張ってね! 僕らは体育館には行けないけど、気持ちでは繋がってるからさ」
「私たちも陰から……」
「……できる限りサポートします」
「はいっ。皆さん、本当にありがとうございます。これから一緒に頑張りましょう♪」
甘酸っぱい青春の香りを微かに感じながら、花は三人と固い握手を交わす。
それが彼らとの別れとなった。
翠たちを送り出してしまうと部室には花と女性顧問だけが残った。
彼女には何か問題が生じた時に備えてこれからの時間はこの場で待機してもらうことになっていた。
もちろん、最初はその申し出を遠慮した花であったが、絶対にその方がいいという彼女の言葉に後押しをされ、結局甘える形となってしまっていた。
その善意に便乗する形で、花は密かに一人で考えていたあるアイデアについて女性顧問にこっそりと相談する。
「――なるほど、確かにそうね。分かりました、引き受けましょう。あとで部員にも声をかけておくわ」
「すみません。お手数をおかけします」
「いいの。私は、あなたが一年の頃から部に貢献してるところをずっとこの目で見てきたわ。それは部のみんなも分かってること。あなたが困ってるのなら、手を差し出すのが私たちの役目よ。だから、気にしないで」
「はい……ありがとうございます。よろしくお願いしますっ……!」
話がそこでひと段落すると、花はふぅーと息を大きく吐き出す。
今までの疲れがドッと押し寄せてきたようであった。
それを見かねた女性顧問が気遣いの声をかけてくる。
「川崎さん。あなた、昨日からほとんど寝てないんでしょう? 昼休みまでもう少し時間があるからそこで休んでなさい」
「は、はい……。ごめんなさい。それじゃ、お言葉に甘えて……」
花は彼女の言葉に勧められるがまま畳に腰を下ろし、そこでひと休みすることにした。
その間、花は一度利奈へLIKEを送ることにする。
まだ原稿の受け渡し場所を伝えていなかったということもあったし、新しく決まったいくつかの詳細について伝えておく必要があった。
そして、何よりも昨夜の出来ごとを伝えるべきだという使命感があった。
文字を打ち込みながら花はふと思う。
(隠しておく必要なんてなかったんだよね)
翠たちにすべてを打ち明けた今、花の心はとても軽かった。
長文にはなってしまったが、どうしても伝えておきたいことだったので花は躊躇なくそれを送信する。
既読はすぐについた。
〝了解〟と、女子高生らしくない短い返信が送られてくる。
だが、なんとも彼女らしい書き方であった。
もしかすると、忙しくてLIKEをきちんと打ち返している余裕がないのかもしれない。
(ちゃんと伝わったはず……だよね)
レスポンスの早さから花はそう確信を抱くのであった。
いずれにせよ、これで協力してくれる仲間たちとの情報共有は達成されたわけである。
そう安心してしまうと、緊張の糸が切れたように体はぐったりしてしまう。
抗う気力もなく、そのまま力が抜け落ちたように花はその場に倒れ込んでしまうのだったが、辛うじて意識は保たれていた。
そんな夢とも現実ともつかない精神の狭間で、花は自分の姿を俯瞰で目撃することとなる。
その両隣りには麻唯と将人の姿があった。
まるで切り取られた一枚の絵画のように、その中にいる者たちは、いつまでも続く永劫の時を過ごしていた。
彼らは幸せそうに笑みを浮かべている。
だが、いくら手を伸ばしたところで花がそれに触れることはできない。
花にとってそれはすでに失われてしまった過去の産物なのだ。
やがて、彼女たちの姿は徐々に遠ざかっていき、最後にはほとんど見えなくなってしまって、ぷつりと消えてしまうのであった。




