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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
21/421

第21話 事件について その2

 花はマグカップに再び口をつけると腕時計を確認する。


「時間は大丈夫ですか?」


 気遣う彼女の目を見ながら哲矢は黙って頷いた。

 朝に交わした美羽子との約束も気になったが、今は話の続きを聞くことの方が大事だと思えたのだ。

 

 花は一度目を閉じる。

 その表情は、何かを決心しているように見えた。


 外は穏やかな春の午後を気持ちよさそうに過ぎる人々で賑わっていた。

 そんな幸せな光景の一部に自分たちも含まれていることを哲矢は願った。


 周囲を確認する素振りを見せてから花は続きを話し始める。


「……事件当日、私は部室棟にいました。部活の最中だったんです。その日は年度末に開催される大会の準備のために一日中忙しくしていました。なので、私たち書道部は騒ぎに気づくのに少しだけ遅れたんです。外がなんだか騒がしいなってそんな風に思っていましたが、わざわざ部室を出てまで確認しようとは思いませんでした」


「それから騒ぎのボリュームは無視できないくらいに大きくなっていきました。それで気になった部員のうちの一人が廊下へ出たんです。数分もしないうちに彼女は慌てた様子で戻ってきて……。その子は『二年A組の教室で誰かが窓から突き落とされたらしいよ!』って、血相を変えながらそう口にしました」


 ごくりと哲矢は唾を飲み込む。


「その瞬間、室内の視線が一斉に私へと注がれました。該当するクラスの生徒はその場には私しかいなかったんです。突き落とされたという表現に、私は嫌な予感を抱かずにはいられませんでした。気づくと私は部室を飛び出して一目散にA組の教室まで向かっていました」


「教室の前に着くと、そこにはすでに大勢の生徒や先生の姿で溢れていました。ドアの前には簡易的なテープのようなものが張られていて、中へ入れないようになっていました」


「外からはサイレンの音が聞こえ始め、私はその場にいた子たちになにがあったのかと訊いて回りましたが、誰かが窓から突き落とされたらしいと口にするだけで、誰一人詳細は分かっていない様子でした。先生たちに訊いてもなにも答えてくれません」


「それで私は部活へ行く前に別れた麻唯ちゃんと将人君のことが気になって、スマホに電話してみたんです。けど、何度鳴らしてみても二人には繋がりませんでした」


「なにか良くないものを感じつつ、その場でしばらく人混みに紛れていると、やがて警察官が数名教室までやって来て、近くにいた先生に事情聴取し始めたんです。そこで私は……転落した生徒が麻唯ちゃんであることを耳にしました」


 花の表情はその辺りから苦々しいものへと変わっていった。


 喫茶店の空気までそれに呼応するかのように重苦しいものとなる。

 先ほどまでさんさんと降り注いでいた陽の光は、いつの間にか分厚い雲に覆われてしまっていた。

 

 哲矢は無意識のうちにマグカップに口をつけるが、中には何も入っていなかった。

 いつの間にか飲み切ってしまったようだ。


 それに気づいた花が機転を利かせて店員を呼ぶ。


「すみません。コーヒーのおかわり二つお願いします」


「畏まりました」


 次にやって来たのは知的そうな中年の男ウエイターだった。

 彼は律儀に斜め45度のお辞儀をすると、マグカップをトレイに載せて下がる。

 しかし、こんな時こそ、先ほどの能天気そうな女ウエイトレスにやって来てほしかったと哲矢は思う。

 

 このままだと、聞かなくてもいいことまで聞いてしまいそうであった。

 だが、それが分かっていても、哲矢はその場から離れることができずにいた。

 

「……それから。突き落とした生徒が将人君で、他にも数名のクラスメイトを金属バットで襲ったという話も耳にしました。どこか他人ごとのようにその話を聞いていたのを覚えています。だって、あり得ないって思ったから。本当にわけが分かりませんでした。将人君はそんなことをするような人じゃないんです。絶対にあり得ません。でも、クラスのみんなは……」


「翌日、事件の詳細が学園全体に知れ渡ると、クラスメイトはここぞとばかりに将人君を非難し始めました。『やりそうな雰囲気があった』とか、『裏切り者だから怪しいと思ってた』とか。本当に酷い言葉をたくさん聞きました。耳を塞ぎたくなるような言葉も」


「どうしてそこまで酷いことを言えるのかと、私は憤っていました。それでもあなたたちはクラスメイトなのって、一人一人に問い質したかったです。けれど、私は……。ただ怒りを内に溜め込んでいただけで麻唯ちゃんや将人君のためになにも言うことができませんでした。事件について訊いて回ることくらいしかできなかったんです」


「ですが、思いは一貫して変わっていません。将人君はそんなことをする人じゃない。これだけは間違いなく確かです。知り合ってまだ半年ほどですが、その間ずっと学園生活を共にしてきたので分かるんです」


「人見知りだけど少しだけ頑固な部分があったり、涙もろくてすぐに人の話に感動したり、怪獣のキーホルダーを集めるのが趣味でそれを子供っぽいって言うと拗ねるところがなんか可愛かったり……。はにかむように優しく微笑んで私や麻唯ちゃんのことをいつも見守っている。それが将人君に対する印象なんです」


「だから、クラスメイトを……ましてや、麻唯ちゃんを襲ったりするような人では絶対にないんです。ですが、先生も警察も誰も私が言ったことを信じてくれませんでした」


「そして、なによりも最大の疑問は、将人君が容疑を全面的に認めているということです。彼が事件を起こしたなんてそんなこと、絶対にあり得ないのに……。誰かにそう言うように脅されているとしか考えられません」


 その熱の籠った訴えかけに哲矢は何も返すことができなかった。

 彼女の話に完全に引き込まれてしまっていたのだ。


 だが、その一方で、冷静に話を分析できている自分がいることにも哲矢は気づいていた。


 彼女の主張には主観が入り込み過ぎているのではないか、と哲矢は考える。

 友人を庇っている部分があるように感じられてしまうのである。

 もしかして……と、良からぬことも邪推してしまう。


(川崎さんは生田将人のことが……)


 彼女の口ぶりは、そんな的外れな想像さえも容易にしてしまっていた。

 自制するように薄く下唇を噛むと、哲矢は彼女の話の続きに耳を傾けた。


「窓から転落した麻唯ちゃんでしたが、幸いにも命に別条はありませんでした。それから私は麻唯ちゃんのお見舞いに毎日足を運ぶようになります。できるだけ傍に居てあげたかったんです」


「勾留されている将人君にも会いに行って真相を確かめたかったのですが、親族以外の面会はできないと言われていてまだ実現できていません。二人が学園に戻らない日々が過ぎていき、私はすぐに三年生になりました。その始業式の日に……関内君と高島さんが転入してきたんです」


「そうだったのか」


「正直、驚きました。転入生が入ってくること自体が非常に珍しいこの学園で、二人も同時に同じクラスへ転入してきたのですから。一昨日、社家先生は文部科学省が推奨する教育計画の一環でってその理由を話していましたけど、私はあれを信じてません。だって……聞いてしまったから」


「聞いてしまった?」


 何か嫌なものを感じ、哲矢はとっさにそう聞き返した。


「はい。朝、たまたま職員室の前を通りかかった時、社家先生となにやら話をしている見かけない男子生徒と女子生徒がいるのを私は見てしまったんです。ほんの一瞬のことだったので話している内容までは聞き取れませんでしたが、〝少年調査官〟という言葉だけははっきりと耳にしました」


「……っ!?」


「それで、もしかしたら……って思ったんです。二人は将人君の事件を調査するためにやって来たんじゃないかって。もちろん、それがバカげた発想だってことは分かっていました。ただ単に自分がそう期待したいだけだったんです」


「けれど、ホームルームに彼らが私たちのクラスへ現れると、私はそれを妄想なんかじゃないと強く確信しました。その二人――関内君と高島さんは、将人君の事件を調べるためにこの学園へ転入してきた調査官なんだって」


 これが花が自分に近づいてきた理由だったのだ、と哲矢は思った。


(おかしいと思ってたんだ)


 なぜ、あれほどまで積極的に話しかけてきてくれたのか。


 これまでの彼女の言動がフラッシュバックする。

 好意だと思っていたものはすべて勘違いだったのである。


(…………)

 

 種明かしを聞いてしまったからにはもう遅い。

 急に現実感が遠のいていく。

 突然、足元が抜けて、深い闇の底へと落ちていくような感覚に囚われてしまう。


 花が恐縮したように頭を下げる。

 だが、哲矢は彼女のことをもう真っ直ぐに見れなくなってしまっていた。


「ごめんなさい。だから、私が関内君に近づいたのは……。本当はそういう理由からなんです。でも、困っているのを見ていられなかったというのも事実です。昨日も言いましたけど、私も経験しているから。この学園に溶け込むことの難しさを」


「もちろん、私では麻唯ちゃんの代わりになれないのは分かっていました。でも、手助けしたいという気持ちは嘘じゃないんです。だから、関内君が将人君の事件についてなにか調べているのなら……彼を救ってあげてほしいんですっ!」


「なにか必要なら私も一緒に手伝います! 将人君は無実なんです。あんなことをするような人じゃ……絶対にないんですッ!」

 

 息が苦しい。

 まるで、水のない水槽に放り込まれた魚のようだ。

 哲矢は首元を押さえてテーブルに肘をつけた。

 

 ガシャンッ!


 テーブルの上に置かれたグラスが音を立てて店内に響き渡る。

 異変を察知した花が慌てたように声をかけてきた。


「だ、大丈夫ですかっ……!?」


 しかし、その言葉には先ほどまでは存在したリアリティが欠落していた。


(……はは。そうだよな。なにも目的がなくて俺に話しかけてくるわけがないよな)


 息切れは一瞬のことだったらしい。

 呼吸はすでに正常なリズムへと戻っていた。


 哲矢はつけた肘を上げて姿勢を正す。

 そして、こうきっぱりと言い放った。


「……悪いけど。これ以上は付き合えないから」


 運ばれてくるコーヒーも待たずに哲矢は椅子を引いて立ち上がる。


「えっ……? ちょ、ちょっと……待ってくださいっ!」


 焦った様子で花がそれを止めようとするが、哲矢は財布から千円札を取り出してテーブルに置くと、そのまま足早に喫茶店を後にした。

 

(だから、期待するだけバカバカしいんだって。いい加減学べよ)

 

 人は何かを利用する生き物なのだ。

 花だけを責めることはできない。


 けれど……認めたくなかった。

 あの親切心が心からのものではなかったと信じたくなかったのである。


 そして、立ち止まって哲矢はあることに気づく。


(……俺も同じじゃないのか?)


 花を利用して自分自身を変えようとしていた。

 でも、当てが外れた。

 彼女の狙いは別にあったから。


(それで俺はイラついているのか……?)


 哲矢は首を大きく振る。


(……もう大人しく地元へ帰るべきだ)

 

 今度こそ哲矢の気持ちは固まった。


 すると、これまで鉛のように鈍かった体は軽々と動いた。


 哲矢は逃げ道という名のレールの上に足を踏み入れる。

 このレールに従って進んでいけば、何も煩わしく思うことはない。


 その道は一本だ。

 単純で明快。

 とても楽ちんだ。


(そうだ。最初からこれでよかったんだ)

 

 明日の朝でこの街ともお別れ。

 何も気に留める必要はない。

 それが分かると気持ちが一気に晴れてくる。


「……よっしゃ。少し走るか」


 諦めの長い影を引き擦りながら、哲矢は宿舎への道を急ぐのであった。

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