第203話 哲矢サイド-28 / 哲矢と大貴 その2
正直驚いた、というのが哲矢の率直な感想であった。
大貴の口からそんな献身的な言葉が零れ出るとは思っていなかったのである。
それゆえにもどかしさも感じてしまう。
(伝えるべき相手を間違えているんじゃないか?)
ある意味でその姿はとても身勝手に映ってしまうのだ。
かつてないほどの感情的な物言いから、大貴が初めてそのことを口にしたのが哲矢には分かってしまった。
ではなぜ、市長であり父親でもある了汰に直接それを言わないのか。
この数時間、彼ら親子の関係を見ていれば、好き嫌いの次元では解決不可能な根の奥深くまで繋がった問題があることは容易に想像がついたが、それでも哲矢は重力の淵から止め処なく溢れ出す疑問を塞き止めることができなかった。
(なんでそこまで憎しみ合えるんだ? 親子だろ……)
反論の隙がない完璧な手品を目の前で披露されたような、ある種の疑似的な全否定を味わったことも理由の一つかもしれない。
哲矢は、今まで堪えていた思いをムチのようにしならせて大貴へとぶつけてしまう。
「……待ってくれ。それこそ一方的な決めつけじゃないのか? 日本全体で見ても子供の数は年々減ってるわけだし、逆に高齢者はこれからもっと増えていくはずだ。危機感を持つべき対象はなにもこの街に限った話じゃない。むしろ、都心にも近くて恵まれてる方だと俺は思うぜ。大貴、悪いがお前の言ってることは父親への当てつけにしか聞こえないんだよ」
そこまで口にしてから哲矢はハッとする。
冷静に振り返ってみれば、少し乱暴な言い方だったかもしれなかった。
だが、今の言葉に偽りはないと哲矢は思う。
全部本音だった。
(贅沢な悩みじゃないか)
それが今まで哲矢が感じてきた大貴との決定的な温度差であった。
しかし、当の本人はというとそんな哲矢の反発など物ともせず悠然と立ち構えていた。
そしてふと笑みを零す。
「クククッ、やっぱお前。面白いわ」
「な、なにがっ……」
茶化されたと思い、哲矢はつい声を荒げてしまう。
そんな様子も可笑しいのか、しばらく笑いを噛み殺す大貴であったが、ある瞬間でぱたりとそれは止み、先ほどまでの破顔が嘘のように真面目な表情で再び口を開く。
「確かに、東京の外れに位置する都市と考えれば恵まれてる部類に入るのかもな。いや……違うか。お前の言う通り、恵まれてるんだよ。だから、だからこそ歯痒いんだ。もっと他にやれることがある。でもここの連中は違う。端から諦めてやがるんだ」
大貴が口にした言葉は、長年その現状を目の当たりにしてきた者にしか許されない非常に説得力のある言葉であった。
だが、「はいそうですか」と、哲矢は素直に認めるわけにはいかなかった。
一週間という短い期間だったが、哲矢もすでにこの街と関わり合いを持ってしまっているのだ。
ここで大貴と正面切って向き合わない限り次のステップへは進めない、と哲矢は思う。
そして、ひょっとすると、この後の計画を実行することなく彼と歩み寄ることができるかもしれなかった。
そうした可能性を信じて、哲矢はヒールに徹することになる。
次の瞬間、自分でも信じられないような大声を哲矢は張り上げていた。
「そう思うんだったら……直接本人に言えばいいだろ!!」
耳の奥がキーンと鳴り響く。
その攻撃的な言葉を受けた大貴は目を丸くしていた。
しかし、一瞬のうちに形勢は逆転してしまう。
哲矢はすぐさま身柄を拘束され、証言台へと立たされる。
判事はもちろん大貴だ。
彼は鼻を鳴らすと、無責任に言い放った言葉を追及するように、さらなる大声を上げて哲矢に詰め寄ってくる。
もはや、状況は完全な泥仕合の様相と化していた。
「あっ? 誰に言えって? あのクソ親父に伝えればいいってか? ッざけんな!!」
まるで、ネジが一つずつ吹き飛んでいくみたいに、大貴の理性は時を追う毎に狂気染みていく。
彼が本性に戻ったのか、あるいは演技か。
哲矢には判別することができなかったが、どちらにせよ実の父親に対する大貴のそんな態度は、胸を苦しくさせるものがあった。
呟きが無意識のうちに漏れてしまったことも必然と言えるだろう。
気づけば、哲矢は薄く唇を噛み締めていた。
「……親子なんだろ。なんで、そんな言い方しか……」
自制し切れない精神的な弱さも重なり、不運にもその言葉は最悪な形で大貴の耳へと届いてしまう。
「親子だって?」
何かが彼の気に触ったというのが哲矢にはすぐ分かった。
怒号は哲矢が構える前に飛んでくる。
「あいつを、あの男を……! 父親だと思ったことは一度もねぇぞ!! 親が子を選べないように子もまた親を選べねぇんだよ!! 俺はっ……」
その切迫した言葉は哲矢にある予感を抱かせる。
やがて、それは確信へと変わり――。
大貴がこれから人生の岐路を選択するような旨の発言をしようとしているのが哲矢には分かってしまったのである。
しかし――。
なぜか、それは寸前のところで絶たれてしまう。
時に言葉は一度放ってしまえばどこまでも深く潜り続け、遂には自分でも手に負えないところまで到達してしまうことがある。
大貴はそれを十分に理解しているようであった。
「……っ、とにかく……街は衰退の一途を辿ってるし、市政はその現実を直視してない。そして、その歪さの象徴……最たるが宝野学園に他ならねぇんだ。だから、そのうちの生徒の一人が常識から逸れた行動を取ったとしても、べつに不思議なことじゃねぇんだよ。あの事件はな、起こるべくして起こったんだよ」
突如、話の流れがあらぬ方向へ飛躍したのが哲矢には分かった。
(あの事件……?)
なぜ、今その話題が大貴の口から出るのか。
哲矢はその関連性を見つけ出すことができない。
そして、それを口にした張本人はというと、さらに謎めいた行動を取って哲矢の混乱は加速する。
大貴はそのままくるりと背を向けると、ここが地上100メートルの高さにあることをまるで気にする素振りなく、両手をブレザーのポケットに突っ込み、悠然とこの場から立ち去ろうとする。
だが、哲矢には分かっていた。
こんな幕切れを演出するために、彼がこの屋上まで来たわけではないということを。
ただ、哲矢はそう感じながらも大貴に声をかけることは躊躇ってしまう。
今さら彼と本音でぶつかり合ったとしてもすべては後の祭り。
賽は投げられたのだ。
(もう引き返せないんだ……)
汗ばむ手を握りながら哲矢は願っていた。
このまま大貴がすぐに身を消してくれることを。
けれど、それと同時に哲矢の右手はその背中を引き留めようと疼いてもいた。
矛盾した思いが頭の中でぐるぐると駆けずり回り、哲矢をその場に縛りつける。
けれど、そんな哲矢の葛藤は長続きしなかった。
フェードアウトするかに見えた大貴は途中でその歩みを止めると、まるで哲矢と同じくその場に身を縛りつけられたみたいに固まってしまう。
そして、その姿はなぜか、彼らしからぬ失態のように哲矢の目には映った。
本来ならば、この場面で大貴は屋上から姿を消してしまうべきだったのだ。
だが、彼の判断は違った。
「お前が来なければ……」
そう後ろ向きで呟く大貴の姿は、不思議と今までよりも小さく哲矢の目には映るのだった。




