第20話 事件について その1
花の後についてやって来たのは、駅前の広場に面した小さな喫茶店であった。
店の看板には【シナモン】と掲げられている。
木目を基調にしたシックで小奇麗な店内。
窓ガラス越しからはデッキを歩く人たちの姿が見えた。
だが、土曜日にも関わらずその数は少ない。
中でも目についたのは、小さな子供を連れた若い夫婦の姿だ。
この近くには児童向けの巨大アミューズメント施設がある。
ニュータウンができた当初、それは桜ヶ丘市のシンボルであったらしい。
しかし、今では隣り街に新しくできたアウトレットモールに客を取られてしまっていると、美羽子が話していたことを哲矢は思い出していた。
ニュータウンから徐々に活気が失われていく現実を目の当たりにしているようで、なんともやるせない気持ちとなる。
(……でも、俺にはもう関係の無い話だ)
花の後についてここまでやって来たのは、罪悪感があったからである。
彼女はこの3日間で唯一声をかけてきてくれたクラスメイトであった。
ここで彼女の願いを断ったら、さすがにバチが当たるだろうと思ったまでのこと。
(少し話をするだけ……。それでこんな場所とはおさらばだ)
哲矢は腕時計に目を落とす。
時刻は13時を少し回ったところであった。
「ご注文はお決まりでしょうかぁ~?」
気の抜けた声の若い女のウエイトレスが声をかけてくる。
哲矢はブレンドコーヒーを注文する。
花も同じものを頼んだ。
「お待ちくださぁ~い」
ウエイトレスがいなくなると再び沈黙が二人の間に降り立った。
哲矢は花の顔をチラッと覗くが、彼女から話を始める雰囲気はない。
仕方がないので、彼女から話し始めるまで哲矢は気長に待つことにした。
◇
――それから。
どれくらいの時間そうしていたことだろうか。
花はガラス窓越しから通りを過ぎる人々をぼーっと眺め、哲矢はスマートフォンに目を落としていた。
長い沈黙はウエイトレスが再び姿を現わすまで続いた。
「お待たせしましたっ♪」
コーヒーが運ばれてきたことによりなんとか場が持ち堪えられる。
立ち昇る湯気に気を取られていると、突然、目の前から声が上がった。
「……えっ?」
驚いて哲矢は反射的に花に目を向ける。
春の麗らかな日差しがガラス窓から差し込み、まるでチンダル現象のように被写体である彼女を美しく照らしていた。
その姿に哲矢は思わず息を呑んだ。
花は綺麗に編み込んだ短いツインテールの髪を揺らしながら、もう一度同じ言葉を口にする。
「――私が高等部から学園へ入学したという話は昨日お話ししましたよね?」
「あ、ああ……」
「途中からクラスの輪の中へ入ることに苦労したって話も」
哲矢は黙って頷く。
「昨日お話しした『支えになってくれた子』っていうのは……藤野麻唯さんという子のことなんです」
どこか聞き覚えのある名前に哲矢はハッとする。
(藤野麻唯……。そうだ。被害者のうちの一人の……)
哲矢は、初日に美羽子から見せてもらった被害者の顔写真のことを思い出していた。
麻唯だけは今も病院に入院中という話で、花の『支えになってくれた子』が彼女なのだという。
けれど、その点に関しては哲矢には別段驚きはなかった。
クラスメイトなのだ。
花にだって気の許せる友人が一人くらい居たって不思議ではない。
(……って、なに考えてんだ俺は。偉そうに人のこと言える立場か)
失礼な考えを頭の中から追いやりつつ、哲矢は今一度花の顔を覗き見る。
その表情は、教室にいる時よりもすごく自然に見えた。
花は昔を懐かしむように少しだけ遠い目をしながら話を続けた。
「詳しく話しますと、私は書道部に入部したくて宝野学園を受験しました。私は小学生の頃から書道を習っていて、レベルの高い場所で書道を続けたかったんです」
彼女が書道を習っていたというのはもちろん初耳だ。
だが、そのことよりも、哲矢は後半の言葉の方に引っかかりを覚えた。
「レベルの高い場所って?」
「……ああ、そうですね。関内君はご存じないかもしれませんが、宝野学園高等部の書道部は全国的にも有名なんです。書道の大会とか、テレビや動画で見たことはありませんか?」
「筆を使って集団でパフォーマンスしたりするやつのことか? 詳しくは知らないけど」
「はい。大体それで合ってます。学園は書道部に力を入れていて、そういった部活の大会で全国上位の成績を収めているんです」
「へぇ……そうだったのか」
宝野学園の意外な一面を知り、哲矢は少しだけ驚く。
やはり、たった3日間通っただけでは、そこがどういう場所なのかを完璧に把握するのは難しい。
花は哲矢の反応を確認してから続きを話し始める。
「それで色々とありまして……。私は宝野学園へ入学することになりました。最終的には母も賛成してくれましたし、一人暮らしをすることにも同意してくれました」
「ニュータウンでの暮らしぶりについても特に問題はありませんでした。近くには大型スーパーもありますし、ネット注文でなんでも揃いますから。電車に乗れば30分ほどで都心まで出ることも可能です。今までは地方で暮らしていたので、すべてが新鮮に映りました」
確かにそうだろうな、と哲矢はその話を聞きながら思った。
同じ地方から東京へ出て来た哲矢にとっては身に染みて分かる話であった。
何もかも都会基準に映るのだ。
そのままの調子で話を続けるものかと思いきや、花はそこで一旦口をつむぐと、少しだけ声のトーンを落とした。
「問題は……学園生活の方にありました。昨日もお話しした通り、学園の生徒はニュータウン出身の子たちがほとんどです。彼らは昔からの知り合いでもあります。だから、途中から輪の中に溶け込むのが大変なんです。その辺は、関内君にも分かってもらえると思うけど……」
「ああ」
「それで、私と同じで書道部に入るために都外から学園へ入学した女の子が二人いたんです。ですけど、彼女たちは半年もしないうちに書道部も学園も辞めてしまいました」
「それほど途中からこの学園に溶け込むというのはハードルが高いんです。私も最初の1年間は本当に苦労しました。もしあのままなら……私も彼女らと同じように退学していたことだろうと思います」
「私はラッキーでした。高二のクラス替えで私のことを気にかけてくれる子と出会えたんです。その子が……麻唯ちゃんでした。彼女は私の立場に立ってものを考えたり、代わりに意見を言ってくれたりしたんです」
麻唯について襲われた被害者のうちの一人としか把握していなかった哲矢にとって彼女のその話は新鮮に響いた。
「多分、正義感からそのような行動を取ってくれていたんだと思います。それでも、私は嬉しかった。やっと、自分のことを理解してくれる子と出会えたって。そんな麻唯ちゃんの優しさに私は頼ってばかりでした」
そこで一度話を区切ると、花はコーヒーに砂糖とミルクを入れてから口をつけた。
正直、彼女がここまで饒舌だとは思っていなかった。
そんな哲矢の思いに気づいたのか。
花は少しだけ照れ臭そうに訊ねてくる。
「……よく話すなぁって、驚きましたか?」
「まあ、そうかな」
哲矢は正直にそう答えた。
すると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。本当はこういうんですよ、私」
なんだか初めて彼女の笑顔を間近で見たような気分であった。
これ以上は関わらない方がいいという先ほどまで頭の中で鳴り響いていた警告も、今の哲矢には届かなかった。
気づけば、哲矢は花の話に引き込まれていた。
彼女の語る言葉にはリアリティがあった。
まるで、自分がその世界の中へ入り込んだような錯覚を抱く。
(案外、話し上手なのかもしれないな)
それに……と、哲矢は思う。
この話の続きに、調査報告書を書く上で何か役に立つヒントが含まれているような予感があった。
花はマグカップをテーブルに置くとひと息つく。
そして、静かに続きを話し始めた。
「そんな風にして私の学園生活は彼女に守られながら再スタートを切ることができました。まともに話すこともできなかったクラスメイトとも徐々に会話できるようになったんです」
「もちろん、それは麻唯ちゃんがずっと私の傍にいてくれたからでした。麻唯ちゃんはクラスの人気者でしたし、先生たちからの評価も高かったので一目置かれていたんです。私一人だけだったら、きっとどうすることもできなかったと思います。私は本当に麻唯ちゃんに感謝していました」
「その後も日々は平穏に過ぎていきました。そんな中、私にとってもう一つのターニングポイントとなる出来ごとが起こります。夏休みも終わった二学期の始業式。季節外れの転入生が私たちのクラスへやって来たんです。それが……生田将人君でした」
それを聞いた瞬間、哲矢の脳裏に将人の顔写真がパッと浮かんだ。
アシンメトリーに切り揃えたミディアムカットの銀髪と日本人離れした彫りの深い顔立ち。
その彼が教壇に立って自己紹介している様を思い浮かべる。
「……将人君は以前、学園の中等部に在籍していたことがあったようでした。そして、クラスメイトのほとんどはそのことを知っていました。だから、皆将人君の転入に驚いていました。中でも一番声を上げて驚いていたのは麻唯ちゃんでした。麻唯ちゃんは将人君ととても仲が良かったようで、再会を心から喜んでいました」
「けど……。当の本人は当時のことをほとんど覚えていない様子でした。麻唯ちゃんが積極的に色々と話しかけても、距離があるというか……昔仲良かったこともいまいちピンときてない感じでした。それでも麻唯ちゃんは、きっと忘れているだけだからって、将人君をさっそく輪の中に加えたんです。それから私たちはよく行動を共にするようになりました」
「残念ながら一部のクラスメイトは、将人君の転入を快く思っていない様子でした。彼らにとっては外から入って来る者は全員敵なんです。それが以前、学園の中等部にいた仲間であったとしても」
『外から入って来る者は全員敵』
その言葉は哲矢が一番痛感している部分であった。
(やっぱり、彼も苦労していたんだ)
それが分かると、今まで自分一人で気負っていたのがバカらしく思え、哲矢は少しだけ肩の荷が下りた気分となる。
「将人君は中等部の時に一度ニュータウンを離れています。時に酷い言葉を投げるクラスメイトもいたんですが、そんな時は麻唯ちゃんが私の時と同じように間に入ってくれました」
「その頃の麻唯ちゃんは生徒会長になっていたので、彼女を前にすると誰もなにも言えなくなっちゃうんです。私もそれで何度も救われました。登校はいつも一緒で、昼休みも囲んで弁当を食べ、放課後は揃って遊びに行ったりもしました」
「そんな幸福な三人の関係がいつまでも続くと……私は信じていました。そう、あの日が訪れるまでは――」




