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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月3日(水)
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第2話 新しい出会い

 コツ、コツ、コツと。


 軽快なヒールの音を響かせて歩く美羽子を先頭に、清潔に保たれた庁内のフロアを哲矢は歩いていく。

 すると、彼女が何かを思い出したように振り返りながら訊ねてきた。


「ああ、そうだ。関内君。通知書は持ってきているわよね?」


「はいっ」


「そこに書かれていたことは理解できた?」


「えっと、なんとなくですけど……」


「ふふっ。驚いたでしょ? みんな言うんだ。なんで自分なのかって」


「そ、そうですね。ははっ……。確かに驚きました」


 口では反射的にそう言ってしまう哲矢であったが、内心はそれほど驚いてはいなかった。


(ただ、試金石に選ばれただけ……)


 世の中は様々な事象で溢れている。

 俺はその一つに当たっただけに過ぎない、と哲矢は考えていた。

 そこには『自分の身なんてどうなってもいい』という投げやりな思いも含まれている。


(適当に終わらせて帰ろう)


 それが哲矢の今の率直な気持ちであった。

 

 美羽子の後に続いてしばらく進むと、職員用の出口らしきところから一度外へ出る。

 黄金色の光に引かれた芝生の上を歩いていくと、やがてそれは姿を現した。

 

「今日からここがあなたの暮らす家よ」


 幾何学的にデザインされたモダン造りの2階建ての建造物。

 これがこれから哲矢が寝泊りをする宿舎なのだという。


 【東京家庭裁判庁羽衣支部 少年調査官宿舎】と仰々しいプレートも近くに掲げられていた。

 車庫も備えられており、赤色の車がちょこんと顔を出している。


「……すごい……」


 そんな感想しか出てこない。

 実感も何もないままであった。


 けれど、今こうしてここにいる。

 確かに迎え入れられたんだ、と哲矢は自身を納得させるように強く頷いた。

 

「ようこそ。少年調査官宿舎へ。歓迎するわ」 


 美羽子に案内される形で玄関から中へ入ると、広々とした廊下を渡って進んでいく。

 宿舎の中は数人が寝泊まりできるようにいくつかの部屋が用意されているようであった。


 そのままリビングへと通されると、「そこのソファーに座って少しだけ待っていてね」と口にした美羽子は足早に部屋から出て行ってしまう。


 哲矢は言われた通りそこに腰をかける。


 ソファーからはおろしたての太陽の匂いがした。

 それから数分もすると、廊下から美羽子の大きな声が聞こえてくる。


「……関内く~ん! ちょっといい~?」


「は、はいっ!?」


 どうやら廊下へ出てこい、ということらしい。

 急いでリビングを出ると、廊下の奥で美羽子が手を振っているのが分かった。


 彼女は並んだ二つの部屋の前に立っていた。

 その近くにはバスルームと男子トイレが見える。

 彼女は親指を立てたまま、片方の部屋をくいっくいっと指し示していた。

 

(ここへ入れってことか?)


 なぜ口で説明してくれないのかと少し不満に思いながらも、哲矢は指示された通りドアを開けて部屋の中へと足を踏み入れる。


「し、失礼します……」


 すると、そこには――。

 デスクに腰をかけた短髪で清楚な身なりの男の姿があった。


 洒落たベストとネクタイを身につけた男の体格はがっしりとしており、日ごろから何かスポーツでもやっているかのような若々しさがあった。


 だが、所々には白髪が見受けられる。

 年齢的には自分の両親と近いのかもしれない、と哲矢はとっさに思った。


 彼は何やら忙しげにデスクに向かって書類をまとめているようであった。

 その隣りには大人しそうなゴールデンレトリバーが座っており、退屈そうに視線をこちらへ向けていた。


(か、噛まないよな? こいつ……)


 心の中で少し警戒しながらそのまま黙って待っていると、区切りがついたのか、男がようやく話しかけてきた。


「いや~。ごめんね。急いで片づけなきゃいけない仕事がいくつかあってね」


 男はそう口にすると、慌てた様子で書類の山をデスクの隅へと寄せた。

 そして、警戒する哲矢の視線にふと気づいたように声を漏らす。


「……っと。気になるよね? 彼の名前はマーローって言うんだ。噛まないから安心してくれ」


「え、あっ。はい……」


 男が指をパチンと鳴らすと、その巨大な犬は彼の膝下へと寄ってくる。


「それで君は……関内哲矢君だね? 初めまして。今回、君の面倒を見ることになった主任の風祭洋助です」


 洋助と名乗ったその男はデスクチェアから立ち上がると、胸に手を当てながら深くお辞儀をしてくる。


「…………」


 明らかに苦手なタイプの大人であった。

 しかし、勢いに押され、哲矢も同じように頭を下げてしまう。

 

「……って言っても、直接世話をしてくれるのは、後ろにいる美羽子君がメインだから。僕はあまりお役に立てないかもしれないけど。なにか気になることがあったら気軽に訊ねてくれ」


「は、はい……。よろしくお願いします」


 にっこりと微笑みながら話す男の表情からは人の良さが滲み出ていた。

 きっと悪い人ではないのだろう、と哲矢は思う。

 だが、心を許すまでには至らない。

 

 その後、口頭でいくつかのレクチャーを受けることとなったが、何か口を挟むと際限なく話が続きそうだったので、哲矢は黙ってその一部始終に耳を傾けていた。


 要約すると大体こんな感じだ。


 この宿舎は少年調査官のための宿泊施設で、期間中は責任者の洋助と美羽子が一緒に泊まるのだという。


 1階と2階で男女のフロアが分かれているらしく、哲矢が寝泊まりする部屋はこの隣りに用意されているということであった。

 トイレとバスルームもそれぞれの階に設備されているらしい。

 資金を投じて相当ジェンダーに配慮した造りにしてあることが分かる。


 生活に必要な物はひと通り揃っているが、何か足りない物があったらその都度報告してほしいということであった。


 あとは常識的な範囲の生活さえ守れば、どう過ごしても構わないようだ。

 これから3日間、彼らと共に生活をすることになる。


(…………)


 正直、面倒臭かった。

 けれど、文句は言わない。

 それが哲矢の主義だ。


 黙って従う。

 流れに身を任せる。

 その方がきっと楽だ、と哲矢は思う。

 

 洋助の部屋を後にした哲矢は美羽子に案内されて、さっそく隣り部屋へと足を踏み入れた。


「夕食の準備ができたら呼ぶわ。それまではこの部屋でゆっくりしていてね」


「ありがとうございます」


 バタンッ。


 ドアが完全に閉まってしまうと、ようやく哲矢は心を落ち着かせることができた。


「ふぅ……」


 全体重をベッドへ預けて横になる。

 この殺風景な部屋にはベッド以外には学習机しか置かれていなかった。


(疲れたなぁ……)


 今日一日を振り返ってみる。


 朝早くに両親に見送られて地元の駅を出発し、昼過ぎには東京に着いた。

 そこからいくつかの電車を乗り継いで羽衣駅で降り、家庭裁判庁へ立ち寄る前に……。


(そうだ……)


 ブロンド髪の少女の姿を見たことを哲矢は思い出す。


「すげぇよな。東京にはあんな綺麗な子がいるんだもんな」


 彼女の笑顔が甦る。

 とても美しく洗練された微笑みを口元に宿していた。

 きっとお金持ちのお嬢様か何かで俺とはまったく違う生活を送っているに違いない、と哲矢は思う。


(……もう一度、会いたいなぁ……)


 そんなことを考えているうちに、哲矢はいつの間にか眠りに落ちるのであった。

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