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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
194/421

第194話 哲矢サイド-19

 それから間もなくして、新たな問題が哲矢の前に立ち塞がる。


(……まだかよ)


 ある一室の大きなソファーに座り、哲矢は腕時計を確認していた。

 テーブルを挟んだ向かいにも同様のソファーが置かれている。

 

 哲矢の左隣りには太々しく背に凭れる大貴の横顔がある。

 そして、少し離れた斜め左方向には、威風凛然<いふうりんぜん>の構えでデスクに腰をかける了汰の姿があった。


 この狭い室内に三人だけ。

 辺りを包むのは反吐が出るほどの重苦しい沈黙。

 

 時折、了汰が書類を整理する音が聞こえるくらいで、あとは落ち着きなく大貴が目の前のテーブルをコツコツと指で弾く音しか聞こえない。

 当然会話はなかった。


(……うっ)


 緊張で喉がカラカラに渇いていくのが分かる。

 ワイシャツとネクタイは汗でぐっしょりと湿っていた。


 正直、哲矢にとってこの状況はとても耐え難いものであった。

 その原因は、やはり了汰にある。

 同じ空間を誰かと共有するだけでプレッシャーとなることを哲矢はこの時初めて知った。


 とにかく、存在が圧倒的なのだ。

 だから、声をかけることにも躊躇してしまう。


 哲矢は了汰ときちんと挨拶することができなかったため入室してからしばらくの間そのタイミングを計っていたのだが、上手く掴むことができずそのままズルズルと今に至ってしまっていた。


 本来ならば大貴からの紹介があって然るべきなのだが、息子は父親と距離を取っているため目的の達成は絶望的であった。


(早く帰ってきてくれ……)


 こんな時だけ頼りにするのはズルいと自分でも思う哲矢だったが、小部屋を出てからまだ戻ってこない山北の帰還に期待せざるを得ないというのが現状であった。

 

「…………」


 了汰は動きに一切の無駄なく書類の束を片づけていた。


(やっぱりロボットみたいだよな)


 その動作はもはや感動するレベルの正確さであった。

 もしかすると、大貴は父親のこうしたスーパーマン的一面を不気味に感じているのかもしれない。


「…………」


 一方で大貴はというと、所在なげに相変わらずテーブルをコツコツと指で弾いていた。


 距離が近過ぎるからだろうか。

 幸いなことに今回は先ほどのように大貴が了汰に対して敵意をむき出しにすることはなかった。


 特に口を開く意思もないのだろう。

 ずっと下を向いている。


(まあ、ここで急に親子仲良く話し始めてもそれはそれで怖いけど……)


 彼ら親子の間には、宇宙の果てと果てを線で結ぶくらい人智を越えた距離が存在するような気がしてしまうのだ。

 そして、哲矢はそんな二人の関係がやはり気になる。

 

 少しだけソファーに凭れかかると、ここに至るまでの経緯が哲矢の頭の中で回想される。

 始まりは、密閉されたかご室の居心地の悪さからだった。






――――――――――――――






 最上階へ到達するまでのほんの短い間に、哲矢の神経は無駄なく削ぎ落とされていく。

 その空間は、橋本親子の不和に匹敵するほどの強力な磁場を形成していた。


 特に、外見は和解したように見せかけて自然な笑みを盾に話を切り盛りする山北は曲者で、内に秘めた感情もあえて相手に曝け出し、読ませている節があった。


 もちろん、大貴も負けていない。

 これまでの険悪な雰囲気はどこ吹く風で彼女との会話を楽しんでいるようであった。


 上辺だけで展開されるもはや茶番と呼ぶべき二人の応酬に、哲矢の精神は当然摩耗していく。

 重なって昨日から続くイレギュラーな事態の連続に哲矢の疲労はピークに達しようとしていた。


 緊張と興奮で今まで誤魔化してきたのだが、体は悲鳴を上げていた。

 

 そんなこともあって、エレベーターを降りてから途中廊下をどう辿って歩いたか、まるで頭に靄が覆い被さったように哲矢の記憶はあやふやだった。

 気がつくと、哲矢は市長室の応接間で棒立ちとなっていた。

 

 その後すぐ哲矢の視界に違和感ある人物が入り込む。


(――っ、大貴の親父……!)


 目の前には、ソファーに深々と腰をかける了汰の横顔があった。

 そのテーブルを挟んだ向かいには、高価そうなスーツに身を包んだ集団がいる。

 

 表敬訪問……と、哲矢は山北が話していた言葉をとっさに思い出した。


 その場にいる客人の数は四人。

 全員男だ。

 

 しかし、それよりも哲矢が気になるのは、その人数にも動じずに穏やかな話しぶりで会話を進める了汰にあった。

 議事堂での冷然たる態度が嘘のように表情豊かに頬を緩ませている。


 哲矢の隣りで並んで立つ大貴も、少し離れた位置で手を組む山北も、彼の言動に注視していた。


 また、了汰はこの空間で明らかに異質な存在である哲矢に対してもまるで気に留めることもなく、男たちとの話に夢中となっている様子であった。


 哲矢にとってそんな空間はとても異常に見えた。

 俯瞰で覗けば、普通の高校生が体験する世界を軽く凌駕していることが分かる。

 改めて大貴の送る日々が通常の次元とは異なることを哲矢は痛感せざるを得なかった。


 同時に、了汰に対する認識も哲矢の中で少しずつ変化し始める。

 色々と無責任なことを感じてきたわけだが、やはり自治体の長を務める者だけあってその人間性はどこか他者を惹きつける魅力があった。


 両親や地元の教師、洋助や美羽子のことは悪く言いたくないと思う一方で、了汰が普段接する大人たちよりもワンランク上の気品を持ち合わせていることに哲矢は薄々気づいていた。

 歩いてきた人生そのものが根本から大きく異なるのかもしれない。


 言葉使い、仕草、身のこなし。

 どれを取っても一級品に洗練されている。


(冷淡な面があるのも事実だけど……)


 笑顔を覗かせる彼の表情を見て、哲矢はようやく了汰が市民から支持されている理由が分かったような気がした。

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