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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
19/421

第19話 豹変する世界

 廊下では窓枠に背中をつけた社家が腕を組みながら待っていた。

 その表情はどこか硬い。

 何か嫌な予感を抱きつつ、哲矢は彼に声をかけた。


「先生。話ってなんですか?」


「……お前の体験入学は今日で終わりだったな」


「はい。そうですけど……」


「事後処理は家庭裁判庁の方で全部やってくれるみたいだから。今日は授業が終わったらそのまま帰ってもらって構わないぞ」


「そうですか。分かりました」


「それと、高島のことなら今日も休みだって聞いている。体調が悪いんだって?」


「なんか、そんなこと言ってましたね」


「けどよ。期間が少ないっていうのにもったいないよなぁ~。これで2日連続の休みだろ? わざわざアメリカから日本へやって来ているって話じゃないか。せっかく日本の学校に通えるチャンスだってのにな」


「はぁ……」


 何が言いたいのだろうか。

 社家はその後も取り留めのない話を一方的に続けた。


 用件があって話しかけている様子もなかったので、失礼しますと口にして早々に切り上げることも考えた。

 だが、彼の口調が普段のそれと微妙に異なることに気づき、哲矢はこの場を離れるタイミングを見失ってしまっていた。

 何か得体の知れないものが彼の内側からはみ出しているように感じられたのだ。


 調子の良いいつもの言動の影に隠れ蠢くものの存在に注意を払って耳を傾けていると、それは突然姿を現した。

 社家の本性というものが――。


「……まあ、どうでもいい話はこれくらいにしておいて」


 哲矢は続く彼の言葉を唾を飲み込んで待った。


 先ほどから嫌な汗が背中を伝っては落ちている。

 この春の穏やかな時期に似つかわしくない量の汗を哲矢はかいていた。


 社家の表情が変わる。

 その瞬間、廊下の空気が豹変するを哲矢は見逃さなかった。


「調査報告書だっけか。あれ、最後に書くように言われてるんだろ? そこに……ははっ、なんていうかな。えーっと、お前さぁ……。あんま調子に乗ったこと、書くんじゃねえぇぞ……ッ!!」


 社家の素早い右ストレートが哲矢の頬をすり抜けて風を切る。


「……ぃッ!?」


 その大声に生徒たちで賑わう廊下が静まり返る。

 だが、それも一瞬のことであった。

 まるで、こちらの存在を無視するように、生徒らはそれぞれの世界へと戻っていく。


(……こ、こいつッ……!)


 哲矢はあまりに突然の出来ごとに混乱していた。


 自分が社家に顔を殴られそうになったというのは分かる。

 けれどなぜ、担任であり主幹教諭でもある彼にそんなことをされなければならなかったのか。

 それが理解できないのだ。 

 

 社家は空を切った拳を引くと、いつもの笑顔に戻る。

 そして、「……忘れんなよ?」と一言だけ言い残し、廊下の奥へと消えていく。

 その言葉が哲矢の鼓膜に張りつき、リフレインしていつまで離れないのだった。




 ◇




 それから哲矢は、放心状態で授業を受けた。


 この場にいる誰もが敵に見えてしまうのだ。

 もはや、自分がこの席に着いている理由さえも分からなくなってくる。


 四時間目が終わると、哲矢は帰りのホームルームを待たずに逃げるようにして鞄を持って廊下へ飛び出した。

 もう限界だった。


 自然とその足は速くなる。

 一刻も早くこの学園から抜け出したかった。


 すれ違う生徒や教師すべての視線が自分へ向けられていると、哲矢は異様なまでに疑心暗鬼の状態に陥っていた。

 全員が口を揃えて『ここから出て行け!』と、唱えているように感じられてしまうのだ。


(こんな場所……こっちから願い下げだっ!)


 下駄箱までやって来ると哲矢の焦りはピークへと達する。

 震える手で上履きを鞄の中へ無理矢理押し込むと、哲矢は日差しが照りつける校舎の外へと向けて駆け出そうとした。


 しかし――。

 あと数歩で正面玄関を出るというところで、背後から小さな声が聞こえてくる。


「ま、待って……!! 待ってくださいっッ!!」


 こうやってギリギリのところで邪魔が入ってしまうのだ。

 そういう運命にあると納得するほかなかった。

 

「…………」


 聞き覚えのある女子生徒の声。

 振り返らずとも誰の声かは哲矢には分かった。


(……ダメだ。無視しろ……)


 哲矢は自分に言い聞かせる。

 この場から早く離れろ、と。

 ここに留まり続けることは誰のためにも良い結果は生まない。


(分かっている……。分かってんだよっ!)


 自分でも馬鹿なことをしているという自覚があった。

 それでも……。

 残り1パーセントの良心を哲矢は振り切ることができなかった。

 

 駆けつける足音が聞こえる。

 哲矢の足はそれ以上前には進まなかった。


「はぁっ、はぁ……待って! 待ってくださいっ……!!」


 肩越しから聞こえるその声を耳にして哲矢は思う。

 あと少しのところで鬼になり切れなかった。

 自分の負けだ。


 振り向いて、彼女――花と向かい合う。


「……ホームルーム。いいのか?」


「は、はいッ……。どうしても伝えたいことが……あるんですっ……!」


 そう口にする花の表情は真剣そのものであった。

 

「ついて来てくださいッ……」


 その強い言葉に反応するように哲矢の首は縦に動くのであった。

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