第189話 哲矢サイド-14 / 本会議 その3
哲矢は固定された劇場椅子をわざとらしく鳴らして立ち上がると、大きく伸びをして何でもない顔で話を切り替える。
「……でも、正直驚いたぞ。市議会ってなんだか分からなかったからすげー勉強になった。俺さ、政治とか全部教科書の中の出来ごとだって思ってたくらいだから」
口にしたことの半分は本音だった。
当然、白々しさが抜け切れていないことも自覚しており、大貴の耳にどう響いているか哲矢は不安だった。
(また、怒らせるかもな)
ふと、エレベーターでの出来ごとが哲矢の脳裏を過ぎる。
けれど、こうして能天気を装い、話の流れを断ち切らなければ、次こそ大貴がどういう行動を起こすか分からず怖かったのだ。
矛先が自分へ向くことで彼の滾るような怒りが爆発せずに済むのなら、哲矢にとってはまだ救われた。
だが――。
当の大貴は哲矢の声が届いていないのか。
すでに振り上げた指先はブレザーのポケットへと仕舞われ、今しがたの発言など無かったかのように再び1階へと視線を落としていた。
釣られるように哲矢も1階を覗き込むと、大貴が再度意識を奪われた理由が判明する。
(……あっ)
了汰が戻ってきたのだ。
彼は散会時にはいなかったスーツ姿の女を従えて適当な席へと腰をかける。
すると、それまで猥談に夢中だった議員のグループは了汰の姿を確認するなり、慌てた様子で四散していく。
当の本人はそんな者たちになどは目もくれず、隣りで直立する女と何やら真剣な表情で話し始めた。
了汰の背中を大貴の横に立ちながらなんとなく眺めていると、しばらくしてから哲矢はあることに気がつく。
(あれは……)
隣りに立つ黒のスーツ姿の女。
美しく整えたセミロングのヘアに見覚えがあった。
そして、よくよく顔を覗けば、その女は先ほど市長室で別れたばかりの秘書官その人であった。
彼女は大貴の時と同じように大きな手帳に目を落としながら何ごとかをすらすらと読み上げていた。
聞こえてくる内容から察するに、今後のスケジュールについて確認をしているのかもしれない。
そんな風に彼女の言葉に哲矢が耳を澄ませていると――。
(……っ!)
突如、秘書官の視線が哲矢へと向く。
一直線に放たれるその軌道に、哲矢ははじめ何かの間違いではないかと目を疑った。
だが、後ろを振り返っても傍聴室には哲矢と大貴以外に誰の姿もなく、彼女が意図してこちらを向いたのは明白であった。
なぜか、哲矢の中には〝こちらの存在は気づかれない〟という根拠不在の自信があったため、その分戸惑いは大きかった。
けれど、冷静に考えればこれは至極当然のことで、傍聴室から大会議室を寸分まで覗けるということはその逆もまた然りなのだ。
すると、哲矢の頭に先ほどの彼女の言葉がフラッシュバックする。
〝警備に連絡を……″
一切の容赦なく、彼女は行動に移そうとしていた。
また、彼女は目的のためなら他者を身代わりにすることさえも厭わない姑息な一面も持ち合せていた。
別れ際の大貴によるアクロバティックな行動の影に隠れて忘れそうになっていたが、これらすべて哲矢の脳にインプットされた紛れもない彼女の側面であった。
しかし、大貴にとっては日常の一部でしかなかったらしい。
それが何の合図なのかすぐに察したようで、哲矢と同じように立ち上がると、「お前はもう帰れ」と突き放すように言い残し、出口へと向かってしまう。
「は? ちょ、ちょっと……!」
突然、幕切れを宣告されたことで哲矢は動揺を隠せない。
(見せたいものってのはもういいのかよっ)
そう愚痴りたい気持ちで一杯だったが、体は自然と大貴の背中を追っていた。
未練がましさが習慣的に染み込んでしまったのかもしれない。
それと同時に後ろ髪を引かれる妙な違和感も覚える。
(ん……なんだ?)
まるで、残留思念とでもいうべき魔物に手招きをされているような気分であった。
少し迷った挙句、哲矢は吸い寄せられる方へ目を向けることにする。
その直後――。
哲矢の眼前にその解答が鮮烈に飛び込んでくる。
目に留まるのは椅子にもたれる了汰の姿。
この場所へ来て彼を見た時から薄々感じていたこと。
それは了汰の視線が一度もこちら側へ向かないということであった。
まるで、あえて2階を強く意識しているかのように。
一言で言えば、不自然なのだ。
大会議室からでも傍聴室の隅まで見渡すことができる。
ましてや、大貴を呼び寄せた張本人は了汰なのだ。
いくら職務を全うするために厳格な態度で臨まなければならないとしても、息子が見学に来ているか気になるのが親心じゃないのか、と哲矢は思う。
(やっぱり変だ……)
鬼の首切り落とす勢いの前のめりさと隠忍自重<いんにんじちょう>の精神を併せ持つ大貴。
外界の情報から切り離された無我夢想の境地で自らのテリトリーを守り続ける了汰。
親子の関係の歪さがそれらの行動に集約されているような気が哲矢はするのであった。




