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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
186/421

第186話 哲矢サイド-11

 哲矢は、開け放たれた議事堂の扉を潜り抜け、中へと足を踏み入れる。


 コツン、コツン、コツン……と。

 足音が波紋のように堂内に反響していくのが分かった。


(誰もいない?)


 中は薄暗くてしんと静まり返っている。

 こんな場所で桜ヶ丘市の命運を決める会議が行われているのかと、にわかに信じ難い雰囲気だ。


(あっ……)


 四方に意識を分散させていると、チンダル現象の奥に大貴の姿が哲矢の目に留まった。

 彼は上方の何かに気を取られている様子。


 哲矢も自然とその目線を追う。

 行き着く先には、奇抜なデザインの階段があった。


 まるで弧を描くブーメランが手元へと戻るように、内壁に沿って1階から2階まで緩やかに上昇するそのデザインには人を惹きつける不思議な魅力があった。

 それは、吹き抜けのフロアが一つの芸術として収まるほどの造形美で、哲矢は素直に感動を覚える。


 しかし、そんな感情の裏でまだ昼前だというのに堂内がどことなく薄暗いことに哲矢は引っかかりを覚えていた。

 そして、その違和感の糸口は2階に備え付けられた窓ガラスにあった。


(……なるほど)


 コンクリートの床をまばらに照らす僅かな光は、右手の窓からしか零れていないのだ。

 左側の窓ガラスからは一切の明かりが遮断されていた。


 おそらく、隣接する市庁舎が差し込む陽の光を遮っているからだろう、と哲矢は予測する。

 そんな光景を眺めていると、どこからともなく設計者の愚痴が聞こえてきそうであった。


 窓から差し込む明かりと吹き抜けの爽快さ。

 もしかすると、設計者は、そのような二つの相乗効果を狙って議事堂に温もりを取り込みたかったのかもしれない。


 だが、後設の市庁舎に不運にも妨げられる形で、本来の機能は石化したように眠りに落ちていた。

 造形美の影には、こうした負のドラマが確かに存在するようで、哲矢は途端に息苦しさを感じ始める。

 

「久しぶりだね」


 聞き慣れない第三者の声が耳に介入してきたところで哲矢はふと我に返る。

 声のした方に目を凝らせば、受付らしきカウンター。

 その横には【傍聴券交付所】と記された看板が立てられていた。


 カウンター奥のシルエットが浮き彫りになる。

 そこにいるのは灰色のスーツに身を包んだ熟年の女だった。


「ご無沙汰してまーす」


 調子よさそうに大貴が声を上げると、その女はくしゃっと皺を弾けさせ、笑顔で彼を出迎える。


「もう始まってるよ」

 

 酒焼けのようなしゃがれ声で捲くし立て、白い歯茎を覗かせながら彼女は人懐っこい笑顔をもう一度大貴に向ける。

 何年も前から付き合いがあるといった雰囲気の距離感であった。

 

「えっ! マジっすか?」


 まるで少年時代へタイムスリップしたようにワザとらしくおどける彼の横顔はやはり哲矢が初めて見る表情だった。


「っーたく、知ってて遅れてきたんでしょうが。ほら、早くこれに記入しちゃいな」


 そう言葉は強めの口調だが、受付の彼女は楽しそうに口元を緩ませ、一枚の用紙を大貴へと差し出す。


「ヘヘヘッ。親父には内緒にしておいてくださいよー」


「あんた。相変わらずの猫かぶりだね」


 大貴が紙に何か書き込んでいる間、やれやれといった風に肩をすくめてみせる彼女であったが、その表情はどこか嬉しそうでもあった。

  

 そんな二人のやり取りを傍から眺めていると、なぜだか哲矢は無性に腹が立ってくる。

 

(くそっ、またかよ……)


 その苛立ちは回りに回って自身へと突き刺さる。

 感情移入をし過ぎてしまったのだ。


 大貴の内情を知っていくうちに目の前の男は敵という認識は薄れ、代わりに〝友人″という刷り込みが徐々に哲矢を支配していた。

 あろうことか、嫉妬にも似た感情さえ抱いているのだ。


(ダメだ、近づきすぎちゃ……)


 このまま一緒にいれば、情が染みついてしまうのは火を見るよりも明らかであった。


 しかし、だからといってこのままこっそりと抜け出す明確な意志も哲矢は持ち合わせていなかった。

 そうして迷っているうちに、哲矢は再び見知らぬ者から声をかけられてしまう。

 

「――ん? ちょっと、そこのあんた」


 突然、責め立てるような鋭い声が響く。

 哲矢は心臓を一瞬ビクッと跳ね上がらさせた。


 声のした方を恐る恐る覗けば、カウンターに片肘をつけて身を乗り出し、哲矢を凄む熟年の受付事務員の姿があった。


「ハ、ハイっ!?」


 呼びかけが自分へ向けられたものだと悟った哲矢は、早く返事をしようと焦って声を上擦らせてしまう。


 やってしまった……という羞恥心を覚えるも、時すでに遅し。

 彼女は明らかに不審な目を哲矢に向けていた。


 住宅街の男、守衛室の警備員、市長室前の秘書官……。

 散々浴びせられてきたソレだ。


 哲矢は今日ほど自分の存在を疑問に感じた日はない。

 まるで、ライフルの標的にされたように哲矢は身動きが取れなくなってしまう。

 脇の下をびっしょりと濡らし、哲矢はただ時が過ぎるまでひたすら耐えた。

 

「…………」


 その忍耐力を買われたのか。

 女性事務員の顔がようやく綻びると、哲矢の受難は終わりを迎える。


「ったく、なに突っ立ってんだい。大貴ならとっくに行っちまったよ」


 彼女は首をひょいと上向け、目線で合図を送る。

 ちょうど階段を登り切ったデッキ部分に大貴の姿が見えた。


「追わないのかい」


「……あ、いえ……」


 自らの迷いを指摘されたようで哲矢は返答に困ってしまう。

 何と答えるべきか思案していると、女の下品な笑い声が飛んでくる。


「ハッ、どーせ無理やりここまで連れてこられたんだろ」


 乗り出した身を一度引き、カウンターの椅子に深く腰をかけると、彼女は何やら手元の書類を整理しながらケラケラと笑う。

 その姿は、役所のお堅いイメージとはかけ離れていて、スーツを着ていなければスナックのママと言われても信じてしまう自信があった。


「でもまぁ、あの子が誰かをここへ連れてきたことなんてないから。取り巻きは多いくせにね」


「は、はぁ……」


 そう気のない返事を装いつつも、哲矢は内心驚きを隠せなかった。


(仲間連中は大貴のこの姿を知らない……?)


 しかし、どこかでそんな予感があったのも確かであった。


 大貴が父親の前では猫を被っているのは想定内のことであった。

 その手前、悪友たちを連れてくるわけにはいかないのだろう。


 だが、そうだとしてもなぜ自分がここまで連れて来られたのか、哲矢には分からなかった。

 少年調査官としての立場は失われたとはいえ、仮にも大貴の事件関与を証明しようとしている立場にいるのだ。


 そんな人間をこんな場所へ連れ込んだら、不利になる情報を与えないとも限らない。


(……いや、待て。あえて、そうしている可能性もあるぞ……)


 その瞬間、大貴がここまで連れて来た本当の理由が見えたような気がする哲矢だったが、それは風に吹かれるようにすぐに消え失せ、あとには何も残らなかった。

 

「なんか意図があるんだろうね」


 熟年の受付事務員はまるで哲矢の心を見透かし、先回りして返事を用意していたかのように真面目な顔つきでそう呟く。

 ただ、それもその瞬間だけの表情であった。


「ほら、これに早く記入しな」


「えっ?」


 彼女は大貴に渡したのと同じ用紙を哲矢に突き出してくる。

 傍から見ると素っ気なく感じる態度も、今の哲矢には愛ある行動のように映った。


 難しく考えることはない。

 答えはいずれ明かされるのだ。


(なら……)


 哲矢は彼女に後押しされる形で決意を固めると、「はい」と口にしてから用紙を受け取る。


「氏名、住所、連絡先。ひと通り記入したら私に言いな」


 それだけ伝えると、彼女は興味を失ったように視線を落として仕事を再開させる。

 

 どうやら本会議を傍聴するには、受付を済ませる必要があったようだ。

 哲矢は言われた通りに個人情報を用紙へ記入すると、【傍聴券】と書かれた一枚の紙を女から受け取る。


 彼女にお礼を述べてから哲矢は急いで階段を駆け登るのだった。

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