第180話 哲矢サイド-5
市庁舎の正面玄関にはまばらながら来庁者の姿があった。
そこまで人が多くないのはまだ開庁して間もないからだろう。
(……あれ?)
だが、大貴は来庁者などには見向きもせず、脇にある通路の自動ドアを潜り抜けて先へと進んでいく。
しばらくは大人しく従うつもりでいた哲矢だったが、さすがに苛立ちが込み上げてきた。
大貴は目に入っていないのか、〝関係者以外立入禁止″と書かれた立て看板の間を無断ですり抜ける。
(おいおい……勝手に入っていいのかよ)
仕事の手伝いで何度か訪れたことがあるのかもしれない。
その足取りには迷いがなかった。
哲矢は気になってつい声を上げてしまう。
「ちょっと待てよ」
哲矢がそう言葉を投げかけても無視しているのか。
大貴が振り返る気配はない。
「待てって!」
つい語尾に力が入ってしまった。
「…………」
大貴はそれでようやく足を止める。
だが、振り返る彼の表情は、なぜ邪魔をするんだというような理不尽な苛立ちで満ちていた。
「どこへ行くつもりなんだよ。いい加減教えてくれてもいいだろ?」
大貴は暫しの沈黙の後、「ついて来れば分かる」と挑戦的な笑みを浮かべて哲矢の言葉を待たずにさらに先へと進んでいく。
「お、おいっ……!」
哲矢は慌てて彼の背中を追いながら、こんなのは対等な関係ではないということに気づく。
(俺はこいつの子分かよ)
やはり甘く見られているのだ、と哲矢は思った。
そして、この先に待ち受けているのは罠である可能性が高くなった。
こんな状況で大貴を信じることなど哲矢にはできなかった。
(ったく……なにやってんだ、俺は)
途端に自らの行いがバカらしく感じられてくる。
大貴に従ってこんなところまで来るべきではなかったのかもしれない、と哲矢は思った。
しかし、二人きりのこの状況は、又とない場面に遭遇するチャンスでもあった。
(そうかよ……。なら絶対に尻尾を掴んでやる……)
今は猫を被り喉元へ噛みつく機会をじっと待つしか、哲矢に選べる選択肢は残されていなかった。
通路をさらに奥へ進むと、守衛室が見えてくる。
(あっ……)
そこで哲矢はデジャヴを感じ、心臓をドキッとさせてしまう。
カウンターに腰をかける警備員の姿が見えたのだ。
昨夜、校舎へ侵入した際の情景が一気に哲矢の脳裏を駆け抜ける。
だが、当然のことながら目の前にいる警備員はまったくの別人であった。
哲矢は動揺を見透かされないように大貴の影に隠れて歩みを進める。
「お疲れさまっすー」
大貴がカウンターに向けて元気よく声をかけると、警備員は顔馴染みなのか親しそうに手を挙げる。
「あーどーも!」
彼と警備員は親子ほどの歳の差が開いているように見えたが、そのギャップも感じさせないほど二人は楽しげに会話を弾ませた。
哲矢は再び大貴の知らない一面を目の当たりにすることとなる。
警備員は机の引き出しから一枚の紙を取り出してそれを大貴に差し出す。
大貴は器用に会話を続けながら、受け取った用紙に何やら細々と書き込んでいった。
そんな様子を哲矢は少し離れた位置で眺めていた。
もしかすると、入庁に関する事項を記入しているのかもしれない。
大貴の背中を見つめながらそんなことを考えていると、カウンターの奥から顔を覗かせるもう一人の警備員の姿に哲矢は気がつく。
その男は、大貴に対応している警備員よりもひと回り若く、強筋を主張したアスリートのような体格をしていた。
哲矢はとっさに身構えるポーズを取ってしまう。
すると、その行動が疑わしいと捉えられてしまったようで、恰幅のいい警備員は哲矢に向けて高圧的な言葉を投げかけてくる。
そこには虎の威を借りる狐のような小心者のルーティンが介入している節があった。
「そこの君」
まるで、検品にでも通されるような嫌らしい視線を哲矢は感じる。
学園をサボってこんなところに来ているわけで、当然後ろめたさは哲矢の中にあった。
なんでも知ってるぞと指をさされているようで、誇張された態度と知りながらも哲矢は謂れのない緊張を走らせることになる。
「……お、俺ですか?」
自分では精一杯冷静な態度を取ったつもりでも、気持ちとは裏腹に声は上擦ってしまう。
書くことに集中していた大貴もそれに気づいたようで、哲矢の方へ顔を向ける。
再び目を合わせる彼の瞳からは、やはり温度が感じられなかった。
もしかするとこれが罠だったのかもしれない、と哲矢はとっさに不安となる。
けれど、そう思ったのも一瞬のことで……。
若い警備員は思わせぶりな態度など忘れてしまったかように、何ごともなく一枚の用紙をカウンターに差し出す。
それで哲矢は状況をすべて理解した。
「君もここに名前と連絡先を書いて」
男は哲矢と大貴を見比べて、笑顔を作る余裕さえ見せる。
従順な舎弟とでも判断されたのかもしれない。
そこにまた男の嫌らしさを感じつつも、哲矢は黙ってそれを受け取り、大貴の隣りに並んで項目を埋めていく。
チラッと覗いてくる大貴の表情はなぜかにやけ顔であった。
(な、なんだよっ)
からかわれたのだということを哲矢は瞬時に理解する。
(でも、まあ……)
大貴にまだユーモアな一面が残されていることは悪い気はしなかった。
寄せては返す波のように、微妙な距離感を行き来しているうちに、大貴の本心へと迫れるようなそんな予感が哲矢にはあった。




