第18話 もう誰とも関わらないと決めた
時間帯が遅いこともあり、昨日のように通学途中で花と会うこともなかった。
計算通り5分前に教室へと到着する。
相変わらずここへ来るまでの間に容赦ない視線を感じたが、哲矢はそれを無視する術を通学3日目にしてようやく身につけていた。
そして、一つの事実にも気がつく。
彼らは集団で視線を投げつけることしかできないのだ。
精神的に追い詰めようとするだけで、肉体的なアクションを起こしてくるわけではない。
それが分かると大分気が楽になった。
気にするだけ無駄というやつだ。
(よくもまあ飽きもせず、毎日仲がいいことで。感動するぜ)
すべての生徒がそうであると断言するわけではなかったが、やはりこの学園に根づく排他的意識の共有は相当なものだと認めざるを得なかった。
それはきっと今の生徒たちだけの責任ではない。
道を示した先人が必ずいるはずなのだ。
姿の見えないフィクサー。
それは本当に人間の形をしているのだろうか?
哲矢にはこの街全体がそれを作り出しているように思えてならなかった。
教室の中はやはり空席が目立った。
この時間にも来ていないということは、メイを含めてかなりの生徒が休んでいるということなのだろう。
そして、真っ先に哲矢が姿を探したのは花の存在であった。
彼女はすでに教室の窓側後方の自分の席に着席していた。
一瞬、彼女と目が合うが、哲矢はすぐにそれを逸らしてしまう。
(気にかけてくれるのは嬉しいけど……)
俺は今日でこの学園を去るのだ、と哲矢は思う。
これ以上の関係を持ったとしても後々面倒になるのは明白であった。
(ごめん……)
気が引けるのは確かだ。
でも、そうせざるを得ない。
(大丈夫……。いつも通りにすればいいんだ)
哲矢は心を空っぽにして自分の席に着く。
すると、予想通り花が振り向いて話しかけてきた。
「おはようございます。今日は遅いんですね」
「ああ……。おはよう」
「高島さんは今日も一緒じゃないんですか?」
「ん? うん……」
「あっ、そういえば。昨日駐車場の場所分かりました?」
「……悪いけど。ちょっと予習したいから」
「えっ……」
哲矢は鞄から教科書を取り出すポーズを取ると、勝手に会話を切り上げてしまう。
花の困惑した表情が視界を過るが、彼女はやがて諦めたように前に向き直った。
きっと、昨日の放課後も同じような態度を取ってしまっていたのだろう。
こちらは覚えていなくとも、された側はきっと忘れない。
それでも哲矢は「仕方ないんだ」と自分に言い聞かせて、花のことを頭から追いやった。
すると、その時――。
周囲の席でひそひそと話す女子たちの声が哲矢の耳に入ってくる。
(またか……。無視だ、無視)
頭の中でそう呪文を唱え、教科書に神経を集中させようとする哲矢だったが、その声にちょっとした違和感を抱く。
何か引っかかるものを感じて彼女らの会話に少しだけ耳を傾ける。
やがて、その違和感の正体が判明した。
彼女らは哲矢ではなく、花のことを話題にして、ひそひそと話し合っているのだ。
哲矢は教科書で顔を隠しながら花の背中をそっと覗き見る。
肩はその声に反応するように、ビクッと小刻みに震えていた。
そんな大げさなものじゃない。
よく観察していないと見逃してしまうほどのものだ。
(そういえば……)
哲矢は昨日の朝花が口にした言葉を思い出していた。
『――だから、私も最初は苦労しました。途中からクラスの輪の中へ入ることに』
そうだ。
彼女は確かにそう言っていた、と哲矢は思う。
昨日までの2日間を振り返ってみても、花が他のクラスメイトと話をしているところを哲矢は見たことがなかった。
その瞬間、哲矢の脳裏に閃光が駆け抜ける。
(ひょっとして……)
使命感のような感情に突き動かされる形で、気づけば哲矢は椅子を大きく引いて立ち上がっていた。
ガシャンッ!!
突然の大きな物音に周囲のざわめきは一瞬にして静まり返る。
教室中の視線が一斉に哲矢へと集まった。
だが、花だけはこんな近くに居ながらもその音がまるで耳に入らなかったかのように、静止したまま机に張りついていた。
そんな彼女の背中はとてもか細く見えるのだった。
哲矢は何か言葉を絞り出そうと試みる。
「……っ……」
だが、結果的にそれは失敗に終わる。
この瞬間、哲矢は自分のした行為が余計なお節介であったことを悟った。
そして、こんな絶妙なタイミングで社家が教室に姿を見せる。
室内に張り巡らされていた静寂をぶち破るように、大声を上げながら教壇へと上がった。
「おーしっ! 席に着けぇ~! ホームルーム始めるぞ……ってなんだぁ? お前ら、どうした?」
教室の空気がいつもと何か違うことに気づいたのだろう。
訝しげに目を細める社家であったが、ここからのクラスメイトたちの行動が早かった。
まるで、何事もなかったかのように、彼らはそれぞれの席へと着席する。
「……よし。それじゃ、朝の連絡事項を読み上げるぞぉ~」
普段と変わらぬ連携を見て社家も安心したのか、彼は特に何かつっこむことなく恒例の連絡事項の報告へと移った。
結果的には社家の登場で救われたのかもしれない。
これでよかったんだ、と哲矢は思う。
花のクラスでの立ち位置については確かに気になったが、それを知って一体何の意味があるというのだろうか。
哲矢は今しがたの自分の行動を冷静に振り返る。
なぜ、花から距離を取ろうとしながら、彼女を助けるような真似をしてしまった
のか。
(……バカらしい。俺は今日でこの学園を去るんだ。もう誰とも関係ない)
そう思うと胸がスッと軽くなるのが哲矢には分かった。
その後、社家の話は続くも、彼の口から今日で哲矢が学園を去るという旨がクラスメイトに伝えられることはなかった。
点呼の際も昨日と同じようにメイの出欠に関してはスルー。
防犯訓練実施についての話や進路希望書の提出を促す話を少ししただけだ。
これでは花が体験入学期間満了の事実に気づくこともないだろう、と哲矢は思う。
そして、すぐに忘れるはずだ。
自分のクラスに体験入学をしにやって来た二人の生徒がいたことを。
やがて、彼女は思い知るかもしれない。
この世には、好意を持って接しても、その対価を支払わない人間がいるという事実に。
それは、この先の彼女の人生においてどのような影響を与えるだろうか。
(……知ったことか)
酷いことをしているという自覚はもちろんあった。
けれど、昨日の朝そうしたように哲矢が花の手を引いてこの場を離れることはない。
もうすべては意味のない行為であると気づいてしまったからである。
哲矢の頭の中にあるのは、今日一日をどうやって無難に過ごすかということだけであった。
「……それでは本日のホームルームを終了とする。委員長、号令っ!」
学級委員長の女子が号令を唱える。
すると、生徒たちの話し声は復活し、教室に騒々しさが戻ってきた。
花もそんな光景の一部と同化し、下手に悪目立ちしないように姿を溶け込ませているように見えた。
「お~い。関内ぃ~!」
その時、哲矢は教壇の上にいる社家に声をかけられる。
「はいっ?」
「ちょっと話がある。こっちへ」
社家は手招くジェスチャーをしてから教室を出ていく。
おそらく、この後の手続きか何かについての話があるのだろう。
哲矢は花の背中に一度目を向けると、社家の後に続くようにして教室を出るのだった。




