第178話 メイサイド-12 / メイと将人 その3
メイは腕時計に目をやった。
制限時間は残り半分を切ろうとしていた。
(……っ。分かってるわよ……)
ドクドクと鳴り響く心臓の音がうるさい。
このままダラダラと実りのない会話を続けても平行線のままだ。
何かきっかけがほしかった。
ガタッ。
その時、静寂の部屋に小さな物音が響く。
メイと将人はほとんど同じタイミングで音がした方へ目を向けた。
(あっ)
メイはパイプ椅子から立ち上がる女性教官と目が合う。
その表情はどこかじれったそうで落ち着きがない。
今まで将人との会話に気を取られていたこともあり、メイは彼女の存在をすっかり忘れてしまっていた。
あれだけ注意しなければならない、と警戒していたにもかかわらずだ。
自責の念は何度もメイを波打ち際へと誘う。
(くっ……)
何か迂闊なことを話してしまったかもしれない。
女性教官の迫り来る圧が予感に後押しを加える。
(マズいわ)
ここで将人との面会を終えることだけは絶対に避けなければならない。
メイに残された道は、観念して詰め寄られる覚悟を決めることしかなかった。
しかし――。
次に女性教官が取った態度はメイの予想を大きく裏切るものであった。
彼女は手首を指さして時間がないとのポーズを作ると、「もっとお互い愛をアピールしなきゃ」となぜか若干苛立ち気味な声を上げる。
「……は、はぃ?」
意図しなかった言葉にメイは思わず間抜けに口を開けてしまう。
さらに、女性教官は心配そうに「あなたたち、本当に話したいこと話せてる?」と続けた。
将人も同様、意味がよく分からなかったのか、不思議そうに顔を傾げる。
メイと将人の煮え切らない態度に、彼女の怒りはついに沸点を迎えたようだ。
以後、女性教官は遠慮なしに言いたいことを捲くし立ててくる。
「あのね、さっきからなにそのよそよそしい会話。もっと嬉しそうにしなきゃダメよ。夫婦なんでしょ、あなたたち」
夫婦という言葉にメイの心臓は一瞬ドキッと跳ね上がる。
けれど、彼女に他意がないことにメイはすぐに気がつく。
単純にもどかしい関係を気遣っているのだ。
それもそのはずで、会話の主導はほとんどメイに委ねられており、将人からの切り出しは皆無であった。
頭のいい彼女のことだ。
その理由に自分の存在があると勘違いしても不思議ではない。
女性教官は苛立ちの態度から一転して明るく笑顔を覗かせると、驚くべきことを口にする。
「残りの時間、二人きりにしてあげるから。話したいことがあれば今のうちに話しておくように」
そう言ってはにかむと、彼女は将人の背中をポンと叩いた。
「……えっ、ちょっと……」
将人の反応は速かった。
メイがその意味を飲み込む前に、彼は床を引き摺る音など気にする様子もなく椅子から勢いよく立ち上がる。
「あ、あの……!」
将人が大声を面会室に反響させる頃にはすべてが決着を迎えていた。
不器用な懸命さを初々しさと変換して捉えたのかもしれない。
女性教官は、彼のリアクションに満足した様子で手を振って小部屋を後にしていた。
その始終をメイは唖然と眺めていた。
職務を放棄してまで席を外してしまう豪快さに驚きつつも、メイは彼女が口にした先ほどの話を思い出す。
(あれは本当の話だったのね)
〝学生の頃、刑務所に入った彼氏と付き合ってたことがあったの〟
彼女は確かにそう言っていた。
(間違っていたのは、私の方だったんだ)
メイは無意識のうちに他人を選別していた自分の姿を知る。
それは、とても恥ずべき行為のように思えた。
人の価値を物差しで測ったりなどすべきではなかった、とメイは学ぶのだった。
「…………」
「…………」
後には、机に向かい合った無言のメイと将人が残された。
退席した女性教官の残り香が面会室を支配する。
将人も迷っているのか、この後どうすればいいか分からないといった様子で、女性教官の去ったドアをじっと見つめたまま立ち竦んでいた。
その姿は、これまでの将人の中で一番本物の彼に近いようにメイには見えた。
この先に訪れる未来をすでに予見してしまったのかもしれない。
そして、メイは思う。
最大のチャンスが訪れた、と。
自らの卑劣さを認めた上で、やはりここでやめるわけにはいかないとメイは結論づける。
(反省はあとでたっぷりするから)
心に決めた後のメイは強い。
もう迷いはなかった。
(悪いけど……ここで終わりにさせてもらうわ)
椅子に座ったメイは、立ち上がたままの将人を見上げる。
「……っ……」
無常にも将人にできるのは、嗚咽のような小さい悲鳴を漏らすことだけのようだ。
メイの醸し出すオーラが今までと明らかに異なることに恐怖を抱いたのかもしれない。
緊張で将人の顔が強張っていくのをメイは確認する。
その弱みを利用するようにメイは導入を省いて単刀直入に口火を切った。
「……訊きたいことがあるの」
室内の空気がピンッと張り詰める瞬間であった。




