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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
172/421

第172話 メイサイド-6

 徐々に外の景色が流れ始める。

 どうやら朝の通勤渋滞は抜けつつあるようであった。


 タクシーは郊外の下道を進んでいく。 

 再会の喜びがひと段落すると、話題は花と哲矢がマルチメディア室を抜け出した後の話に移行した。

 

 無事に素材を持ち帰れたという二人は、花のマンションで一晩を明かしたのだという。

 泊ったという事実に反応してしまいそうになるメイであったが、今はそれどころではなかったので余計なことは訊かないことにした。


 また、筆跡鑑定の進捗は思いのほか難航しているようであった。

 だが候補者は絞られている、と花は断定調で口にする。

 

 この後は授業の間を利用して作業を進める、と花は話を締め括った。


「…………」


 スマートフォンに耳を傾けながら、メイは自分の話をするタイミングを見計らっていた。

 チラチラと遠慮なしに覗いてくる運転手の存在が気になったが、ここを怠るわけにはいかない。

 次にどのタイミングで連絡を取り合えるかが分からないからだ。

 

 メイは二段階くらい声のボリュームを落とすと、昨夜別れた後の出来ごとを話し始める。


 職員室に資料を戻した後、マルチメディア室へ向かう警備員を見つけて後をつけたこと。

 その後、逆に見つかってしまい、身柄を桜ヶ丘中央警察署へ移されたこと。

 留置場で一晩明かし、今朝美羽子が迎えに来たこと。


 哲矢の囮となったことや早期に釈放となった理由についてはメイは伏せておくことにした。

 自分を誇示ようで嫌だったのだ。


 そんなことよりも今重要なことは、将人の証言を得るために暁少年鑑別局へ向かっているということであった。


 昨日は突然宿舎へ戻る結果となったが、今回こそ将人の面会をする。

 メイは包み隠さずにそれを花に打ち明けた。

 彼女が事件以来、将人と向き合えていないことを知りながら。

 

『やっぱり、将人君に会いに行くんだ』


 その話を聞いた花は、案の定、将人のことが気になる様子であった。


「ええ。昨日行けなかったからね」


『そっか』


 口ぶりは残念そうだが、〝私も行く″とは決して言わない。

 まだ気持ちの整理がついていないのだろう、とメイは思う。


(でも、それじゃダメよ。ハナ……)


 疑いを持ったまま計画に臨んでも良い方向には転ばない。

 けれど、メイはあえてその言葉を口にしなかった。


 他の誰よりも花自身が一番そのことをよく分かっていると知っているからだ。

 あとは彼女の問題であった。


「マサトから裏づけの証言をICレコーダーに取ってからそっちに向かうわ」


 そう簡潔に唱えると、花は自分を無理やり納得させるように『う、うん……』と短く答える。

 

 それから花は慌てて話題を切り替えるように突然大きな声を上げた。


『あっ、そうだ! もしこっちに来るのが間に合えば、メイちゃんも一緒に麻唯ちゃんの見舞いに行かない? 昼休みに哲矢君と行くことになってるんだ』

 

 少し上ずり気味のその声を聞いてメイは思う。


(マイには会いに行けるのね……)


 つい先ほどまで花に対して感動を覚えていた自分がもういないことにメイは気がつく。

 上がり下がりの激しい自分の性格も嫌いだったが、問題から逃げようとしている花の態度も嫌いだった。


『校門の前で合流ってことで、どうかな……?』


「分かったわ」


 だが、メイはそれも指摘することなくすぐに同意を示す。


(ここであれこれ言っても意味はないから)


 凝り固まった感情はすぐには変えられない。

 それが簡単にできれば、花も思い悩んだりはしないだろう。


 彼女にはやるべき仕事がある。

 筆跡鑑定の結果が犯人を追い詰める手立てとなるはずだから。

 今はそれに専念してもらう方が先決と言えた。

 

『ありがとうっ! それじゃ、そっちはよろしくお願いしますっ♪』


 花がそう口にするタイミングでタクシーは暁少年鑑別局の門前に到着する。


 まだ哲矢の現状など気になることもあったが、花の話を聞く限りひとまずは心配なさそうだ、とメイは思う。

 敷地内へ入るにようにメイがバックミラー越しにジェスチャーで指示を出すと、中年の運転手は口元を緩ませながら素早いハンドルさばきで車を再発進させた。


「ええ、任せておいて。もう着いたみたいだから一旦電話切るわね」


『はぁーい』


 それからタクシーは駐車場の枠内へ見事に収まる。


(…………)


 しかし、それを見届けてもメイはなかなか電話を切ることができずにいた。


『メイちゃん?』


「――ん、っと……」


 この場合、何と言って締めればいいのか。

 メイはこうした場数の経験が圧倒的に少なく、模範となる回答がすぐに出てこない。


 ハザードの規則的な点滅音が徐々にメイの焦りを掻き立てていく。

 こういう時は決まっていつもメイは自らの青春を呪った。


 あまりに俗世と離れた生活を送ってきてしまった。

 同年代の同性に何と言って励ましの声をかければいいのか、それすらも分からないのだ。

 

(……うっ……)


 時が経つにつれて思考の糸は絡まっていき、ついには思いもしない台詞を口にしてしまう。


 〝これは私のキャラじゃない!〟

 そう思った瞬間には、時すでに遅し。


「その……そ、そっちも気をつけるのよっ。私はいつでもあなたを大切に思ってるんだから」


『えっ?』


「じゃ、じゃーねっ!」


 驚く花の声を最後に、メイは気恥ずかしさのあまりそのまま通話を終了させてしまう。


(なっ……なに言ってるのよ……私っ!)


 ぶっつけで出たそんな言葉が花の心に届いたとは到底思えなかった。


 通話の切れたスマートフォンを握る手が熱い。

 徐々に顔が火照っていくのが分かった。


 その一部始終を見届けていたであろう運転手は脂ぎった二重顎を擦りながら、にやにやと気持ち悪い笑顔を作りながら振り向いてくる。


「いやあ~。お嬢ちゃん、随分、上手いことやってるみたいだねぇ」


 赤面ながらに運転手を睨みつけると、メイは一万円札をぶっきら棒に渡す。


「ンハハッ、彼氏さんによろしくね~」


 去り際、窓を開けて手を振る運転手の的外れな声が快晴の空に大きく響き渡るのであった。

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