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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
163/421

第163話 花サイド-12 / 花の過去 その1

 ハリケーンに巻き上げられた古材が突如小さな集落を襲撃するように。

 原始の本能に翻弄される花だったが、力を受け流すことは可能なように思えた。


(そう、自然に任せて……)


 制御することが難しければ、逆らうことなくその意思を尊重すればいい。

 花は、膨大な情報が錯綜する脳内で、外へ放たれるまでの順路を辛うじて弾き出す。


 まるで、水平線を見渡せるサバンナで、百獣の王に一縷の反撃を窺う小動物に扮する気分だった。

 察するにチャンスは一回。


 外せば、比翼は失われ、コントロール不能のまま管制へと追突する恐れがあった。

 ドミノよろしく共倒れだ。

 例えるなら、ここはコインの世界。

 

 表か裏か。 

 同時に成立することはあり得ない。

 

 再び闇へ落ちるのなら、それは不離一体である。

 ゆえに失敗は許されない状況であった。

  

 だから、花は劣者を装いつつも、慎重になることを忘れない。


(――来たっ!)


 その時、けたたましく音をかき鳴らし、地中を猛スピードで突進する黒い影があった。

 花は、縦横無尽に這い回る物体の軌道を正確に捕捉する。


(ここっ!)


 狙いを定め、地表を大味に炸裂させる。

 目標は見事宙へ放り出された。


 その巨体は輝く太陽の光と重なり、強烈なイメージを花へ植えつける。

 〝彼女〟は、優雅に尾ひれを振ると、そのまま天上へと向けて昇天していく。


 長い間、底で燻り続けてきたもう一つの感情だ。

 花は自らの手で〝彼女〟の舞台を整えることに成功する。


 やがて、嵐は終息へと向かい、時折雨雲が乾いた大地を湿らせてはどこか遠くへ消えていった。 

 緑生い茂る地上の予感に包まれつつ、予定調和のもと再生は始まる。


 きっと、この先も同様のことが何度も繰り返されて惑星は死滅へと向かうのだろう、と花は思う。

 悲観ではない。

 事実なのだ。


 一度、病を知った体は、その呪いから逃れられないように。

 いくら注意したところで結果は変わらないことだろう。

 

 そのことは花自身が一番よく分かっていた。 

 抱え込んでしまう性格なのだ。

 だからこそ……。


(たまには、顔を会わせたいな)


 少しでも意思の疎通ができれば、対処のやりようもある。

 お互いまだ名前すら知らないのだ。


 顔の見えない文通相手に手紙をしたためる女学生のように。

 そんな光景を夢見ながら、花は一旦、幕から消える段取りを組む。

 ここから先は〝彼女〟のステージが始まろうとしていた。

 

 しかし――。

 

 それからしばらく経っても〝彼女〟は戻らなかった。

 表へ出る準備に手間取っているのかもしれない。


 退場は交代によって成立するため、花は〝彼女〟の到着まで待つ必要があった。

 気分転換に、舞台袖へと移った花は、今までスポットライトを浴びてきたステージを何気なしに眺める。


 別角度から臨むことで、客観性が生まれ、他者の瞳に自分がどのように映っていたかを花は学習する。

 まるで、俯瞰から全身を覗かれている気分であった。


 こそばゆくもあり、どこか微笑ましい。

 そんな感情の揺らぎはなぜか花を遠い過去へと誘う。






――――――――――――――――





 

 意識を戻した時……。


(ここは)


 花は書道展の会場に収まっていた。


(あっ)


 見覚えのある懐かしい風景。


 パネルに張られた半紙の海。

 その中で一際輝く金印つきの作品。


 進級が間近に迫った小学五年生の冬。

 悴む手と白い息。

 数年に一度の大雪。


 そんなものが花の脳裏へ鮮明に炙り出される。

 

 その年。

 『自由な子』と、達筆に書かれた書初めが周りの大人たちを唸らせた。

 市営審査団の目に留まったそれは、小学校高学年の部〝教育長賞〟を受賞する。


 当時、母に勧められるがまま、花は渋々筆を握った。

 その頃の花はというと、他の子よりも何か秀出た経験をしたことがない、所謂どこにでもいる平凡な女の子であった。


 勉強も、スポーツも、美術も……。

 どれもパッとしない。

 習いごとにも行かされたが長続きはしなかった。


 花の母親は、10歳そこらの少女に過剰なくらいの期待を寄せていた。

 他の家庭の子供よりもどこかで優れていたい。

 普段は優しい母であったが、そんな俗物な一面も持ち合わせていた。

 

 小学校高学年になると、いよいよ花の母はなりふり構わずという状態になる。

 日に日に、花へ対するハードルは高まっていく。


 卒業も見え始め、成果が見えない花に焦りを感じ始めていたのかもしれない。

 特に厳しく叱られるということはなかったが、無言の圧が徐々に花を苦しめることとなった。

 

 展覧会へ作品を送ったことも、そんな流れの一つに過ぎなかった。

 今まで書道教室へ通った経験もなく、授業で特に褒められたこともなかったので、受賞の知らせを聞いた時は、花は信じられない思いであった。


 課題は〝漢字を含むこと〟としか制約がなかった。

 理想の自分に対する皮肉のつもりで『自由な子』と書いた。

 母への当てつけの意味も込めていた。


 雁字搦めに縛りつけられている現状。

 抜け出せない母の拘束。


 まさにこの時、花は自由になりたかった。

 少しばかり早い反抗期。


 当時の花にとって母の期待は、プレッシャーであると同時にストレスでもあった。

 表面上は、従順な娘を演じていたため、こうして間接的に一矢報いる以外の方法は他に存在しなかったのである。

 

 しかし、そうした個人的感情を抱えながらも、いざ半紙に筆を下ろしてみると、授業とは違い、筆は踊るように跳ねた。

 予想もしなかった腕の躍動に笑みが零れたのを花は今でも記憶している。


 抑制のない状況で、墨汁を擦り、筆を握ることがこんなにも胸を高鳴らせるとは……。

 いつまでも書いていられる。

 その時の花は半紙が尽きるまで自由に筆を振り続けた。


 そんな感動のもとに生まれた作品の提出は、花にとっては一回限りの記念のつもりであった。

 翌日には出品したことさえ忘れていたほどなのだ。

 だが、それは大人たちの目に留まることになる。


 花の人生を大きく変えた瞬間であった。

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