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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
160/421

第160話 花サイド-9

 花は小菅ヶ谷の言葉の意味がすぐに理解できなかった。


「(え、えっと……なにをでしょうか?)」


 声はとても間抜けに響いた。

 さすがにそれで状況を察したのか。


 彼女はもう少し噛み砕いて説明を加えてくる。

 けれど、その優しさが花にさらなる混乱を与える結果となった。


「(関内さんがTwinnerで問題を起こしたこと……)」


「えっ……?」


 その話しぶりがあまりに自然だったため、花は思わず耳を疑ってしまう。


(小菅ヶ谷さんはTwinnerの件を知ってた?)


 それは別段不思議な話ではない。

 むしろ、クラスで知らない者を探すことの方が難しいだろう。

 

 そうではなく、花は別の箇所に強い引っかかりを覚えていた。


(なにが気になるの……?)


 花は、昨夜から立て続けに起きた出来ごとを頭の中で高速に整理し、不明瞭な点を洗いざらい調べていく。


 自分のことで精一杯だった夜。

 その影響で今朝の挨拶もどこかふわふわとしていた。

 教室に戻ると、社家が哲矢とメイの退学を告げて、花は翠たちの信用を失った。


(あっ……)


 順番に回想を進めていると、ふとした疑問が浮かんでくる。


(じゃなんであの時、なにも言ってくれなかったの?)


 今朝、彼女と会った際、これといって会話は生まれなかった。

 多分、話す機会はあったはずだ。

 それにもかかわらず、今に至るまで彼女の口からこの話が出ることはなかった。


(……私たち……)


 ということは当然、他の二人もTwinnerの件を知っていることになる。


(追浜君も、知ってたんだ……)


 花は昨夜の出来ごとを思い出していた。

 筆跡鑑定の作業に追われつつも、花は翠へのLIKEを忘れていなかった。


 内容自体は他愛ないもので、今朝の集合時間の確認というものであった。

 既読はすぐについた。

 了解する旨のスタンプを返ってくる。


 もし、彼がこの時点でTwinnerの件を知っていたのだとすれば――。


(いや、そうじゃなくて……)


 この時、すでに翠は知っていたのだ。

 では、なぜ何も訊いてこなかったのか。


 普通なら騒ぎになる。

 どうして哲矢は自らの正体をツイートしなければならなかったのか。

 むしろ、こうした疑問をぶつけてこないのは不自然であると言えた。


(あえて言わなかった、ってことなのかな?)


 もしかすると、翠によるジャッジはすでにこの時から始まっていたのかもしれない、と花は思う。


(私から言ってくるのを待ってたの……?)

 

 花はハッとする。

 小菅ヶ谷との秘密の話は、いつの間にか残りの二人にも伝わってしまっていたようだ。

 翠と野庭がじっと花に目を向けてくる。

 

 急に寒気が花を襲う。

 何か言わなければならないのに震えで思うように口が開かない。

 今日、何度も体験してきた葛藤だ。


 結局、謝罪の言葉一つ言えない自分に花は深い嫌悪を抱く。

 こうして花が平然としていられるのも、他者の許しがあるからこそだ。

 今回もそう――。


 不穏な空気を読み取ったのだろう。

 先に翠から頭を下げられてしまう。

 その精神は、見事なまでに花の脆さの対極にあった。

 

 〝あとは自分が話す〟とでも言うように、翠は小菅ヶ谷に片手を挙げて合図を送る。

 その挙動を見て花は理解した。

 これ以上、彼は茶番を続ける気がないということを。


「川崎さん。今まで黙っててゴメン……。僕らは関内君が起こしたTwinnerの件を知ってたんだ。昨日の放課後、部活で学園に残ってたから騒ぎが耳に入ってきたんだよ」


「…………」


 さすがにこのタイミングでそれをやったのは哲矢じゃないと花は言えなかった。

 若干興奮気味に翠は続ける。


「でも、分かってほしいのは、黙っていたのには理由があるからなんだ」


 熱を帯びるその声を受けて、花はいよいよこれから先に続く言葉を受け入れる準備をしなければならなかった。


「もちろん、関内君がどうしてそんなことをしたのか知りたかったよ。だけど、昨日川崎さんからLIKEを貰った時、その件についてなにも触れられてなかったから、事情があるんだって思って訊くのをやめたんだ。タイミングがくれば、きちんと話してくれるだろうって思ったから」


 花の世界が大きく歪んでいく。


(あぁ……)


 彼の純粋な言葉を前に思わず目が眩みそうになるが、花はその言葉の一つ一つから逃げ出すことはなかった。

 これは現状を招いた自分への罰なんだ、と花は自身に言い聞かせる。


「だけどさっき、社家先生が関内君と高島さんが退学になった言うの聞いて理解したよ。他にもなにか隠しごとをしてるんだって。高島さんも一緒に辞めるのはおかしいから」


 翠はそこまで話すと、興奮を一旦抑えるように湯のみに口をつける。

 これまで見たことのない翠の積極的な姿に、花は圧倒されて言葉が出なかった。


 早く謝って楽になりたい。

 情けないところそれが花の本音であったが、ここで話の腰を折るわけにはいかなかった。


 そんなことをすれば、関係はこれ以上修復不能なほどの亀裂を生むことになる。

 現実を直視する以外、花に残された選択肢はなかったのである。


「昨日の恩返しの意味もあったけど、僕らは川崎さんたちのことを本当の仲間だって思って、今朝の挨拶を手伝ったんだ。だから、関内君と高島さんになにが起こったのか純粋に知りたかった」


「でも、川崎さんは……。今朝会った時もホームルームの時も、なにも言ってくれなかった。正直、仲間だと認めてくれてないんだって感じたよ。だから、僕らは直接社家先生に訊きに行くことにしたんだよ」


「……うぅ……」


 花の口を突いて出たのは、そんな惨めな呻きであった。

 その告白は、否が応でも花の心に深く刺さった。

 涙が頬を伝って落ちる。


 〝後悔〟と片づけるにはあまりにも遅すぎる過ちに、この時になってようやく花は気づいた。


 だが、話はここで終わりではない。

 今まで沈黙を貫いてきた野庭が翠と入れ替わる形で会話に加わってくる。


「先生は……なにも教えてくれなかった」


 野庭の言葉に、翠と小菅ヶ谷も頷いて同意を示す。

 そして、空間を支えていた番い<つがい>が徐々に外れていく。

 話は核心へと向けて加速していった。


「関内君と高島さんの身になにがあったのか。本当のこと……教えてよ、川崎さん」


 確かな意思を持って口にする翠は、決して花から目を離そうとしない。

 その目力に身も心も縛りつけられるように、花は動きが取れなくなってしまう。


 とっさに部屋のドアへと目を向ける花であったが、その前には野庭と小菅ヶ谷の姿があった。

 彼女たちも翠とまったく同じ気持ちなのだろう。


 いよいよ観念して、切り出す言葉を探そうとする花であったが……。


「……っ、ぃあっ!?」


 スッと手を伸ばした翠に花は腕を掴まれてしまう。

 突然のことで混乱する花だったが、翠の表情は真剣そのものであった。


 また、その手からは温もりが一切消えていた。

 ひんやりとして冷たく、どこか寂しそうで。

 温度は僅かに翠の苛立ちを伝えてくれる。


 〝どうして信じてくれないのか〟

 そう訴えかけているように花には感じられた。


(あっ……)


 そして、それが結論となる。 

 書物を平らげ、体内で消化し、自らの知恵とするように。

 花は呆気なく事の全容を手中に収めることに成功するのであった。


(そっか)


 あまりにも単純な答えに体の力が抜けそうになる。

 やがて、それは現実となった。


 ドスンッ!!

 

 キャスターチェアから転げ落ちて、花は床に崩れる。  

 フローリングに張りつく埃や匂いを間近で感じながら、花は己の間違いに気づくのだった。


(信じていなかったのは私の方だったんだ……)

 

 結局、こうしている今も翠たちは花を信じ続けているのだ。


(それなのに……)


 初めから信じることを放棄し、知らないふりを通していたのは花の方であった。


 いつの間にか、花は掴まれた手を手繰り寄せ、大声で泣き叫んでいた。


 翠たちの驚く顔。

 反響する自分の声。

 無機質となった放送室。


 それらすべてがスローモーションのように花の目の前で起きる。

 あとは、溢れる大粒の涙が洪水のように、すべての感情を押し流していった。

 それを止める術を花はまだ知らない。


 花にとってこんなに泣いたのは、生まれて初めての体験であった。

 テーブルに顔をつけて、甘える幼子のようにわんわんと泣きじゃくる。


「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」


 何度も空気を震わせ、花はその言葉を口にした。

 何度も何度も。

 声が枯れるまでずっと――。


 意識が途切れる直前、心配そうな表情を浮かべる翠と目が合う。

 その顔は慈愛の感情で溢れていた。


 花はその時になって相手を信じるということがどういうことなのかを知るのであった。

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