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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
152/421

第152話 哲矢サイド-3

 物静かな住宅街を哲矢は緊張した面持ちでゆっくりと進む。

 余計な物音が一切聞こえないのだ。

 聞こえてくるのは小鳥の鳴き声くらいである。


 まだ大貴の住まいがこの一角にあると決まったわけではなかったが、直感がここだと叫んでいるのが哲矢には分かった。


 しばらく表札を確認しながら住宅街を歩く。

 「橋本」という苗字は見つからない。


 この場所に滞在すればするほど余所者であるということを声高に叫んでいるようで、哲矢は全身に緊張の汗をかき始めていた。


 また、宝野学園の制服姿でウロウロしていることも気がかりであった。

 まだ誰にも出会っていなかったが、住民同士の意識が高い高級住宅街で徘徊を続けていたら、学園へ連絡されても文句は言えないだろう。


 その場合はかなり厄介なことになる。

 最悪、計画の中止へと繋がりかねなかった。

 

 すると、その時――。


(……っ……)


 目の前から60代くらいの男がこちらへ近づいてくるのが哲矢には見えた。

 背筋をピシッと伸ばし、行進でもするように歩幅を統一しながらコツコツと地面を踏みつけて向かってきている。


 一瞬どこかへ逃げることを考える哲矢だったが、時すでに遅し。

 彼と目が合ってしまったのだ。


 その賢そうな眼力に哲矢は面を食らってしまう。

 結局、哲矢はろくな対策を講じることなく、その男とバッティングしてしまう。


 哲矢が何ごともなく道を避けようとすると、その前に彼は立ち塞がった。


「きみ」


 その声にはまだ若さが通っていた。

 はっきりそう口にする物腰から最近まで勤め上げていたのかもしれない。


 退職後の余暇を楽しむ形で朝の散歩が日課なのだろう。

 たったそのひと言を聞いただけで、哲矢の頭には男の背景がふつふつと浮かんでくる。

 

「見かけない顔だが。学校は?」


「い、いえ……」


 嘘をつくこともできず、哲矢は黙り込んでしまう。

 まるで教師に説教を受けているみたいだ。


 もしかしたら本当は現役で実際に本物の教師なのかもしれない。


「宝野学園の生徒さんだな?」


「はい……」


「そうか、実は私の孫も中等部に通っていてね」


 男はほうれい線に太くしっかりと刻まれた跡を残してにっこりと笑った。

 その笑顔を見て哲矢はようやく安堵する。


 哲矢の何倍も生きているのだ。

 何か理由があってこの場にいることを見抜いているに違いなかったが、男は何も聞いてこなかった。

 

 そして、その後は人生の大成を終えた者が求めるように、彼は人との会話を欲していた。

 話を聞く限り、男は哲矢が予想した通りの人物であるようであった。


 2年前に勤め上げた不動産の会社を退職して、今は趣味で株取引をやっているらしい。


 「どうしても説教臭くなるんだよ」という断りを入れながら、それなりに苦労したという人生を少しだけ聞かせてくれた。


 その口ぶりからは、やはり教養が滲み出ていた。

 こんなところに住んでいるのだからお金にも余裕があるのだろう。

 贅沢な暮らしをしていて、時間を余らせている様子だ。


 会話は時間にして5分程度だったが、とても濃縮された話を哲矢は聞いた気になる。

 そして、哲矢はこの流れなら訊けると思い、溜め込んでいた質問を投げかけてみることにした。


「……ところで、中沢寺跡地というのをご存知でしょうか?」


 不動産会社に勤めていたという彼ならその存在を知っているような気がしたのだ。


 男は一瞬首を傾げたが、「ああ」と小さく声を漏らすと、「橋本さんのお宅がそれだよ」と口にする。

 それはまさに哲矢の聞きたかった言葉だった。


「そ、それですっ! 知ってるんですかっ!?」


「知ってるもなにも……。彼はこの街の市長だからね。立派だよ。あの御一家は」


 哲矢は大きく頷くと彼の言葉の続きを待った。

 場所を教えてほしい、という風に目を輝かせながら。


「橋本さんのお宅なら、この先の角を二つ曲がって……」


 そこまで男は言葉にすると、何か気になるものを見つけたように、哲矢のさらに後ろに視線を送る。


(――ん? なんだ……?)


 哲矢は気になってすぐに後ろを振り向く。


 何の心の準備もしていなかった。

 だから、その人物が目の前に姿を現した時は、哲矢は本当に心臓が飛び出そうになった。


「おはようございます」


 そこには笑顔で会釈する大貴の姿があった。


(……っっ!!)


 一瞬にして血の気が失せる思いをする。

 探していた張本人と出会えたはずなのに、深い絶望感のようなものがそこにはあった。


 けれど、大貴は意外にも仲良さげに哲矢の首に手を回して、「これからこいつと一緒に登校するんですよ」と、満面の笑みを浮かべて男に答える。


(……な、なんだよこれっ……!)


 大貴は回した手を離すと、男と親交があるのか、今度は彼と談笑を始める。

 その姿は今までの大貴の姿とほとんど異なっていた。


 まるで、彼の双子と突然入れ替わったように何気ない会話を続けている。


 暫しの間、哲矢は二人の会話に耳を澄ませていたが、やがて盛り上がりもひと段落すると、男はどうやら先ほどの会話の続きを気にしてくれていたようで親切にも話を元に戻すのだった。


「――そういえば、彼が君の家を探していたんだが」


「えっ!?」


「でも、君たちは知り合いみたいだし……ん? なんか変だな……」


「そ、それはもう大丈夫です! はいっ!」


 首を傾げる男の気を必死で逸らそうとしていると、近くから鋭い視線が飛び込んできたことに哲矢は気づく。

 恐る恐るその先を目で追うと、腕を組んだ大貴が真剣な表情を作って哲矢を捉えていた。


 そして、哲矢にだけ聞こえるように「……フッ、なるほどな」と小さく呟くと、再び笑顔を浮かべて男との会話に戻る。




 ◇



 

 それからの数分間は、哲矢は完全に蚊帳の外だった。


 余程この場から逃げようかと思ったが、ここで帰っても目的の大貴はここにいるわけで、哲矢は辛抱強く彼らの会話が終わるのを待った。


 老年の男は気分よさそうに哲矢と大貴の肩にそれぞれ手を置くと、「色々あると思うが頑張れよ。青少年たち」と、激励してから散歩の続きへと戻っていった。


 彼の背中が見えなくなるまで哲矢と大貴はお互い黙り込む。

 そして、大貴は仮面を一枚剥ぐように天を仰ぐと、「しんど」と弱々しく声を漏らした。

 

 大貴はそのまま視線を哲矢の方へ向けると、「……お前に見せたいものがある」と意外なことを口にする。

 その言葉を聞いて哲矢は、大貴は自分がこの場所まで来ることを初めから見抜いていたのではないか、と思った。


 それから、彼はその内容については一切触れようとせず、ついて来いと言わんばかりに哲矢が進んできた道を戻り始める。


「…………」


 結局、哲矢は何も答えることができなかった。

 ただ、足だけは自然と大貴の背中から離れまいという使命感にも似た感情を持って追いかけているのであった。

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