第151話 哲矢サイド-2
バスに乗った哲矢はニュータウンを横断する形で第一区画を目指していた。
宝野学園の前を通過するということもあり、何人かの生徒が乗り込んできたが、その数はまばらだ。
まだ少し通学するには時間が早いということもあったが理由はそれだけはないのだろう、と哲矢は思う。
そもそも宝野学園の生徒のほとんどは自転車で通える範囲に住んでいるため、哲矢や花のように余程離れていない限り、バスも電車も基本的には利用しないのである。
バスは乗っては降りての繰り返しで、そのほとんどが地元の人間の利用だった。
車内は膨れることなく空間に余裕を作ったままルートを消化していく。
宝野学園付近のバス停で、乗っていた数人の生徒が降り始める。
座った位置がちょうど乗降口近くだったため、哲矢は同じ制服を着た彼らに不思議そうな顔で覗かれた。
幸い見知った顔はなく、哲矢は微妙な苦笑いを含んでその場のやり取りを終える。
そこも通り過ぎてしまうと、バスは小高い丘を登って終点である第一区画の住宅街前のバス停で停車する。
もう少し進んで下れば中沢駅という第一区画最寄の駅に到達するがそこまでは行かない。
道路の少し先には、同型のバスが数台並んでいる車庫が見えた。
ラッシュに近い時間にも関わらず、ストレスなく乗車を続けられた理由が哲矢は分かった気がした。
(マイナー路線ってやつか)
とにかく、哲矢にとっては願ったり叶ったりであった。
数人の降車客に続いて哲矢も第一区画の地に足を踏み入れる。
ここら辺はニュータウンで唯一しっかりとした住宅街が形成されているエリアだ。
そのため、見慣れた団地の姿は近くにはなく、妙な違和感を哲矢は抱く。
(まずは、稲村ヶ崎が言ってた中沢寺の跡地ってのを探さないと……)
停車中のバスがドアを閉め、予想通り行き先を車庫へ向けて発進させると、後には緑のざわめきだけが残った。
少しだけ肌寒くも感じる。
丘陵にあるため平地よりも気温が低いのかもしれない。
そこからは越えてきたばかりのニュータウンの街並みが見下ろせた。
「おおっー」
桜ヶ丘市の象徴である市役所も確認できる。
朝の陽光に反射して輝く市役所はなぜか哲矢の心に勇気を与えた。
地元を離れてからまだ一週間しか経っていなかったが、哲矢はここが第二の故郷のように感じていた。
実家をこれだけ長い間、離れた経験がなかったせいだろうか。
今回の経験は哲矢が思っている以上に人生を強烈に刺激していた。
(父さん、母さん……。今頃どうしてるかな)
ふと、家族のことが気になる。
普段はまったく気にも留めないことがなぜか胸を騒がせる。
(そういえば、この前電話してから全然連絡してないな)
地元の高校も気になった。
新学期の慌しさも落ち着いてみんなで楽しくやっている頃だろうか。
それとも、受験モードに切り替わった教室はピリピリとヒリついているだろうか。
(ま、どっちにしても、誰も俺のことなんか気にしてないだろうけど)
それは当然の反応だ、と哲矢は思う。
一定の距離を取った関係しか築けていないのだから。
(メイと花がそれを聞いたら驚いてくれるかな……)
本来の俺はそんな人間なのだ、と声に出したかった。
まるで、彼女たちを騙しているようで、哲矢は罪悪感を覚える。
そんな自分が他人のためにここまで熱くなっているという事実に哲矢は改めて戸惑う。
この源の正体は未だによく分かっていない。
ただ、これまで奥底に眠り続けてきた感情なのだ、ということだけは理解できた。
(今は自分が正しいことしてるって信じるしかないよな)
哲矢はそう心の中で唱えると、建ち並ぶ家々の方角を目指して歩みを進める。
◇
少し歩き始めてから哲矢は気づく。
(ここもか)
先ほどから数えてこれで3ヶ所目だった。
短い間隔にバス停があるのだ。
ちょうど通学通勤時間に重なり始めたせいか、どのバス停にも列を成した人々の姿が確認できた。
おそらく、先ほどの路線とは別で中沢駅へ向かう客のための脚となっているのだろう。
丘の上で暮らす人々にとって、交通手段はどうしてもバス頼みになってしまうのかもしれない。
この土地の朝の風物詩と呼べるような光景を横目で流しながら、哲矢は住宅街を走る幹線通りをまっすぐに進む。
何か憶測があるわけではない。
なんとなく市長の住まいというものを想像して、小高い丘に建ち並ぶ住宅街の方へ足を向けてしまうのだ。
(こんなことなら場所をもっと正確に訊いておくべきだったな……)
思いのほか、第一区画の規模が大きいのだ。
一軒一軒表札を確認して回っていたらすぐに日が暮れてしまうことだろう、と哲矢は思った。
やがて、幹線通りはニュータウンを周回する二車線の大きな道路にぶつかる。
哲矢は構わずにそこを横断すると、曲がりくねった一本道を登り、ようやく視認できた小高い丘の住宅街の入口に立った。
「すげぇ~……」
思わず感嘆の声が漏れてしまう。
そこには、高級住宅が競うように並んでいた。
地方の平凡な家庭で育った哲矢にとってその光景はまさに異世界である。
どの住宅にも大きな庭やルーフバルコニーがまるで仲間入りの条件みたいに設置されている。
また、余所者を寄せつけないオーラもバシバシと感じた。
尊大という言葉が哲矢の頭にふと浮かぶ。
(なんか居心地悪いな……)
哲矢は花から聞いたある話を思い出していた。
第一区画は、開発当初こぞって土地や不動産を金持ちたちが買い漁ったのだという。
まだその頃の桜ヶ丘市は市制となっておらず、ほとんどが農地だった。
桜ヶ丘ニュータウン開発の報を聞いた資産家はこれをチャンスと捉え、ひと儲けしようと考えたのかもしれない。
きっとこの土地を購入しておけば、数年後の売却時には見事な儲けが期待できると信じて夢を見たことだろう。
今から50年以上も前の話だ。
当時の金持ちがどれだけ住んでいるのかは分からないが、そうした背景もあるためここら一帯は見事な住宅が並んでいるのかもしれなかった。
(……ああ、だから第一区画なのか)
最初に開発が始まったからそのナンバリングが付いているのだろう、と哲矢は思った。
その「第一」という数字は、桜ヶ丘ニュータウンへの想いの強さを表しているのかもしれない。
高級住宅街に目を向けながら、哲矢はそんなことを思うのであった。




