第150話 メイサイド-4
メイの意味ありげな態度に気づいたのか。
美羽子は一度静かに息を吐くと、観念したように本題を切り出してくる。
その声には、若干の動揺が混じっていた。
「メイちゃん、一つだけ聞いてもいい? なんで……どうして、夜に学園なんか行ったの……? 教科書を取りに戻ったわけじゃないんでしょ? ねぇ、お願いっ……。本当の理由を教えて。もしかしたら、力になれるかもしれないし……」
それは、出会い頭に訊かれていてもおかしくない質問であった。
不審な点を考慮すれば、メイが何か隠しごとをしていると結論づけるのは当然だ。
おそらく彼女は勘づいているのだ、とメイは思う。
婦人警官の言葉は嘘で、学園に忍び込んだ本当の理由は違うということに。
しかし――。
「……申し訳ないけど、それは言えない」
メイは美羽子の真摯な問いかけに答えない。
有無を言わさぬ口調で淡々とそう告げるだけであった。
もしこの場所で僅かな同情に後押しをされ、メイが本当のことを口にしたとすれば、それは哲矢と花の進路を断つことに繋がるに違いなかった。
二人のその後については連絡手段がないため正確には分からなかったが、きっと無事に計画を推し進めているはずだ、とメイは確信する。
(ちょうど今頃、立会演説会の準備に追われてるはずだわ)
そう思うと、尚更ここで本音を曝け出すことはできなかった。
「…………」
一方的に会話を遮断されたことの意味に美羽子も気づいたのだろう。
彼女はそれ以上その件に関しては何も口にすることはなく、〝最後に〟という条件の下でこう続ける。
「関内君も関係してるのね?」
メイは少しだけ悩んだ末、ゆっくりと頷いた。
「……そう。分かったわ。このことはもうこれ以上訊かないから」
どこか悟ったように口にする美羽子の表情は明るい。
いつもならここで激しくぶつかり合ってきた両者であったが、線引きがきちんと成されたせいか、彼女たちの間にはいい意味での不干渉が生じていた。
「荷物はまだ部屋に置いたままだし、また戻ってくるって私は信じてるから」
清々しく放たれたその言葉が会話の終止符となる。
美羽子は突然思い出したようにグレーのミニバッグを漁り始めると、中から車のキーを取り出す。
ピッという機械音と共にドアの施錠が解除された。
少しだけ罪悪感が沸き起こってくるが、メイはただ黙って美羽子が運転席に乗車するさまを眺めていた。
「乗るんでしょ?」
そう促され、メイも助手席に乗り込む。
ドアが完全に閉まるのを確認すると、美羽子はスタートスイッチに触れ、エンジンをかけながら脈略のない会話を投げ入れてくる。
「そうだ、これも訊こうと思ってたんだけど。今朝、宿舎の隣り木にシーツが括りつけられているのを洋助さんが見つけて……」
「ぁっ……」
「あれだけは感心しないかな」
冗談のつもりなのだろう。
美羽子は悪戯っぽく笑いながら無邪気な横顔を覗かせる。
「し、仕方なかったのよっあれは……!」
「玄関からこっそり出ればよかったのに」
「だって、ヨウスケがリビングで仕事してたから」
「それが大丈夫なのよ。洋助さんって一旦仕事に集中すると、周りが見えなくなるタイプだから♪」
「確かに、言われたらそんな感じだけど……」
「フフッ、今度は覚えておいてね」
そう口にして笑う美羽子の表情は、作り物なんかではなく本当に楽しそうにメイには見えるのであった。
「さてと……」
やがて、彼女は名残惜しそうに呟きながらハンドルを握る。
「大分ここで話し込んじゃったから、そろそろ行きましょうか。このままだと駐車料金を請求されるかもしれないから」
「そうね」
あれほど嫌いだった美羽子とこうして二人きりで居ることに、徐々に違和感がなくなってきていることにメイは気がつく。
まだ、心を許したわけではなかったが、少なくとも以前よりは一緒に居ても苦に感じなくなっていた。
(まぁでも……。私も大概わがままだけど)
自傷気味にはにかむと、メイはハンドルを握る美羽子の手に触れる。
「な、なに……?」
「ごめんなさい」
「えっ」
「私、マサトに会いに行かなくちゃ。どうしても証言がほしいの」
「これから行くの……?」
突然の宣言に美羽子は混乱している様子だ。
おそらく、これから車を発進させて一度メイを宿舎まで送り届けるつもりだったに違いない。
彼女はその言葉の意味を精査するように声に出してメイの台詞を復唱する。
「証言がほしい……か」
やがて――。
自身の中で納得できたのか。
ハンドルから手を離し、メイへ顔を向ける美羽子の表情には迷いがなかった。
サイドポケットに置いたミニバッグからスマートフォンを取り出すと、美羽子は事務的な口調でどこかへと連絡を入れる。
その電話が終わる頃には、どこへかけたのかが明らかとなっていた。
「近くのタクシーを呼んでおいたわ。あと、はい」
「……いいの?」
「タクシー代と連絡用に使って。スマホ壊れたままなんでしょ?」
美羽子はいつの間にか取り出した一万円札と新しいスマートフォンを差し出しながら優しく微笑む。
「私はこの後、関内君の代わりに宝野学園へ行くことになってるの。メイちゃんと一緒には行けないからさ。どっちも経費で落ちるから気にしないで」
「…………」
それを黙って受け取るメイは素直に感心していた。
彼女の用意周到さに。
もしかすると、先ほどの飲み込みの早さから想像するに、こういう結果になることも彼女は予測していたのかもしれなかった。
「その……色々とありがとう。助かるわ」
「気をつけて。いってらっしゃい」
今まで見過ごしてしまっていたが、相手を思いやるこの機転こそが美羽子の魅力なのだとメイは再認識する。
助手席のドアを開けてメイが降りるのを確認すると、美羽子は運転席から身を乗り出し、小さく声をかけてくる。
「あとはやりたいようにして。責任はちゃんとこっちが取るから」
「でも、それは……」
「いいの。今回のは私がそうしたいの。それならいいんでしょ?」
「…………」
「大丈夫、洋助さんも同じ気持ちだから。たとえ、首席を敵に回しても今度こそ守ってみせるわ」
「ねぇ、どうして……」
〝どうして、そこまでよくしてくれるの? 私はあなたが嫌いだったのに……〟
そう続けようとするメイであったが、その言葉は美羽子によって遮られてしまう。
「あと、関内君と話す機会があったら、同じことを伝えてほしいんだ。いつでも私たちは協力するって。今日は一日学園にいるから。なにかあったら私を頼ってほしいんだ。そのスマホに私の連絡先も入ってる」
それは、何かを見越したような台詞であった。
もちろん、美羽子はメイたちが企てている計画については知らないはずであった。
だが、どこか予感めいたものを感じるのだろう。
美羽子はメイから目を離さずに言葉を続ける。
「いざって時、絶対に二人の力になるから」
力強く断言する彼女の瞳をメイはじっと見つめ返す。
その奥に隠れた熱意に気づかないほどメイは愚かではなかった。
「……分かったわ。そう伝えておく」
ゆっくりとドアを閉める際に見えた美羽子の表情はとても穏やかなものであった。
◇
「じゃあ、私は先に行くね」
ハンドルに手をかけながら、美羽子が窓から顔を出してくる。
そして、感慨深そうにこう呟いた。
「メイちゃん……この一週間で本当に変わったね。きっと、関内君や川崎さんのおかげだ」
だが、ちょうど署の駐車場に入ってきたタクシーに気を取られ、メイは肝心な部分を聞き逃してしまう。
「えっ? なんか言った?」
「……ううん」
美羽子は窓を閉めて手を振ると、今度こそアキュアを発進させてしまうのだった。
最後に〝がんばって〟と口にする彼女の姿をメイは目にする。
その瞬間、自分の中で凝り固まっていた何かがようやく溶解されていく思いをメイは感じた。
それは、バスタブに細かく溶ける入浴剤にでもなったような感覚であった。
駐車場から出ていくアクアが小さくなって見えなくなるまで、メイは受け取った一万円札とスマートフォンを強く握り締めながら見送るのであった。




