表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月5日(金)
14/421

第14話 夕闇に溶ける葛藤

 陽はすっかり傾き始めていた。


 斜陽がニュータウンを橙色に染め上げる。

 この時間だけは桜も主張することを止めてその輝きの中に身を任せているように感じられた。

 

「…………」

 

 哲矢は宝野学園の駐車場で美羽子がやって来るのを待っていた。

 どうやら彼女は別件が長引いているようで到着が遅れているらしい。


 近くでは教員と思われる男がキーを回して車を走らせようとしていた。

 彼は窓ガラス越しに哲矢の姿を一瞥すると、そのままエンジンを吹かして駐車場から出て行く。


 そんな光景を無意識のうちに目で追いながら、哲矢は昼間の出来ごとを回想していた。

 










―――――――――――――――――











「逃げてきたって……」


「言葉通りの意味。あんたも同じでしょ? こんな面倒なこと早く終わらせて帰りたいんじゃない?」


「…………」


「だから逃げ出してきたんでしょ? 授業なんか受けていても意味なんて無いから」


「違う……。俺はたまたまこの場所に……」


「いいえ。それは嘘よ。面倒だからサボっているだけでしょ?」


「……ッ!? お、俺はっ……最初からサボる気でいたお前とは違うんだよ!」


 メイは声を荒げる哲矢のことを黙って見つめていた。

 どうしてだろうか。

 彼女に見つめられているだけで心を覗かれたような気分となってしまうのは。 

 

 哲矢はいたたまれなくなってその場から離れると、そのまま勢いよく丘を駆け下りてしまう。

 

 今ならまだ間に合う……と、そう哲矢は思った。

 走って、走って、走って、走り続けた。

 その間、哲矢の頭の中にはメイの言葉が繰り返し甦っては消えた。


 10分ほどそうして走り続けると、見覚えのある校舎が見えてくる。

 頂上から周りの景色を望んだ時、宝野学園の場所を無意識のうちに把握していたようだ。


 校門を走り抜けると哲矢はそのまま教室へと駆け込み、五時間目の途中から授業に参加することとなった。

 息を整え汗を拭いながら、哲矢は後ろのドアを開け放って中へ入る。


「……お、遅れてすみませんっ……!」


 周りの目も気にせず、大声でそう口にしてから着席する。

 老年の物理教師は授業を一瞬止めるが、哲矢の言葉を確認すると何も問わずにそのまま授業を再開させた。

 クラスメイトの反応は、驚く者と無関心な者の二つに見事に分かれていた。

 

「あの……」


 花が遠慮がちに振り向いてきて何か言葉を発しようとする。

 けれど、哲矢はそれを遮るように教科書を取り出す仕草で気づかないふりをした。

 話しかけるなというオーラを察したのか、花は口を噤んで顔を戻してしまう。


 哲矢は何もかも気にするのがバカらしくなっていた。


(もう誰もなにも期待するな)


 物理の教科書を開いて目の前の公式を暗記することに没頭していく。


(……そうだ。俺はいつもこうして生きてきたじゃないか。今さら変える必要なんてないだろ?)


 いつもそうしているように、哲矢は自分だけの世界へと落ちていく。

 ぽたぽたと教科書に滴り落ちる汗にも気づかないくらいに。











―――――――――――――――――










 

 それから時間はあっという間に過ぎていった。


 哲矢は美羽子を待つために宝野学園の駐車場までやって来ていた。

 ここまでの記憶が欠落していた。


 よくあることだ。

 感情を無くして無心でやり過ごしたのだ。


 花と何か話したような気がする。

 社家に何か言われたような気がする。

 しかし、そのどれもが吹けば消え去る灯火のように哲矢の心に留まることはなかった。


 哲矢はスマートフォンを取り出すと、今朝の言いつけを守るように美羽子に電話する。

 そこで彼女から別件で遅れている旨を哲矢は耳にした。

 話はその後メイの所在について及んだ。 


『――それで、メイちゃんもそっちにいるわよね?』


「……はい。でも今はちょっと姿が見えなくて……」


 なぜかは分からない。

 哲矢はそう淡々と嘘を吐いて誤魔化していた。


『そう、分かったわ。私が到着するまでにしっかり捕まえておいてね。なんかあの子、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう癖があるみたいだから』


「そうですね」


『もう少し遅れるようなら連絡するわ。それじゃ一旦切るわね』


 美羽子との電話が切れると、哲矢は「ふぅ……」と長いため息を吐いた。

 そしてこう思う。


(あいつを庇う義理なんてないのに。なんで嘘なんか吐いたんだ、俺は……)


 哲矢は自分の取った言動に戸惑いを隠せなかった。

 昼間の行動にしてもそうだ。


(どうして俺はメイから逃げたんだ?)


 彼女とまともに話をしたのは恐らくあれが初めてだ、と哲矢は思う。

 それに普段の彼女よりも饒舌だったように思えた。

 

(あれが本来のメイの姿なんだろうか)


 なぜ、あれほどまでメイに盾突いてしまったのかも分からなかった。

 ただなんとなく、彼女から自分と似たような空気をあの時は感じて……。




 ◇




 それからしばらくの間、哲矢が思考の海を漂っていると、赤色のアキュアが快調な音を鳴らしながら駐車場へと突入してくる。


「……あれってまさか……。お、おいおいっ、マジかよッ……!?」


 逃げ出す暇もなく、哲矢はその場に尻もちをついてしまう。

 アキュアは大きなタイヤ音を響かせながら急停止する。

 黒煙を立ち昇らせながら、笑顔の美羽子が運転席から降りてきた。


「おまたせ~っ♪」


 たまたまこの場所に他の教員がいなかったからよかったものの、いたらその場で説教を食らっていたに違いない。

 斜めに裂かれたスリップ痕などまったく気にする様子もなく、美羽子はその場で尻もちをつく哲矢の元へ寄ってくる。


「危ないじゃないですかっ! 轢かれるところでしたよ!?」


「あはは……。ごめんごめんっ。でもこうして無事だったでしょ?」


 反省の色も見せずに頭をかいて能天気そうに美羽子は笑う。


(いつか誰かを轢き殺しそうだぞ……)


 話が進展しなそうだったので、ひとまずその心配ごとは頭の隅に置いておくことにした。

 すると、美羽子は周りを見渡してあることに気づいたように質問を投げかけてくる。


「あれ? そういえば、メイちゃんの姿が見えないけど」


「あ、いや……。先に帰るって言ってましたっ!」


 哲矢はとっさに嘘を重ねてしまう。


(バカか俺は! こんな嘘すぐにバレるだろ!)


 しかし、一度吐いた嘘は際限なく広がってしまうのであった。

 

「ええ~っ! なんで帰らせちゃったのっ!?」


「す、すみません……。なんか体調悪そうだったので……」


「うーん。まあそういうことなら仕方ないんだけど……。でも心配だから一度連絡入れてほしかったかな」


「ごめんなさい」


「私も宿舎に寄らずに来ちゃったからね。入れ違いになったか……。どうしよう。一人で大丈夫かな」


「だ、大丈夫だと思いますよ! 体調が悪いって言っても月に一度のアレみたいですしッ……! 症状もそんなに酷くないって言ってましたよッ!?」


(こんな嘘明らかにヤバいだろっ! バレたら絶対に殺されるぞ……!)


 そうと分かっていても哲矢の口は止まらなかった。

 自分でも何を言っているのか、だんだん分からなくなっていく。

 そんな勝手に狼狽する哲矢の様子を美羽子は訝しげに目を細めて見つめてくる。


「だ、だから……心配する必要はないんです!」

 

 哲矢は涙ながらにそう強く訴えた。

 ここまでくればヤケだ。


「……はぁ。分かったから。どうせメイちゃんにそう言えって頼まれたんでしょう?」


「い、いえっ! そんなことは……」


「もういいわ。まあ、関内君だけいれば最悪規定は守られるわけだし」


「そ、そうなんですか……よかった」 


「あの子……。全然分からないな。昨日せっかく仲良くなれたと思ったのに。見抜かれたか」


「えっ……? 藤沢さん?」


 美羽子は視線をどこか遠くに飛ばして沈みかかる夕陽に目を細めていた。

 その顔を哲矢はつい最近どこかで見たような気がしたが、すぐに思い出すことはできなかった。


 美羽子は一度軽く頷くと、哲矢の方を向いて笑顔で告げる。


「さっ。そろそろ行きましょうか。メイちゃんには後で私から電話するから」


「は、はい……。お願いします……」


 なんとかこの場を誤魔化せたことに哲矢はホッと胸を撫で下ろす。


(だけど、こんなことは一度きりだ。メイを庇う理由なんて俺にはないんだから)


 哲矢はそう心に決めてアキュアの助手席へと回る。

 「遅れているからちょっと飛ばすわよ」と運転席に座った美羽子がひと言。

 「飛ばさずに安全運転でお願いします!」と哲矢は真顔で即答した。


「……ちぇ。分かってるわよ。これでも違反9回、事故3回、免停は2回経験してるから気をつけている方なんだけど……」


「…………」


 恐ろしい言葉は聞かなかったことにしよう。

 哲矢はシートベルトがしっかり作動するか何度も念入りに確認してから乗車するのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ