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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
139/421

第139話 戦士たちの休息

 それから途中までリビングを必死で片づけるも、どれも悪あがきに過ぎないと悟ったのか。

 花はそれ以上手をつけることなく、諦めたようであった。


「こっちはまだ大丈夫だからっ!」


 そう半ばヤケ気味に口を膨らませる花に連れてこられてやって来た先は、なんと彼女の自室であった。

 そもそも同じ年の女子の部屋に上がった経験のない哲矢にとって、花の自室に上がることはとてもハードルが高いことのように思えたが、中に一歩踏み入れてしまうとその感情もどこかへと吹き飛んでしまう。


(うわぁ、なんかすげーぞ)


 部屋は壁紙をはじめ、家具、インテリア、雑貨等、すべてピンク色を基調に統一されており、そこかしこに可愛らしい動物のぬいぐるみが置かれていた。

 まさにファンシーと呼ぶに相応しい女の子らしい部屋だ。


「100均で色々揃えたんだ。本当はもっとふわふわでゆめかわいくしたいんだけどね」


「へ、へぇ~……」


 年齢的に少し幼い気もしたが、それも彼女の個性だと哲矢は部屋の装飾に納得する。

 とにかくありがたかったのは、散乱し放題だったリビングやゴミ溜めと化した和室と違い、ここは小ざっぱりと片づいている点であった。


「にゅふふっ~。どう? 私だって片づけができないわけじゃないんだよ、哲矢君っ♪」


 どこからその自信が湧いてくるのか。

 鼻高々にそう口にする彼女に案内される形で哲矢はラグの上に座る。

 すると、ほのかに甘い香りが漂ってくるのだった。


(ヤベぇ……。俺、今女子の部屋にいる……)


 急に現実感が襲ってきて、哲矢の顔は一気に赤くなる。

 初めて女子の部屋に入ったという事実を誤魔化すため、哲矢は話に大げさに反応してしまう。

 

「た、確かに……! 少し見直したぜっ!」


「うんっ。でも、実は寝るだけにしか使ってないからキレイなのは当然なんだけど……んはは」


 それしか使ってないのかよとつっこみたい気持ちであったが、花が満足そうに微笑んでいたので、哲矢はその言葉をそっと胸に仕舞い込んだ。




 ◇




 その後、すぐに花は「少し間、ここで待っててもらえる?」と口にしてから部屋を出ていってしまう。

 彼女の背中を見送り、しばらく甘い香りの中に身を置いていると、哲矢の頭にある考えが過った。


(女の子の一人暮らしっていうのも色々と大変なんだろうな……)


 花は自分のことをほとんど話さないのですべて憶測に過ぎなかったが、聞いた話の断片から想像するに、彼女と彼女の両親との間には大きな摩擦があるように哲矢には思えた。


 先日、軽い口調で入学の経緯を打ち明けていたが、もしかすると強引に反対を押し切ってのことだったのかもしれない。

 その間には、やはり宝野学園が一枚噛んでいるのだろう、と哲矢は思う。


 書道部はテレビやネットで話題になるほどの知名度を持つというが、宝野学園の内情について知っている者はほとんどいないはずだ。

 芽の出た書道部を宣伝の材料に使い、桜ヶ丘ニュータウンに少しでも若者を迎え入れるというのがおそらく学園側の思惑で、その好例が花なのだろう。


(娘を奪われたって思ってるのかもしれないし)


 親の過保護な当てつけがこの高級な暮らしに見え隠れしているようで、哲矢は花の気持ちを察するのだった。




 ◇



 

 しばらくすると、花がトレイに二人分のマグカップを乗せて戻ってくる。


「どうぞ~淹れ立てだよ♪」


「おぉ、すまん。サンキュー」


 立ち昇る熱い湯気を顔に感じながらコーヒーの入ったマグカップを哲矢は受け取ると、ラグに座って二人で一息入れることになった。


 花は、ガラスのテーブルに置いた砂糖とミルクの入った小さなポットを器用に扱いながら、コーヒーを美味しそうに啜る。

 その顔は、緊張の糸が切れたのか、とてもリラックスしたように哲矢には見えた。


(…………)


 しかし、そんな彼女の表情を横目に見ながらも、哲矢はまったく別の感情を抱く。

 

 哲矢には時々、花が何に対してあれだけ闘志を燃やしているのかが分からなくなることがあった。

 今はこうして笑顔を覗かせているが、それはとても脆く崩れやすいものであることを哲矢は理解していた。

 こんな時だからこそ、自分がしっかりと彼女を支えなければならない、と哲矢は強く思う。

 

 そのようなことを考えていると――。

 

(……あ、あれぇ……?)


 マグカップに口をつけようとした瞬間、哲矢は急激な脱力感に襲われる。

 この密閉された空間に漂う甘い香りがそうさせるのだろうか。

 哲矢は唐突に訪れた睡魔と戦うことになってしまう。


(……ぁ、やばぃ……)


 無常にも限界はすぐそこまで迫ってきていた。

 できることならこのまま目を閉じ、すべてを忘れて眠ってしまいたかったが、そんなことをすればすぐに朝を迎えてしまうに違いなかった。


 頭を思いっきり振って自分を奮い立たせる。

 

(……なにか、やるべきことが……あったはず……)


 朦朧とする意識の中、哲矢はその糸を手探りで探っていく。

 やがて、哲矢はそれに触れた。


「――んぁ゛ああ~~っ!!」


 大声と共に哲矢は自分が今まで何を忘れていたのか、その正体に気がつく。


「な、なになにっ……どしたの!?」


 花も驚いたようにマグカップを持ったままラグの上で飛び跳ねる。

 

「忘れてたんだっ!」


「なんか学園に置いてきちゃった……?」


「いや、そうじゃなくて! 鶴間へ渡す原稿っ!」


「あっ……」


 その瞬間、僅かな沈黙が生まれた。

 花も放課後にした利奈との約束をすっかり忘れてしまっていたらしい。


「すぐに、書かなきゃ……」


 睡魔が迫りくる中で逸る気持ちだけが先行する。

 テーブルの上に見えた架空のペンを掴むことに空ぶって体勢を崩し、哲矢はとんだ道化を演じてしまう。


 その始終を目の当たりにした花は、まるで駄々っ子をあやすような声で哲矢を優しく諭すのだった。


「哲矢君、哲矢君。これ飲んで一旦落ち着こ? はい」


 花は、哲矢がテーブルに置いたマグカップを再び差し出してくる。

 

「……ど、どうも……」


 彼女に言われるがまま、哲矢は今度こそマグカップに口をつけてコーヒーを啜ると、胃の中が温まって冷静さが戻ってくるのであった。


「ふっ~」


「ふっ~」


 二人は同じように幸せそうに一息つく。


(戦士の休息ってやつか……)


 これから始まる本番に向けて、哲矢も花もひとまず英気を養う必要があった。

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