第131話 夜の学園に忍び込む
校門には防犯カメラがあるという話を考慮し、哲矢たちはあえて遠回りな裏口まで回ることにする。
キャンパス自体が広いので、そこに至るだけでも結構な時間を要した。
花は適当な場所で足を止めると、「誰にも見られてないよね……?」と心配そうに声を漏らし、キョロキョロと周囲を見回す。
少し過剰とも言える行動であったが、今はそれだけ神経質になった方がいいだろう、と哲矢は思った。
改めて全員で周囲を見渡し、問題がないことを確認すると、花は頷きながらこう続ける。
「ここからなら部室棟も近いと思う」
その言葉が侵入開始の合図となった。
まず、哲矢は目の前に立ち塞がるフェンスを見上げてみる。
真っ暗でほとんど何も見えなかったが、輪郭だけは辛うじて視認することができ、背伸びで手を伸ばせば、メイや花にもなんとか届くような高さであった。
「大丈夫か?」
「平気よ、これくらい。木に飛び移って降りるよりは楽勝だわ」
その宣言通り、メイはフェンスを難なく乗り越える。
そんな彼女の行動に後押しをされてか、普段は非力に違いない花もフェンスにへばりつくようにしてどうにか登り切るのだった。
哲矢も二人の熱意に続く。
園内に足を踏み入れることに成功すると、今度は花を先頭にして小走りで部室棟の出入口まで向かう。
その緊張感は、哲矢がこれまで体感したことがないほどの強烈なものであった。
防犯カメラの存在に目を配りながら、哲矢たちは無事に目的地まで辿り着く。
顧問から受け取った鍵を使って花が扉を開錠すると、哲矢たちは舎内へと足を忍ばせた。
息を殺して前方を見渡す。
その先に広がるのは、薄暗くて冷たくしんと静まり返った廊下だ。
(――ッ)
昼間とはまったく異なる顔を見せるそれに哲矢は戦慄すら覚える。
非常口を示す看板の薄ぼんやりとした明かりがより一層恐怖を掻き立てていた。
それはメイと花にしても同じようで、二人は互いの制服の袖を掴み、そこから一歩も動けない様子であった。
こうして闇の中に身を浸していると、無音の渦へ引きずり込まれそうな感覚に陥るから不思議だ。
哲矢は恐怖心を振り払うと、後続の手本のなるように先陣を切って足を一歩前へ踏み出す。
そんな哲矢の決意に背中を押されるようにして、ほかの二人もゆっくりとではあったが一歩ずつ足を進めることができるようになる。
今度は哲矢が案内人となり、メイと花を次の目的地まで導く役割を担うことになった。
目指すは三年A組の教室。
ここからは防犯カメラの他にも警備員の存在にも気を配りながら歩みを進めなければならない。
忍び足で渡り廊下を越えると、哲矢たちは隣接する教室棟へと足を踏み入れた。
その景色は部室棟に比べれば、いくら夜で視界が悪いとはいえ、見慣れたものであったので三人の足取りは多少軽くなる。
非常灯と窓から差し込む月の明かりを味方にして、哲矢たちはなんとかA組の教室まで辿り着くと、さっそく散らばって筆跡素材の回収に乗り出す。
片っ端からクラスメイトの机を漁り、そこに残されたノートやメモの切れ端、落書きなどをひと通り集めようと哲矢はしていた。
けれど、そこで花の声が小さく上がる。
「(哲矢君っ、ちょっとストップ!)」
「(……? なんだ?)」
「(正直、そんな集めても全部は確認しきれないと思うの。明日の予定もこの後詰めなきゃいけないし……)」
「(……っ。それもそうか……)」
花の言うことは最もだ。
明日に本番が迫ったこの状況で、候補をこれだけ集めては調べるのに時間がいくらあっても足りない。
絞る必要があるのだ。
「(ここはハナの言う通りにしましょう。テツヤ、さっき口ではあんなこと言ってたけど、自分の中で誰が怪しいかもう犯人は見当がついてるんでしょ?)」
「(……ああ)」
「(橋本君、たち……?)」
花の言葉に哲矢は黙って頷く。
メイもそれには同意見のようであった。
「(なら、そいつらの素材を真っ先に集めるわよ)」
その瞬間、哲矢たちの目標は定まった。
警備員の存在に気を配りつつ、三人は九つの席を中心に机の中を見て回る。
だが――。
「(……ダメだ。ないぞ)」
「(こっちもないわ……)」
「(どうしよう。全然、なにもないよ)」
思いのほか作業は難航する。
そもそも真面目に学園に通っていない彼らは、極端にそれらの書きものが少なかった。
中には机に何も入れていない者も存在した。
大貴がそれであった。
彼の机には教科書はおろか、ノートやプリント類も見当たらず、本当に何も入っていなかった。
(勉強する気皆無かよ……)
主に学生という身分を忘れられた机がひどく物悲しく見える。
それから鑑定に使えそうな素材をひと通り探すも、大貴たち仲間の机からはほとんど目ぼしいものは見つからなかった。
哲矢は首を振ってほかの二人に合図を送ると、静かにA組の教室を後にする。
口には出さなかったが、教室でほとんど収穫がなかったことに哲矢は焦りを感じていた。
次の目的地へ向かう三人の足取りも思いのほか速くなる。
渡り廊下を通って今度は職務棟に足を踏み入れると、すぐに職員室が姿を現した。
そっと物陰に隠れる形でしゃがみ込み、哲矢たちはまず出入口の2ヶ所を注視する。
防犯カメラはその両方に設置されているようであった。
これではどちらのドアから入っても間違いなく映り込んでしまうことになる。
「(……どうする?)」
「(う~ん……。なるべく顔を映さないようにして入るしかないのかな?)」
「(いや。それだと侵入した事実は残ってしまうからカメラを壊すとか……そういう方法しかないような気がする)」
「(だよね……)」
ここへきて八方塞がりを実感し、頭を抱える哲矢と花であったが、メイはなんでもなさそうに立ち上がると、あろうことか後方のドアまで近づいて防犯カメラを指さすのだった。
「(これ。ダミーよ)」
「(は……?)」
「(暗くて近くまで寄らないと分からないけど、カメラに配線があるのにLEDランプが光ってないでしょ?)」
彼女にそう言われ、哲矢と花も低腰のまま恐る恐る後方のドアまで近づく。
「(ほら)」
「(たしかに、そうだな……)」
メイの指摘通り、防犯カメラのLEDランプには光が灯っていなかった。
一方で前方のドアに設置されている防犯カメラのLEDランプは赤い光を帯びている。
「(あっちは本物。だから、こちらのドアから入れば平気ね)」
「(すごいっメイちゃん!)」
「(よくこんな仕掛け気づいたな)」
メイの知識に感心しつつ、さっそく哲矢は後方のドアノブに手をかけようとするのだったが――。
(待てよ……。これ、鍵がかけられているんじゃないか?)
哲矢がそう思うのにも無理はなかった。
先ほどは運よく教室に入れたが、職員室には機密の資料やデータが保管されているはずである。
いくら防犯カメラで警告しているとはいえ、夜間も開放しっぱなしにしているとなると、さすがに宝野学園のセキュリティを疑わざるを得なかった。
哲矢はダメ元でノブに力を込める。
ガラガラガラガラ……。
すると、ドアは遠慮がちな音を立ててゆっくりとスライドした。
「(――マジか)」
あっさりと事を成し遂げてしまったことに哲矢は思わず拍子抜けした声を上げてしまう。
それと同時に、どこかで誰かに操られているような感覚も覚えるのだった。
しかし、哲矢のそんな不安は、突如響くメイの号令により思考の外側へと押しやられてしまう。
「(なにボケっと突っ立ってるのよ。早く目当てのものを探してきなさい)」
こっちは廊下で見張りをしてるから、と最後に付け足すメイに背中を押される形で、哲矢は花と一緒に夜の職員室へと足を踏み入れることとなった。




