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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
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第127話 スリリングな彼女

 部屋のドアを開けて哲矢はそっとリビングの方を覗き見る。

 依然として小さな物音は途切れることなく続き、洋助がそこから立ち去る様子はない。


 もしかするとこの先もずっとこんな調子なのかもしれない、と哲矢は思った。

 これで美羽子が帰ってきたら、さらに動きが制限されてしまう。


(行動するなら今だよな……)


 そう頭では分かっていても、なかなか体が動かない。

 持て余している暇はないというのに焦りだけが募っていく。


「……時間がないわ。もう手段も選んでられないわよ」


 どこか芯の強さを感じられる口調でそう宣言したメイは、まるで哲矢の気持ちに先回りするようにこんなことを口にする。


「やっぱり私、一度自分の部屋へ戻ろうと思うわ」


「どうしたんだよ、急に……」


「脱出する方法を思いついたの」


「マジっ?」

 

 そこでメイはいつになく真剣な表情で頷くと、ある単語をぽつんと呟く。

 

「窓よ」

 

「窓?」


「ええ。お互い部屋の窓から外に出るの」


 それは哲矢も考えていた手であった。

 先ほどは、メイがリビングに子機を戻しに行っている間に窓から外へ出ようと考えていた。


 だが、それも1階だからできる話なわけで……。


「いや、俺は1階だからいいとしてもメイの部屋は2階だろ。さすがにそれは無理だよ」


「大丈夫。別にそのまま飛び降りるってわけじゃないから。ある物を使うのよ」


 そこで話を区切ると、メイはすぐさま室内を物色し始める。


「なにやってんだっ!?」


「ちょっと黙ってて!」


 まるで家宅捜索でもするような熟練の手さばきで、彼女は器用にも室内の隅々までチェックしていく。


(思春期の男子部屋ですることかよっ……!)


 幸いそれらしいものは所持していなかったからよかったものの、これが実家の自室で行われることを想像しただけで哲矢は軽い眩暈を覚える。


(まさに恐怖だ……)


 ただ、哲矢は黙ってメイの行動を見守るほかなかった。

 

 それからしばらくして、目的のものが見つからなかったのか。

 メイはようやく諦めたように捜索の手を止める。


「もうっ! ないじゃないっ!」


 勢い余って振り上げた拳が部屋の壁を叩く。

 無関係なものが傷つくさまを見て、ここで下手な言葉を挟むことは万死に値することを哲矢は悟る。


 だが、かといってこのままというわけにもいかなかったので、なるべくメイを不愉快にさせないよう注意を払いながら、哲矢は彼女の真意を引き出すことにした。


「それで、なにを探してたんだ?」


「ロープ」


「あ、あぁ……なるほど」


 その瞬間、哲矢は彼女がそれを口にした意図を理解する。

 今のメイならそれを凶器として使いかねなかったが、もちろんそんなことのために彼女がその単語を口にしたわけではない。


「さすがにロープは持ってないけど……」


 代用品ならすぐに思い浮かんだ。

 気がつくと、哲矢はそれを指し示していた。

 

「なによ」


「使うんだろ? ロープ」


「だから、それがないって言ってるじゃないっ」


「これ。代わりに使えるんじゃないか?」


「えっ……」


 哲矢が指さしているのはベッドに敷かれたシーツであった。

 手で縛るジェスチャーを追加すると、ようやくメイは「あっ……」と声を漏らす。


「……なるほど。そういうことね。たしかに、これならイケるかも」

 

 メイは道筋を確信したのか、勝ち誇ったようににんまりと笑う。

 けれど、哲矢はそんな彼女の姿を見て急に不安を覚えた。


「ほら、ここの隣りに大きな木があるでしょ? まずそこに飛び移るの。それでこのシーツを太い枝の部分に括りつけて……」


 特に聞いてもいないのに饒舌に語り始めるメイの口ぶりに、哲矢はどこか嫌な予感を抱く。


 彼女のやりたいことは理解できた。

 だが、あくまでもいち女子高生が行うのだ。


 いくら頭が切れると言っても、メイの運動神経が優れているとは限らない。

 現にこれまで一緒に生活をしてきて、彼女の運動神経が良い場面を哲矢は一度も目にしたことがなかった。


 たとえ、B映画のアクションシーンよりも地味だとしても、それをメイが上手くこなせる保証はどこにもない。

 また、もし余計な物音など立てようものなら、いつも以上に神経質となっている洋助に気づかれないとも限らなかった。


 そうしたリスクゆえ、哲矢はすぐに同意を示すことができずにいたが、メイがものすごい活力に満ち溢れた少女であることも知っていた。

 そんなどっち着かずの哲矢の態度を察してか、メイはダメ押しするように自信ありげに言葉を挟んでくる。


「舐めないでほしいわね。こう見えても、私。運動神経はいい方よ。現にこの通り……」


 そう言って椅子の上に片足で立ち、バランスを取ろうとするのだったが――。

 

「……んひゃっ!?」


 見事に均衡を崩し、重力に負ける形で体を床に激突させる。


「お、おいっ……大丈夫かっ!?」


 大きな音がしてきっと痛いに違いなかったが、彼女は笑顔を作ることを忘れない。


「……って、こんな感じで受身も可能よっ!」


「…………」


 色々とつっこみたいところではあったが、彼女なりの決意も伝わってきたので、哲矢は賛成でも反対でもなく中立の立場を取って成り行きを見守ることにする。


「心配しないで。スルスルって、身軽に降りてみせるから」


 どこからその自信が湧いてくるのかは不明であったが、彼女は満面の笑みでそう頷く。


「くれぐれも無茶だけはすんなよ」


 危険なことも一緒に乗り越えていくのが仲間だ、というメイの言葉が頭に浮かんだからかもしれない。

 結局、哲矢は彼女にすべてを任せてみようと思うのであった。

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