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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
124/421

第124話 花へのお願い

 それからどれくらいの時間を無為に過ごしただろうか。


「ふぁぁ~」


 学習机の椅子にぐったりと凭れかかかったメイがだらしなく漏らす欠伸の数を数えながら、哲矢もまた目の前に垂れ下がる睡魔と闘い続けていた。


 結局、今2階の女子部屋へ戻ったとしても脱出が遠のくだけであったため、洋助が自室へと引き上げるタイミングを見計ろうということで、哲矢もメイも身動きが取れずにこの場に留まることを余儀なくされていた。


 すでに策を練ることにも飽きた様子のメイ同様に、哲矢の集中力も限界に達しようとしていた。

 本当は何もかも忘れて今すぐにベッドの中へ潜り込みたい気分であった。


(ちょっとくらい交代して仮眠を取った方がいいかもな)


 メイも連日の騒動で疲れが溜まっているに違うない、という理由を盾にして、心の隙間に忍び寄る甘えに屈しそうになる哲矢であったが……。


 トゥルルルルル、トゥルルルルル。


(――っお!?)

 

突如、リビングから鳴り響く電話のコール音で哲矢の意識は覚醒する。

 また、その瞬間、溶岩が高く噴出するように哲矢の中ではある予感が沸き起こった。


 そして、その予感は現実となり、この停滞した状況を変えていく。

 気持ちよさそうについに静かな寝息を立て始めるメイを尻目に、哲矢は拳に力を込めるのであった。

 

 コール音が鳴り止んでからしばらくすると、リビングから物音が聞こえてくる。

 洋助がこちらへ来ようとしていることを悟った哲矢は、慌ててメイに声をかけて彼女の体を揺すった。


「お、おいっ! 起きろメイ! 隠れるんだっ!」


「……ぅんー……? なに、よぉ……」


「いいから! 早く目を覚ませっ!」


 まだ夢の入口にいるのか、メイは瞼をとろんとさせ、無防備な姿をその場に晒していた。

 哲矢は構うことなく彼女をそのままベッドの中へと押し込もうとする。


「んうぅっ!? ま、待って……あんたなにしてっ……!」


「いいから隠れろって!」


「ぅあいたっ! ちょ……ちょっとぉなにすんのよっーー!!」


 メイの平手打ちが哲矢の頬にクリーンヒットする。


「痛ってえぇぇーー!?」 


「ついに本性を現したわねっ! その手には乗らないわよ、この変態っ!!」


「……い、いやっ違うんだ……! 風祭さんがこっちに来てんだよ! 早く隠れないとっ……!」


「それも常套手段ってわけね! 隠れる必要なんてないじゃない!」


「……えっ? あ、ああ。それもそうか……?」


 体をしっかりと守りつつ、メイはテンパる哲矢の姿をじっと覗き見る。


「だ、だったら……そうだ! 帰省の手伝いを……」


「だから、この状況でなにを手伝えばいいのよ!」


 そんな意味のないやり取りを繰り返しているうちに、いつの間にか洋助は部屋の前まで来ていたようだ。

 ノックする音と共に洋助の声がドア越しから聞こえてくる。


『哲矢くーんっ。調子はどうだいーっ?』


 哲矢はなるべく冷静を装いつつ、「じゅ、順調でーすっ!」とだけ短く答えた。


『そっかー。それで今ね。川崎さんから電話が来ているんだけど出られるかい?』


「ハナっ?」


 掛け布団に片足を突っ込んだメイと哲矢は目が合う。

 驚きの表情を浮かべる彼女とは対照的に、哲矢は自らの予感が的中したことに顔を少しだけ綻ばせるのだった。


(やっぱり、花からだったんだ)


 すぐに開ける旨を伝えると、哲矢は呼吸を整えてからゆっくりとドアノブを回す。

 目の前には、子機を手にした洋助の姿があった。


「……どうも」


 軽く頭を下げ、洋助からそれを受け取る哲矢であったが、彼の視線は不自然に膨らんだベッドの掛け布団へと向けられていた。


「な、なんでしょう……?」


「哲矢君……」


 それから彼は普段は見せない下世話な笑みを少しだけ浮かべると、「どっちも悲しませちゃダメだよ」と、冗談ともつかない言葉を口にする。

 

「あ、ははっ……」


 さすがにこれには哲矢も苦笑いで返すほかなく、魂の抜けた笑い声が廊下まで木霊するのだった。


 

 掛け布団に包まったメイがブロンドの髪をくしゃくしゃにして何か言いたそうに哲矢を睨みつける。

 それを無視するようにして哲矢は通話ボタンに手をかけた。

 

「も、もしもし……? 花っ?」


『……あっ。哲矢君?』


「おう。さっきは急に悪かったな」


『ううん。どうしていいか分からなかったんだけど……。これでよかったのかな?』


「大助かりだ。ありがとう」


『ならよかったぁ~……』


 花は電話口からでも分かるくらいに大きな安堵のため息を漏らす。

 意思疎通の取れない中、色々と不安があったに違いない。

 改めて、哲矢は花に詫びを入れる。


 そうこうして彼女と暫しの間話していると……。


 ペシッ!


「おぐぉっ!?」


 突然、軽い痛みが哲矢の後頭部に走る。

 振り返るとそこには、へなへなと折れ曲がった例のハリセンを構えたメイの姿があった。


 彼女は催促するように、口だけで〝ホ・ン・ダ・イ〟と形作ると、もう一度それを振りかざす。

 どんだけせっかちなんだよっ……と、内心で悪態をつきながらも、これ以上意味もなく叩かれるのは御免だったので、哲矢は大人しくメイの指示に従うことにする。

 

『大丈夫? 今なんか変な音がしたけど……』


「あ、ああ……ごめん。それよりさ、もうマンションに着いたのか?」


『うん。ほんのついさっきね。藤沢さんと別れたばかりだよ』

 

「そうか」


 すると、美羽子が戻ってくるまでにそう時間が残されていないことになる。

 逸る気持ちを抑えつつ、哲矢はそこで一旦緩いムードに区切りをつけ、本題への口火を切るのだった。


「それで、退学になった後の話なんだけど……」


『あ、はい』


「俺はまだ諦めていない」


『……お?』


「明日の計画は予定通り行いたいんだ」


『おおぉ~っ♪ そうだよねっ? さすが哲矢君っ! 計画もダメになったんじゃないかって思ってたから安心したよ!』


「ただ、若干の予定を変更せざるを得ないと思う。学園の生徒じゃない以上、俺は明日体育館へ行くことができないから」


『あっ……』


 そこで現実が理解できたのか、花は急にしゅんとしてしまう。

 

「でも悪いことばかりじゃないぜ。新たなチャンスを見つけることができた」


『チャンス?』


 若干の不審を感じさせる声を上げる花に対して哲矢は小さく頷くと、一度メイに目を向ける。

 布団に包まった彼女の瞳は一切の迷いが感じられなかった。


 哲矢は軽く咳払いをすると、自らの考えを花に伝える決意をする。


「さっき、花に風祭さんの関心を引いてもらったのは、メイとそのチャンスについて話したかったからなんだ。結論から言うと、俺たちは外へ出ようって思ってる」


『えっ……今から?』


「学園に行こうと思ってるんだ」


『学園っ!?』


 突然、脈略のない胸の内を明かされて動揺したのか。

 花は呻きにも似た言葉を漏らす。


 彼女のその気持ちが理解できるからこそ、哲矢は先に続く言葉を慎重に選ばなければならなかった。


「あの脅迫文ってさ。手書きで書かれていただろ?」


『――っ、そ……そう? 手書きだった、かな……』


 口ごもって聞こえる花の声は、悪い夢と必死で格闘しているようだ。

 哲矢はあえてそれに気づかぬふりをして言葉を続ける。

 

「つまり、犯人の筆跡が残ってるわけで、これって重要な証拠になると思わないか?」


『そうかもしれないけど、あれはもう……』


 そこで花は言い淀んでしまう。

 もう一度あの脅迫文と向き合うのが怖いという思いが、無意識のうちに働いてしまっているのかもしれなかった。


 けれど、哲矢はなおも平然とした態度を作って彼女の聖域に踏み込もうとする。

 残念ながら前へ進むためにはそれしか方法が残されていないのだ。


「捨てた心配をしてるんなら大丈夫だぞ。俺がしっかり保管してるから」


『っ、うそ……』

 

 子機から漏れるその悲鳴に反応するように、メイが不吉な文字で埋め尽くされた脅迫文を再び哲矢の鞄の中から引っ張り出す。


「やっぱ、気持ち悪いわこれ……」


 そんな声を横で聞きながら、哲矢は予てからのお願いを花に訊ねてみることにする。


「そこでなんだけど、花に一つ頼みたいことがあるんだ」


『私に?』


「そんな構えることじゃないから。花なら楽勝だろうし。その脅迫文の筆跡をさ、調べてほしいんだ。筆跡鑑定ってあるじゃん? そこから犯人を割り出したりするやつで……」


『む、むり無理っ! そんなの絶対ムリだよっ!』


 花は電話越しからでも分かるくらい取り乱したように大きな声を上げてくるが、彼女の謙虚な性格を知っていれば一度引き下がることは哲矢としては想定の範囲であった。

 姿勢は崩さずに哲矢はさらに押しを図る。


「大丈夫だって! 花、書道部でも優秀なんだろ? 絶対できるさ」


『買いかぶり過ぎだよぉっ。私にそんな力ないから……!』


 しかし、哲矢の予想に反して、花はそれでも主張を曲げなかった。

 ここまで頑なに拒否する彼女も珍しい、と哲矢は思う。


 だが当然、哲矢もここで引き下がるわけにはいかない理由を背負っていた。


「犯人が分かれば明日の計画も一歩前進するかもしれないんだ。こんなことお願いできるのは花しかいないんだよ」


『でも……。もし、私が間違った判断をしたとしたら……』


「えっ?」


 とっさに漏れる声を耳にして、哲矢は言葉の裏に隠れた花の本音に気づいてしまう。

 彼女は自身の選択によって犯人を決めてしまうことを恐れているのだ、と。

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