第123話 思わぬ誤算
「……で? どうすればいいのよ」
「あ、ああ……。ひとまずメイにはこの後すぐに2階の自室へ引き上げてもらおうと思う。でも、ただ戻るだけじゃダメだ。風祭さんに自室へ戻ったことを認識させたいんだ」
「なんでそんなことする必要があるわけ?」
「その理由はこの後ちゃんと話す」
「……なら、ヨウスケに声かけてから2階に上がればいいってことね」
「そうだな。確かにそれくらい大胆な方が印象に残るかもな。その判断は任せるよ」
「そういうのが一番困るんだけど」
そう愚痴りながらも、メイは哲矢の話にしっかりと聞き耳を立てていた。
共有しなければならない事柄はまだ山ほどある。
哲矢は腕時計に目を落としながら続きを急いだ。
「……それで、自室に引き上げたら次は花と藤沢さんが宿舎を出るタイミングまで待ってほしい」
「待つ?」
「二人が車に乗って出発するどさくさに紛れて俺たちも外へ出るんだよ」
「……はぁ? なんでそんな面倒なこと……普通に今から宿舎を出ればいいじゃない。あの女だって、いつ準備ができるか分からないのよ? そんな悠長なことしてる暇なんて……」
「この状況で風祭さんが外出を許可してくれると思うか?」
「それは……」
「風祭さんにはバレないように宿舎を出たいんだよ。だから、しっかり部屋に戻ったことを認識させる必要があるんだ」
「だけどっ、どさくさに紛れてなんて言うけど、そんなに上手くいくとは思えないわ」
「もちろん、一か八かみたいなところがあるのは否定しないけどさ」
「それに、なんとか宿舎を抜け出せたとしても、ヨウスケが私たちの部屋を覗きに来ないとも限らないじゃない」
「いや、多分それは大丈夫。あれだけすぐに提出しなくちゃいけない報告書がかなりあるって言ってたわけだし、そんなことをしてる余裕はないと思う」
「で、でも……マーローだって、あれで元は優秀な警察犬らしいでしょ? 私たちが外に出たことにも気づくかもしれないわ」
「考えすぎだろ。さっきあくびしてたくらいだし、風祭さんの部屋に戻って寝てるんじゃないのか?」
「……っ……」
それを聞いてもメイはやはり納得していない様子であったが、このままでは堂々巡りだということに気づいたのだろう。
脚を組み替えると、気分を変えるように哲矢に続きを促す。
「まあいいわ。とりあえず、全部聞きましょう。それでその後はどうするの?」
「その後?」
「肝心の話がまだじゃない。どうやって学園に入るの?」
「正攻法じゃないけど、いいか?」
「どーせ、昨日みたいに窓ガラス割って入ろうとしてるんでしょ」
「んなことするかよっ!」
「えっ? 違うの?」
そんなことをすれば警報が鳴って、即警備員が駆けつけるに違いない。
どうやらメイは廃校の侵入とほとんど同じものだと思っているようだ。
「この前、花が話してたんだ。部活の朝練で一番に校舎へ入ることがあるって。つまりさ。これって鍵が閉まった学園への入り方を知ってるってことじゃないか?」
「ふーん……。それが本当なら有益な情報ね」
「なんで疑ってんだよ」
「違うわ。ハナを疑ってるんじゃなくて、あんたが口でまかせを言ってこの場を丸く収めようとしてるんじゃないかって疑ってるのよ」
「んぬぬっ……」
反論したい気持ちをぐっと哲矢は堪える。
ここで言い争っていても意味はない。
とにかく今は花にその入る方法を聞くのが先決であった。
(まだ、筆跡を調べてもらうお願いもしてなかったし)
気持ちを切り替え、花を交えて話を進めようと思う哲矢であったが、すぐに問題にぶち当たる。
当の本人は今自由に身動きが取れない状況にあるのだ。
さすがに洋助の目を誤魔化して花まで自室へ呼び寄せることはできない、と哲矢は思う。
次から次へと目の前に壁が立ち塞がる感覚に苛まれながらも、なんとか花と話す機会を頭の中で模索する哲矢であったが、突然近くで鳴り響く物音によりすぐさま意識は現実へと引き戻される。
とっさに哲矢はメイの顔を見た。
「テツヤ……」
メイは学習机の椅子から体を起こしながらドアをじっと眺めている。
嫌な予感が哲矢の脳裏を過った。
(まさか……!)
胸の鼓動が急激に早まるのが分かった。
哲矢はすぐさま立ち上がると、恐る恐る部屋のドアへと近づき、注意深く廊下の様子を聞き取ろうとする。
(リビングの方からか?)
誰かの挨拶する声が小さく聞こえる。
そして、ややあってから玄関の扉が閉まる音が大きく鳴り響くのだった。
(マズいっ!)
哲矢がそう思った瞬間にはすべてが手遅れであった。
「ちょっと……もう出るの!?」
反射的に椅子から立ち上がったメイに続いて哲矢も窓際へ駆け寄ると、ちょうどライトを点灯させたアキュアが車庫から出発する姿が目に映る。
花を乗せたその車は、のっそりと車庫から出て、そのまま宿舎を出発するのであった。
「……っ」
「嘘でしょ……」
哲矢とメイは窓際に張りついてその光景を唖然と目で追うことしかできないのであった。
こうなれば、手段は選んでいられなかった。
そう思うや否や、哲矢の体はまるで暗鬼に取り憑かれたように、突拍子もない行動を取ってしまう。
「今からでも遅くないっ! メイ、行くぞっ!」
「今からってあんた……おわっ!?」
またも強引にメイの手を取り、廊下へ飛び出す哲矢であったが――。
(うげ……)
すぐに問題にぶち当たる。
光の漏れるリビングから物音がするのだ。
洋助が部屋の中に居るのは明白であった。
「ちょっと!?」
「待って……」
メイから手を離した哲矢は忍び足でリビングへと近づき、少しだけ開いたドアの隙間から室内の様子を覗き込む。
真っ先に飛び込んできたのは洋助の姿であった。
彼は宣言通りテーブルに積まれた書類の山と格闘している。
慌ただしい動作から自室へ引き上げる時間も惜しいという雰囲気が伝わってくる。
(まさか、あれからほとんどリビングを出てないのか……?)
これでは玄関から外へ出たら一発でバレてしまう。
リビングと玄関は目と鼻の先だからだ。
思わぬ誤算を目の当たりにし、哲矢は脱出作戦がそもそもの初めから破綻していたことに気づく。
「どうすんのよ、これ」
洋助に悟られないように忍び足で来た道を戻った哲矢は、さっそくメイの追及を受けることになった。
二人で一度男子部屋へと戻る。
「これじゃ、学園に行くどころか外へ出ることもできないじゃない」
ドアを閉めると、メイの怒号がすぐに飛んできた。
「いや……悪い。上手くいくと思ったんだけど」
「もう、しっかりしてよ」
それから責める態度を貫いていたメイであったが、このままでは何か問題が解決するわけではないということに気づいたのだろう。
次第に勢いを失って黙り込んでしまう。
「せめて、花に連絡する手段があればいいんだが……」
後に響くのは哲矢のそんな独り言であった。




