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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
120/421

第120話 引き下がらない彼女

 沈む場の空気を察してか。

 洋助が皆の気持ちを切り替えるようにパンパンと手を大きく叩く。


「さぁ、みんな! ひとまず夕食まで自由時間にしよう」


 ここでどう行動すれば事態が上手く収束するか、洋助は分かっているのだろう。

 現にメイと花は、彼のその言葉に吸い寄せられるように付き従おうとしていた。


 だが、哲矢にはその気はなかった。

 心はすでに決別へと向け、歩みを進めていたのだ。


 その小手調べとして、哲矢はまず足場の確認を行う。


「それじゃ、メイ。部屋の片づけを手伝ってくれないか?」

 

「……は、はぁ?」


「頼むよ」

 

「なんで私があんたの部屋の片づけなんかしなきゃなんないのよ」


 そっぽを向くメイの瞳にいつもの輝きが戻っているのが分かり、哲矢はひとまず安心する。


 そして、洋助の関心がメイへ向いている一瞬の隙を突いて、哲矢は正面に座る花に何度かアイコンタクトを試みる。

 洋助に話しかけてほしいと合図を送ったのだ。


 ハッと哲矢の視線に気づいた花は、持前の洞察力で意図をすぐに汲み取る。

 これまで培ってきた関係が生み出したまさに阿吽の呼吸であった。


「あ、あのっ……風祭さんっ!」


「ん? なんだい?」


「えっと……その……」


 ただ、まだ本調子ではないのか。

 声をかけたはいいものの、続く言葉に花は迷いを見せる。

 それに気づいた哲矢はすぐに彼女に助け船を出した。


「そういえば、花。もう帰らなきゃいけないんだったよな?」


「えっ? あ……う、うんっ!」


「というわけなんですよ、風祭さん」


「あぁ、そうだね。確かにもう暗いし、川崎さんは帰った方がいいかもしれない」


 部屋の掛け時計に目をやる洋助は、気づかずに引き留めてしまった自分を責めるように申し訳なさそうに口にする。


「だからさ。送りが必要なんだよな?」


「……そう、そうなんです!」


「ああ……なるほど」


 そこで洋助は花が言おうとしていることをようやく理解したようだ。

 けれど、なぜか歯切れが悪い。

 

「そっか。でも、うーん……」


 洋助はこの状況で頼みを断るような人間ではない。

 だからこそ、余計に彼のその反応は哲矢にとって意外なものであった。

 

「送ってあげたいのは山々なんだけど……。これからすぐに提出しなくちゃいけない報告書がかなりあってね。少しここで待ってもらうのはダメかな?」


 洋助の主張は、職務を全うする国家公務員として至極当然のものであった。

 

 さらに言葉を加えようとする哲矢ではあったがさすがに言い淀んでしまう。

 これ以上頼み続けることは彼の職務を妨害することでもあるからだ。

 しかし――。


「……き、昨日も送ってもらってあれなんですけど、ここから私の自宅まで結構近いんです! 車ならすぐ着くと思いますっ! それでもダメでしょうか……?」


 普段の花なら遠慮して間違いなく引き下がっている場面だったが、今日の彼女は違った。

 哲矢の言動を見て、ここは食い下がらなければならないと感じたのかもしれない。


「……参ったな……」


 さすがの洋助も花のこの態度には困惑した表情を覗かせる。

 本当に今すぐ手をつけなければならない仕事を抱えているのだろう。

 

 花にもそれは十分に伝わっているはずだ。

 だが、彼女はあえて無知な子供という立場を利用するように追撃の手を緩めない。


「藤沢さんなら、どうでしょうか?」

 

「美羽子君?」


「はいっ、風祭さんがダメでしたら、藤沢さんに送ってもらえないかと……」


「…………」


 一瞬、気まずい沈黙がリビングに降り立つ。

 洋助は頭を搔きながらどうするべきか思案している様子であった。

 やがて、彼の口が開く。


「……うん。分かった」


 洋助は何かを決意したように短くそう答える。


「僕から美羽子君に頼んでみるよ」


「あ、ありがとうございますっ!」


 花は短いツインテールの髪を揺らしながら感謝の気持ちを大きく表す。

 こうした素直な一面は、ある意味彼女の才能と言えた。

 洋助も気づかぬうちに花の才覚に惹かれているのかもしれなかった。


「だけど、美羽子君もやることがあって忙しいから。難しかった場合は悪いけど、やっぱり少し待ってもらうことになると思う」


「はいっ。よろしくお願いします♪」


 本来ならここまで話をつけるのは哲矢の仕事であった。

 丁寧に頭を下げる花を申し訳なく感じながらも、あとは彼女に任せて大丈夫だろうと哲矢はひと安心する。


「……あんた。ハナになにか吹き込んだの?」


「……? なにが?」


 いつもとは違う態度の花を見てメイは何か不審を抱いたようであったが、哲矢はこの場では気づかないふりを決め込む。


「それじゃ、メイ。一緒について来てくれ」


「だから、なんで私がっ……!」


「いいから」


「はぁ? ――って、ちょ……ちょっとっ!?」


 テーブルから立ち上がりメイの後ろに回り込むと、哲矢は強引に彼女の椅子を引く。


「風祭さん。俺は帰省の準備を始めますんで」


「えっ……あ、ああ。申し訳ないけどよろしく頼むよ」


 洋助は哲矢の切り替えの早さを特に不自然に感じている様子がない。

 サバサバした今時の若者と思われたのかもしれない、と哲矢は思う。

 けれど、これは逆に哲矢にとって好都合であった。


(悪いですけど……そこまで諦めはよくないんです)


 哲矢の手元に残るのは意地であった。

 それだけが今の哲矢を突き動かす原動力となっていた。


 メイの手を強引に取ってリビングを離れる際、哲矢はテーブルに腰をかけたままの花と目が合う。

 そんな彼女に対して、哲矢は口の動きだけで〝また連絡する〟と形作る。

 

 花が静かに頷くのを確認すると、今度こそ哲矢はメイと一緒にリビングを後にするのだった。

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