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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
118/421

第118話 その時、何が起こったのか?

 レクリエーションルームを飛び出した哲矢は階段を降って1階へ向かおうとする。

 すると、丁度そのタイミングで玄関からリビングへ向かおうとしている美羽子と鉢合わせしそうになる。


(……ッ!)


 その瞬間、哲矢の心臓は飛び跳ねる。

 鼓動は波を打つように速くなっていった。


(お、落ち着けっ……。大丈夫だ……)


 そう自分に言い聞かせ、状況を冷静に観察しようと哲矢は階段の途中に足をかけて周りを見渡す。


 どうやら美羽子はまだ哲矢の存在に気づいていないらしく、視線をどこか別の方へ向けていた。

 その先には――。


(あっ……)


 美羽子と対峙するように構えるメイと花の姿があった。

 

「……私が呼んだのよ」


 続けて聞こえてきたのは、そんなメイの挑戦的な言葉。

 まるで、昨日の言い争いの続きでもするような強気な口ぶりだ。

 

「…………」


 けれど、なぜか。

 美羽子は何も返すことなく、ただ黙ったままその関心をメイの後ろに隠れる花だけに向けていた。


 たしかに、この状況で花の存在は異質であると言えた。

 宿舎に見知らぬ者が紛れ込んでいるのだ。

 美羽子が訝しげな視線を向けるのも無理はない。


「あ、あの……」


 険悪な場の雰囲気を察したのだろう。

 花は遠慮がちに声を上げると、頭を下げて自己紹介を始める。


「川崎花と申しますっ! お邪魔しております……」


 花の声は若干震え混じりであった。

 美羽子はそんな彼女の姿を見て、メイの方を一度見やると、力なさげに「そう……」とだけ呟く。


 そして、「初めまして。家庭裁判庁調査官の藤沢美羽子です。お構いできなくてごめんね」と、業務的な笑顔を見せて挨拶を済ませると、それ以上何も言うことなくリビングの奥へと消えていってしまう。


 少し安心したようにホッと胸を撫で下ろす花とは対照的に、メイは美羽子のそんな態度に拍子抜けした様子で、眉をひそめながら彼女の背中を目で追っていた。

 何か言いたそうにメイは白い奥歯を覗かせるが、結局その先に繋がる言葉は出てこないようであった。


「……あぁ。みんな勢揃いだね」


 リビングへ消えた美羽子の後に続くように玄関の方から書類の山を抱えた洋助が姿を見せる。

 その声を聞いた哲矢は反射的に階段を素早く降り切ると、メイと花と合流を果たし、三人で彼と向き合う形を取る。


「哲矢君」


「…………」


 声をかけてくる洋助に対して哲矢は返事をすることができなかった。

 今朝、彼とは一緒に一難乗り越えたというのに、それは遠い過去の出来ごとのように哲矢には遠くに感じられてしまう。


 それと同時に哲矢の頭に甦るのはその際の彼の言葉であった。


 〝僕はこの前君が口にした言葉を忘れていないんだ。自分を変えるためにもう一度事件と真剣に向き合うって〟


 洋助は確かにそう口にしてくれた。


 しかし、結果的に哲矢はその信頼を裏切ることになってしまう。

 たとえ自分がやったことではないにしろ、少年調査官の存在が世間にバレてしまったという事実は変わらない。

 発端は誰でもなくこの俺にあるんだ、と哲矢は思う。


 綺麗ごとだけでは済まされない世界が世の中には存在することを哲矢は17歳にして理解するのであった。

 

「こんなところで立っていてもなんだし。とりあえず、みんな中に入ろうか」


 対して洋助は、不安定に心を彷徨わせる哲矢の無言にも気後れすることなく、すぐに気持ちを切り替えたのか、立派な大人を演じていた。

 また、メイと花も洋助の提案に反対することはなかった。


「くぉ~ん」


 のったりとした足取りのマーローが洋助の元へ近寄ってくる。

 三人は洋助とマイペースなゴールデンレトリバーの後に続き、再びリビングへと戻る。


 そして、部屋に足を踏み入れて哲矢はすぐに気がつく。

 そこに美羽子の姿がなかったのだ。

 おそらく、隣りのリクライニングルームへ移ったのだろう。


 そのことで少しホッとする哲矢同様に、洋助も美羽子がいないことを特に不都合に感じている様子はなかった。


 テーブルに書類の山を一旦預けると、誰に聞くわけでもなく「コーヒー入れるね」とひと言口にしてからキッチンへと足を踏み入れる。

 努めて明るく接しているようであったが、その裏に色濃く残る疲労の表情を哲矢は見逃さなかった。


「あっ! それなら私も手伝いますっ!」


「そう? じゃあ、お願いしようかな」


 真っ先に声を上げた花が彼の後に続いてキッチンの中へと入っていく。

 なぜか洋助は花がこの場にいることについて何も訊ねてこなかった。

 

 昨晩の一件以来、洋助は花のことを随分と信頼している様子だ。

 

 そうでなければ電話口に出たクラスメイトに少年調査官の正体が漏洩しているなどと大事な情報を伝えはしないだろう、と哲矢は思う。

 花は洋助に存在を認められたのである。

 

 そんなことを考えながら哲矢はメイと一緒に先にテーブルに腰をかける。

 その場所から役目を終えた古い映写機のように、ただ洋助と花が黙々と作業する様をじっと眺めた。


「くぅぅーん」


 テーブルの近くに座ったマーローが退屈そうに短くあくびを鳴らす。

 暫しの間、そこでしっぽを振った後、彼はまたどこかへ消えていってしまう。




 ◇




 それから……。

 コーヒーメーカーの豆を挽く音が聞こえてしばらくすると、人数分のマグカップをトレイに乗せた花が戻ってくる。


「はい皆さん、どうぞっ♪ 砂糖とミルク使う人は言ってください~」


 元気に声を上げながらマグカップと保温ポットをテーブルに並べ始める花の後ろで、洋助は珍しく「ふぅ……」とため息を漏らし、哲矢の隣りに腰をかける。


「大丈夫、ですか?」


「……あっ? いや……ごめん」


「テツヤ、ほとんどなにも聞かされていないみたいよ?」


 洋助の正面で腕を組んだメイが彼を責め立てるような声を上げる。

 花はメイの隣りに腰をかけつつ、途端に表情を曇らせた。


「……うん。そうだね」


 洋助はマグカップから立ち昇るコーヒーの湯気が天井へと吸い込まれるさまを目で追いながら静かにこう続ける。


「哲矢君、今からなにが起きたかきちんと話すよ。でも、その前に話を整理しておこうか。まず、哲矢君の存在――つまり、少年調査官の存在がネットに漏洩してるってことは伝えたよね?」


「はい」


「その経緯についてなんだけど……」


「それならさっき私が伝えたわ」


「……そっか。だったらみんな分かってると思うけど、哲矢君のTwinnerアカウントからその情報は発信されたんだ。それで……ここからはとても言いづらいんだけど……。うちの上の人間はそれをやったのは哲矢君だって、そう疑ってるんだ」


「そうですか」


 分かっていたことだとはいえ、正面切ってそう告げられると、現実感が途端に哲矢の中で形となって膨らんでいく。

 けれど、続く洋助の言葉はとてもリラックスしたものであった。


「でも大丈夫。結論から言うと、現状はそこまで大事に至ってないから」


「えっ……」


 思わず哲矢は驚きの声を上げてしまう。

 きつく事実を追及されるものだとばかり心の中で覚悟していた哲矢にとって、彼のそんな態度はまったくの予想外のものであった。

 

「そうなの?」


 その反応はメイにしても同じで、やはり驚きを隠せないといった様子だ。

 

 洋助は哲矢たちの戸惑った表情を見て小さく頷くと、種明かしをするようにその理由を説明し始める。


「ツイートは具体的にこう投稿されたんだ。『今、宝野学園に少年調査官として通ってる』って」


「それだけ……?」


「うん。メイ君も分かると思うけど、この〝少年調査官〟っていう言葉だけじゃ、誰もなんのことを言ってるか分からないよね?」


「たしかに……そうですね」


 花が神妙に頷く。

 洋助はテーブルに座る三人を見渡しながら続けた。


「拡散した子たちも哲矢君が通う地元の高校の生徒がほとんどで、今はそれ以上広まる気配を見せてないんだ。だから、庁のお偉いさんたちはそれほど重要なことが起きたとは考えてないんだよ」


「じゃあ、これ以上この話題が広まることはないんですか?」


 身を乗り出しながら花が訊ねてくる。

 洋助は少しだけ考える素振りを見せた後、神妙な面持ちでこう答えた。


「絶対とは言えないけど、特になにもなければこのまま無数の呟きの海に消えてしまうだろうね。家庭裁判庁にはね。事務局という部署の中に事件に関与したもしくは関与の疑いがある者の動向をTwinnerで監視するチェッカーという役割を担う人たちが存在するんだ。だから、彼らの目に止まらない限り、拡散は収束したと考えて大丈夫だと思う」


「そうなんですねっ! よかったぁ~……」


 安堵の表情を浮かべているのは花だけだ。

 哲矢もメイもこれですべてが終わるとは思っていなかった。


 当然、洋助もそう考えているようであった。

 重みを増した彼の言葉がさらに続く。

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