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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
117/421

第117話 思い巡らすレクリエーションルーム

「今、テツヤのTwinnerアカウントはそれ以降ツイートを投稿していないらしいの。だから、すぐにでもパソコンからログインしてパスワードを変更すれば、これ以上乗っ取られる心配はなくなるわ」


「……そっか。パスワードを変えちゃえばいいんだ! だったら哲矢君っ!」


「おう、そうだな」


 こんなことで何かが解決するわけではなかったが、何もしないでじっと洋助たちの帰りを待っているよりは意味があるように感じられた。

 

 その後、三人はすぐに2階のレクリエーションルームへ移動する。

 

 哲矢は木製デスクに備えつけられたノートパソコンを開き、手際よくインターネットへ接続する。

 メイと花は、革張りのアームチェアにゆっくりと腰をかけ、ディスプレイの発光を黙って見つめていた。

 

 哲矢も同じくその光を眺めながら、思考を深いところまで沈めていた。

 こうして静かな間が生まれると、どうしても余計なことを考えてしまうのだ。


(結構、ヤバいよな……)


 実際の状況はかなり深刻であると言えた。

 いくら表面で良い恰好をしたとしても、自身を誤魔化すことはできない。


 メイもそれに気づいているからこそ、平静を取り繕ってくれているのだ。

 〝大変なことが起きてしまった〟という実感は、哲矢の中で段々と大きくなっていく。


 楯を突いたと思われてしまっている以上、いくら未成年といえども何らかの処罰を受けることは明白であった。

 たった一つの呟きが人生を棒に振ることもある時代だ。


 一度ネットの海に放り込まれた情報は、怨念の如くいつまでも留まり続ける。

 それがどこまで広がるかはまったくの未知数であった。


 Twinnerのログイン画面にカーソルを合わせながら、哲矢はネット社会のリアルに初めて恐怖を覚える。

 こんな世の中でこの先も生き抜いていくことは、とても過酷で困難な命題であるように哲矢には感じられるのだった。

 

 思い返せば、そもそもの発端は哲矢にあった。

 昨日のホームルームであんな告白をしなければ、こんなことにはならなかったのだ。


 クラスメイトを信じた行動が逆に仇となり、その中の誰かが教師へ告げ口をし、今回のような悪意ある拡散が行われたのだ。

 昨日の告白はクラスメイトとの距離を縮めた一方で、大変な事態を引き起こしていた。


 仮にもし、大貴らが今回の件に関わっているのだとしても、その罪を自分は責めることができないのではないか、と哲矢は感じる。

 結局は自分で蒔いた種なのだ。


 〝なぜもっと慎重にならなかったのか〟と問う自分と、〝それでも彼らを信じたかったんだ〟と反論する自分が哲矢の中で相反する。


 哲矢に断言できることがあるとすれば、自分は最後まで責任を負わなければならない、ということであった。


(俺はどうなっても構わない)


 けれど、自分を手助けしてくれた人々に迷惑をかけることだけは避けたかった。

 

 画面を睨みつけたまま固まる哲矢の表情が暗く陰りつつあることに気づいたのか。

 メイはアームチェアからスッと立ち上がると、哲矢の耳元近くまで顔を寄せてくる。


 その瞬間、甘い香りが鼻孔をくすぐり、それで哲矢はハッと我に返った。

 瞳の奥深くまで照らすような眩しい彼女の微笑みに哲矢は一瞬心を奪われる。


「あまり深く考えないことね」


「えっ……」


「だってそうでしょ? そもそも、少年調査官の存在は公にしちゃいけない、なんていうルール。なんで勝手に選ばれたあんたがその重みを背負わなければならないの? 前提から荷が重すぎるのよ。そういう部分を見直さない限り、今回のような件は今後も起こるでしょうね」


 自身の主張に一切の迷いを見せず、メイはそう断言する。


「そうだよね……。元々おかしいんだよ……」


 花もまた、そんな彼女の意見に賛同するように深く頷いて見せるのだったが、哲矢は同じように手放しでそれを受け入れることはできなかった。

 

 しばらく何も言えずに黙り込んでいると、メイはそんな哲矢の気持ちを知ってか知らずか、なおも少年調査官制度に対する批判を続ける。


「少年法に限界を感じた大人たちが苦肉の策としてこの制度を作ったんでしょ? どうしてその存在を最初から世間に隠す必要があるのかって、私はそう問いたいわ」


「公にしてみて初めてそれがしっかりと機能するか分かるんじゃないかしら? 裏でコソコソやってるから色々なことを見落としてしまうのよ」


 メイの言い分は多少強引であるにせよ、その点に関しては哲矢も彼女の意見に概ね同意であった。


 どうして世間に存在を秘密にする必要があるのか。

 その疑問は、最初に少年調査官の話を聞かされた時から哲矢が抱いているものであった。


 その存在は〝家庭裁判庁調査官の弱音を具現化したものである〟と世間に受け取られかねないため、慎重に進められてきた背景がある、という話はもちろん哲矢も承知していた。


 そのため、これまで少年調査官のメスが入った事件はその存在を公表されずにきたということも。


 この宿舎にしても表向きは家庭裁判庁の施設ということになっている。

 将来制定される可能性のある仮制度ということもあって、その隠秘は当然ながら国家レベルに徹底的である。


 だが、渦中にいるからこそ、哲矢には余計に分からなかった。

 メイが指摘する通り、公にして初めて明らかとなる真実もあると思うのだ。


 今の状態では様々な制約に縛られ過ぎていて、〝少年と同じ環境で物ごとを体験する〟という本来の目的からはほど遠い、と哲矢は感じてしまう。

  

 どこまで意味を理解しているのかは分からなかったが、花はメイの言うことに素直に感心している様子で「うんうん」と何度も頷いていて、その彼女の支えがメイの所論をさらに加速させていく。


「結局、こっちに全部丸投げでしょ? それで正体がバレたらバレたで私たちが責められるってのは公平じゃないわ。やっぱり納得がいかない」


 大げさに身振りを交え、感情を剥き出しに主張するメイの言葉を聞いていると、一瞬世間にリークした犯人は彼女なのではないかという疑心が哲矢の中に生まれる。

 しかし、メイもまた、同じく責任を追われる立場なのだ。


 表面ではキツく映る彼女ではあったが、少しでも一緒に居ればそんなことをする人間ではないことはすぐに分かることであった。


 メイが怒りを露にしている理由はもっと単純だ。

 ある身近な対象に対して敵意を向けている。


 決して彼女は口には出さなかったが、その相手が美羽子であることは哲矢には容易に想像がついた。

 そして、それには大いに私怨が絡んでいることも否定できなかった。


 宿舎に妙な静けさが訪れる。

 先ほどまで部屋を薄く染めていた橙色の光は、ついに地平線の彼方へと消え去り、徐々に闇が侵食しつつあった。


 窓ガラスからは、鮮やかな桜の花びらが風に乗って緩やかに流れるさまが見える。

 そんな光景を横目に見つつ、哲矢はTwinnerのログインに無事成功すると、アカクント情報を修正しながら今後の学園側の処遇について考え始める。


 現状、この先も宝野学園に居られる可能性は非常に低いと言えた。


(せめて、あと一日遅かったら……)


 そう強く願う哲矢であったが現実は厳しい。

 重要な日を前にして、最悪な事態が起こってしまったのだ。


 また、哲矢の処遇は今後の将人の人生にも大きく影響していた。

 

(今朝の清川の態度……)


 彼は外部に情報が漏洩することを極端に嫌っているように見えた。

 それも当然だ。

 少年調査官の存在が世間にバレたら、将人の事件も公になってしまうからだ。


 この件は、哲矢個人の問題ではない。

 家庭裁判庁や宝野学園までも巻き込んだ大きな問題なのである。


 ひょっとすると、すでに清川の耳にもこの一報は届いているかもしれなかった。

 思い返せば、今日一日教師たちの動きが一様にして慌しいように思えた。


(そのこともなにか関係してるのか……?)


 水面下で動きつつある不気味なものの存在を哲矢は感じ取る。

 

 ガチャッ――。


「……?」


 その時、1階から何か物音が聞こえる。

 哲矢はディスプレイから目を離すと二人と顔を見合わせた。

 続けて人の話声もわずかながら聞こえてくる。


「……多分、ヨウスケたちよ」


 そう口にするなりメイは、哲矢がまだ作業途中のノートパソコンに手をかける。


「おいっ?」


「いいから。今はリビングに降りる方が優先」


 メイは哲矢の背中をパンッと叩いてアームチェアから立ち上がると、隣りの花に向けて手を差し出す。


「え……私も?」


「大丈夫よ」


「で、でも……」


「ハナはもう私たちの立派な仲間。ヨウスケたちにとやかく言われる筋合いはないわ。さ、行きましょ」

 

「メイちゃん……」


 そこでメイはにっこりと微笑むと、そのまま花の手を取り、レクリエーションルームから足早に出ていってしまう。


 哲矢も彼女たちの後を追うため、慌てて部屋を飛び出すのだった。

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