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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
116/421

第116話 暴露ツイートの犯人

 哲矢にエスコートされ、舎内に足を踏み入れた花は、気恥ずかしそうに改まった挨拶を口にする。


「お、おじゃましまぁす~~……」


 ここを訪れるのが初めてということもあり、若干緊張しているようであったが、すぐにその意識は別のところへ移行したようであった。


「ほえ~っ」


 舎内の目新しさに気づいたのだろう。

 彼女は物珍しいものでも見るように、時に驚きの声を上げながら首をぐるぐると回して廊下を進んでいく。


 確かにこの宿舎には、お堅いイメージの強い家庭裁判庁の施設とは一線を画す洗練されたデザインが施されており、花が驚くのも無理はなかった。

 

 その趣向は至るところまで及び、例えばドア一つ取ってもきめ細かく木彫りされたアジアンテイストのデザインが成され、その道の職人にわざわざオーダーして作らせたと思わせる徹底ぶりだ。


「すごいね。これっ♪」


 そう口にしながら木目の凹凸を手で擦る花は、それに気を取られるあまり、特に何の躊躇いも見せることなくドアを開けてしまう。

 あっ……と、哲矢が思った瞬間にはすべてが遅かった。


 洋助と向き合う心の準備ができないまま、花の後に続くようにしてリビングへと入り込む。


「あ、あれ……?」


 だが、すぐに部屋を見渡すなり、哲矢はある違和感を抱いた。

 洋助と美羽子の姿が見当たらないのだ。


「ふぁ~。ヨウスケなら家裁へ行ってるわよー」


 狐につままれた顔をしている哲矢の心中を察したのか、メイがあくび混じりに声をかけてくる。

 彼女はとてもリラックスした体勢でソファーに腰をかけ、コーヒーのほろ苦い湯気が立つマグカップを啜りながら、近くで座るマーローの頭を優しく撫でていた。


「…………」


 なぜこの状況でそんなに寛いでいられるのかと、色々と言いたい気持ちが込み上げてくる哲矢であったが、ここは一旦グッと堪えることにする。


「今はバタバタしてるみたいだから。当分、戻ってこないかもね。とりあえず、座ったら?」


 眠たそうに目をしばしばとさせるメイの促しに従う形で、哲矢と花は彼女の向かいのソファーに静かに着席する。

 賢い洋助の愛犬は「く~ん」とひと鳴きしてから空気を読むようにリビングから出ていくのであった。

 

「まずは駆けつけに」


「あっ……どうもっ!」


 花はメイからグリーンスムージーの入ったボトルを受け取ると、それをグラスに注いで一気に飲み干す。


「っぷはぁ~っ! 美味しいねこれっ♪」


「ええ。少し歩いたところに自然食品専門のスーパーがあってね。自分で野菜とか果物を選んでミキサーで作ったの」


「ほへぇ~。こっちなんか全然ダメだよぉ。団地の小さなお店しかなくて、困ってるんだ。いいなぁー」


「まぁでも、こういう店って結構高いから。もしよかったら今度一緒に……」

 

「おい」


 そんな二人の会話に哲矢は無遠慮に割って入る。


「……っ、なによ」


「んなこと悠長に話してる場合か? 今どういう状況なんだ?」


 そこでメイは諦めたようにわざとらしく深いため息をつくと、手にしたグラスを叩くようにテーブルへと置く。


「あんたって」


「な、なんだよ……」


「オンとオフの切り替えとかそういうの、できないわけ?」


「メ、メイちゃんっ……!」


 突然、ひりつく場の雰囲気に花が慌てたようにフォローに入ってくる。

 

 やがて、メイは何かを決心したのか。

 小さく息を吸い込むと、哲矢の目を正面に捉えながら本題を切り出す。


「いいわ、話してあげる。それで? どこまで聞いてるの?」


「まだ、具体的なことはなにも聞いてない。俺の正体がネットにバレたとかで……」


「それだけ?」


「うん。風祭さんに詳しく訊こうとしたんだけど、途中でスマホのバッテリーが切れちゃって」


 今すぐにでもネットで事実を確かめたい気分であったが、それができる機器を哲矢は持ち合わせていない。


「本当になにも聞かされていないのね」


 メイは少しだけ物悲しそうに呟く。


「いい? よく聞いて。その情報はあるTwinnerのアカウントから流出させられたの」


 飲み込みの遅い生徒を諭す熱心な講師のように彼女は根気強く言葉を重ねる。

 哲矢と花は聞き逃すまいと、彼女の声にじっと耳を傾けた。


「それで、その流失させたTwinnerのアカウントっていうのが……」


 そこで一旦呼吸を整えると、メイは残酷な事実を包み隠さず口にする。

 

「テツヤ、あなたのものなのよ」


「……嘘っ……」

 

 哲矢の近くで悲鳴に似た声が上がる。

 だが、それとは対照的に哲矢の心は湖畔の静けさの如く落ち着いていた。

 そんな予感があったのだ。

 

 そして、哲矢はこれまで隠してきた事実を懺悔するように、ゆっくりとこう口を開く。


「……スマホが無いんだ」


「なに?」

 

 いち早く反応したのはメイだ。


「どういうこと?」


 珍しく体温を感じさせる口調で身を乗り出すメイに対して、哲矢はなるべく親切であろうと言葉を精査してから紡ぐ。


「今朝、教室の自分の机の中に入れておいたんだ。けど、放課後になったらそれが無くなっていて……」


 花が薄く唇を噛む。

 一度教室まで戻った意味がようやく理解できたのかもしれない。


「…………」


 逆にメイはその言葉を受けて暫しの間黙り込んでしまう。

 それは、何かを必死で考えるために黙ったというよりも、哀れみの沈黙に近い印象を哲矢は受けた。

 

 そして、二の句が継げない哲矢の思いを代弁するように、花はテーブルから立ち上がりながら恨み言にも近しい響きを唱える。


「哲矢君のスマホを盗んだ誰かが哲矢君のスマホを使ってふりをしたんだ」


「……いや。そんなはずない。だって、あれは昨日の雨で壊れたままだし……」


「そうとも限らないんじゃない?」


「え?」


 今まで黙り込んでいたメイが両手を広げながら口を挟んでくる。


「私のスマホ、さっき見てみたら電源が入るようになってたわ」


「は? マジかっ!?」


「ただ、水シミがひどくて液晶は壊れたままだったけどね。でも、この状態なら中身を覗くことは可能よ」


「そ、そうなのか……?」


「犯人に多少の知識があるのなら、ケーブルでテレビやパソコンにスマホを繋いで、ミラーリングすれば簡単に中身を確認することができるわ。もちろん、テツヤのスマホの基盤が生きていて、タッチパネルで操作することができる状態なのが前提だけど」


 どうやらメイはその辺りの知識に長けているらしい。

 水シミができ液晶が映らなくなったことで、勝手にスマートフォンが壊れたと思い込んでいた哲矢であったが、ひょっとするとメイの指摘するような状態だったかもしれない。


 きちんと確認をしなかった自身を哲矢は反省する。


「……だから、ハナの言ってることは強ち間違いじゃないかもしれないわ」


 それからメイは一呼吸置くと、さらに補足を端的に加えてくる。


「ツイートが投稿された時刻は今日の15時頃みたいよ。だから、一応辻褄は合うわね。犯人はテツヤの机からスマホを盗んで、Twinnerアカウントのパスワードを調べ、ツイートを投稿した。十分にあり得るわ」


「っ……」


「もちろん、実際はどうかは分からないわよ。でも、テツヤがやっていないのなら、誰かがテツヤのふりをしてツイートを投稿したのは間違いない」


 そんなメイの言葉を聞きながら、哲矢の意識は別のところへ向く。


 今重要なことはただ一つ。

 誰がこんなことをしたのかということだ。


 犯人の目的は不明だが、濡れ衣を着せようとしている者の目星は哲矢の中で固まりつつあった。


 『そこまで俺があの事件になにか関わってるってほざくなら証拠を提示してみろよ』


 突如、挑発的な台詞が哲矢の脳裏にフラッシュバックする。


 たしかに、昨日の朝のホームルームで少年調査官である旨を告白した時は大貴の姿はなかった。

 だが、だからと言って彼がシロとは断言できない、と哲矢は思う。


 哲矢にはどうしても廃校での大貴の発言が今回の件と無関係だとは思えなかった。

 まるで、堂々と挑戦状を叩きつけられたような気分なのだ。


「――ふふっ。上等だぜ」


 哲矢は、いつの間にか独り言のように小さくそんな台詞を呟いていた。

 湧き上がる闘志を抑えつつ、拳に静かな炎を灯す。

 

 メイもまた、怒れるうちの一人であった。

 透き通るその瞳の奥には、激しい稲妻が潜んでいるように見えた。

 

 彼女は悟られまいと平静を保っているようであったが、哲矢にはそれが分かっていた。

 だから、次のメイの言葉は哲矢の中で大きな意味を持つものとなる。


「テツヤ……。屈してはダメよ」


 そう囁くように話しかけてくる彼女に対して、哲矢は思わずドキッとしてしまう。

 この時ほどメイの存在を強く感じたことは哲矢にはなかった。


「ああ、分かってる」


 哲矢が頷くのを確認すると、メイは気持ちを切り替えるように今度はいつにも増して明るい口調で洋助からの受け売りだという当座のしのぎについて話し始めるのだった。

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