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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
110/421

第110話 一筋縄ではいかない

 図書室に入って一通り室内を見渡すも、利奈の姿は見えなかった。

 まだ、生徒会の仕事が長引いているのかもしれない。


「鶴間さんに会ったら……なんて言えばいいかな?」


 不安そうに花が小声で訊ねてくる。


「正直に話そう。仕方ないよ。結局、見つからなかったんだから」


「そうだね……うん」


 花もまだ心残りがあるのかもしれない。

 架空の当てを探すようにきょろきょろと部屋の中を見て回る。


(そうだよ、仕方ないんだ)


 もうここまで来たら覚悟を決めるしかなかった。

 花には申し訳ないという思いもあったが、明日は応援演説なしで本番に臨んでもらうしか道は残されていない。

 

(大丈夫。メイも裏で動いてくれてるから)


 たとえ、明日の計画が上手くいかなかったとしても、メイのアプローチが真相究明のきっかけとなるかもしれないのだ。


(〝きちんとあの子を守って〟か……)


 自分にできることは花を影からしっかりと支えることだ、と哲矢は思う。

 最悪何かあったら生徒会役員に止められても強引に体育館のステージへ上がる思いで哲矢はいた。


「……鶴間が来るまで適当に時間を潰そうぜ」


「分かったー」


 哲矢は花と別れると、書架の連なりに目を向けながら部屋の奥へ向けて歩き始める。


 正直、哲矢はこうした手持ち無沙汰の時間が苦手であった。

 何をすればいいか、途端に分からなくなってしまうのだ。


 書架に並んだ背表紙のタイトルをなんとなく眺めながら歩いていると、ふとこれまで忘れていた痛みが甦ってくる。  


 目まぐるしい環境に身を置くことでなるべく考えないようにと誤魔化してきた哲矢であったが、突然の空白の時間が生まれたことにより、体の痛みに意識が向くようになる。

 昨日から続く肉体的ストレスは、確実に哲矢を蝕んでいた。

 

 哲矢は気を紛らわせるため、ひとまず周りの環境に意識を集中させる。

 

 放課後のこの時間は、意外にも多くの生徒が図書室を利用していた。

 大抵の者は、本を借りに来るのが目的ではないようで、学習机に並んで静かに勉強をしている。

 

(それにしても、綺麗な図書室だよな)


 宝野学園は開校されてまだ10年しか経っていないのだという。

 そのため、校舎や他の施設同様にこの図書室も清潔で手入れが行き届いていた。

 

 ふと、ある書架に目が留まる。

 郷土資料に関する書物が並べられたコーナーだ。


(すげぇ……こんなのまであるのか)


 桜ヶ丘市に関する資料がずらりと並んでいる。

 いくつか書物を手に取ってパラパラと捲ってみると、初期の桜ヶ丘ニュータウンの写真を見つけることができた。


 そこは、今とは比べものにならないくらい田舎で、山に囲まれた一角にぽつんと団地が並んでいるだけ。

 桜ヶ丘プラザ駅もなく、当然、繁華街も商業施設も学校も見当たらなかった。


 また、こちらのコーナーには桜ヶ丘市をアピールする広報誌も所蔵されており、郷土資料を調べるための死角はない。


(こうやって内側からも教育されていくんだろうな)


 そんなことを考えながら、哲矢が端から順に背表紙を目で追っていると、突如呪文のような言葉が書架越しから聞こえてくる。

 

(……まさか……)


 この芝居かかった声はつい先ほど耳にしたばかりだ。

 哲矢がその場で固まっていると、案の定、書架の隙間から想定の人物が顔を覗かせる。


「そこは郷土資料のコーナーだぞ、少年」


「稲村ヶ崎……」


 一兵はアコースティックギターのケースを背負ったまま哲矢の方へ回ると、手にした書物を哲矢に見せてくる。


「フフッ、まずはこういうものを読んで教養を身につけるべきだ。ほれ」


 〝ゴシックとフォーク-革命の時代に生きた男と女-〟と記された書物を彼は自慢げに差し出す。

 一瞬、それを手に取ろうとする哲矢であったが、不自然な形でマジックペンが書物の上に載っているのを見てすぐにトラップだということに気づく。

 

 以前にYourVideoのいたずら動画で見たことがあるのだ。

 おそらく、先ほどのパーティーグッズと同様の仕掛けがなされているのだろう、と哲矢は思った。


「そんな何度も引っかかるほどバカじゃない」


「……ほほう、見抜いたか」


「帰ったんじゃなかったのか」


「帰る? 我が日課を知らぬからそんなことが言えるのだ。放課後こそ、読書をするのに打ってつけの時間はないぞ」


 一兵はそう口にしながら、少しだけ残念そうに書物を鞄に仕舞い込む。


「まあ、分かるけどさ」


 哲矢にも覚えがあった。

 放課後、これといってやることがないからつい図書室に入り浸ってしまうのだ。

 親しい友人でもいれば話は変わってくるのだろうけど……と、哲矢は自虐的にそんなことを考える。


 だが、これで哲矢は分かった。

 一兵を魅力に感じる理由はこれなのだ。

 

(似たものを感じるからなんだ)


 彼とここで会えたのは幸運と言える。

 最後のチャンスと言ってもいいかもしれない。


「……して貴様、桜ヶ丘市の郷土に興味でもあるのか?」


 ふと、その時。

 先ほどの一兵の言葉が哲矢の脳裏に過る。

 

 『時代を理解することは他人を理解することと似ている。それができないのであれば、貴様が吾輩を理解することなど到底できないだろう』


 ここで暇つぶしに眺めていただけと、正直に口にすれば彼はどこかへ行ってしまうに違いない。

 哲矢は悟られないようになるべく平静を装ってしれっと嘘を吐いた。

 

「お、おうっ。この学園に通うようになってから街やニュータウンのことが気になってさ。色々と調べてたんだ」


「ほう……」


 これまで見せたことのない輝きを一兵は瞳に浮かべる。


「なかなか感心な心構えだ。よかろう、吾輩の知識を貴様に少しだけ分け与えよう」


 一兵はそう満足そうに頷くと、桜ヶ丘市や桜ヶ丘ニュータウンに関するウンチクを誇らしげ披露し始める。

 

 仕方がないので最初は熱心にそれに耳を傾けるふりをしていた哲矢であったが、なかなか彼の語り口は魅力的で、掘り下げられた話の数々に最後には薄っすらと感動さえ覚えてしまう。


 郷土愛があるという一点に関しては他の生徒と共通しているらしい。

 一兵の意外な一面を哲矢は覗いたような気がするのだった。

 

「……それで、我が棲み処のちょうど南西の方角に中沢寺があったというわけだ。かの者の自宅の庭にその跡地を示す標石が今も残っていると言われている」


「へぇ~。中沢駅ってのはそこから名前がつけられたのかぁー。それにしても庭に標石があるなんて珍しいな。機会があったら一度見てみたいくらいだぜ」


 なんとなくそんなことを呟く哲矢であったが、一兵の耳にはそれは大きな響きを持って聞こえたようだ。


「ふむ……そうか。あれはうちに通う生徒の自宅だったはずだから、貴様にもチャンスはあるぞ」


「えっ、そうなのか?」


「たしかあれは……そうだ。橋本の自宅だったはずだ」


「橋本……?」


「なんだ関内、一週間近くも我が学園に通っていて、橋本が誰かも分からないのか?」


「橋本って……まさか、橋本大貴のことかっ!?」


ここが図書室であることも忘れ、思わず大声で口にしてしまう。

 

 近くにいる生徒の顔がちらりと二人の方を向く。

 一兵は面を食らったように初めてうろたえた表情を見せ、哲矢を自分の顔の近くへと引き寄せた。


「声が大きいだろうが。あのキザな男以外に誰がおる」


「あははっごめん。それで……その、橋本の自宅はどこにあるんだ?」


「話の流れから分かるであろう? 中沢駅がある第一区画だ」


「第一区画、か……」


 哲矢は腕を組んで唸った。

 思いがけないところで思わぬ情報を手にしてしまった。

 今、この情報が役に立つことはないが、予防線として知っておいて損はない。


「サンキュー。今度、橋本に家見せてもらえないか訊いてみるわ」


 心にもなくそんなことを口にして、一兵に合わせようとする哲矢であったが、肝心の彼はというとその軽い発言を耳にして密かに眉をひそめる。


「……いや、謝罪せねばならぬのはこちらの方だな。言い方が適切ではなかった」


「え?」


「彼奴に聞くのはやめておけ。関内、貴様が痛い目を見るだけだ」


 少し喋り過ぎてしまったと反省するように、珍しく彼の口調は弱い。

 

 ただ、哲矢としては、ここで態度を変えて一貫性を欠く印象を一兵に与えるのは避けたいという思いがあった。

 だから、ついトボけて思ってもいない言葉を続けてしまう。


「大丈夫だって。橋本って、ノリよさそうじゃん?」


「……それ、本気で言ってるのか?」


「もちろん。それに市長の息子だって話だろ? どんな家に住んでるのか一度見てみたかったん……って、お、おいっ?」


 哲矢の言葉を最後まで聞くことなく、一兵はギターケースを背負ってその場から立ち去ってしまう。

 その間一瞬のことで、哲矢が止める暇さえなかった。


「……なんだよ。あいつ……」


 突然の立ち去りに面を食らう哲矢であったが、すぐに過ちに気がつく。

 自分が誤った選択をしてしまったのだということに。

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