第11話 朝の出来事
2日目の朝も哲矢はばっちりと目を覚ます。
だが、睡眠時間をほとんど取らなかったためか、体は非常にだるかった。
できることならこのまま部屋の中で一日を終えたいという気分になる。
(誰とも話したくないな……)
この宿舎にいる人間に哲矢はまだ心を開いていなかった。
とは言っても、ここに逃げ場所がないことくらいは分かっていた。
(ふぅ……。起きて着替えるか)
誰かに指示される前にやってしまう。
これも哲矢が心がけていることの一つだ。
きちんと自分を見せるために。
自分一人だけでも生きていけるように。
(そういえば、昨日はシャワー浴びなかったな)
朝にシャワーを浴びる習慣はなかったが、このまま出発するわけにもいかなかったので、哲矢は少しだけバスルームを使用させてもらうことにした。
部屋のドアを開けてそっと廊下へ出ると、そこには美羽子の姿があった。
「……っと! ごめんっ!」
「い、いえ……」
彼女は両手で紙の束を大事そうに抱えていた。
仕事の書類だろうか。
朝から大変だなと少し同情の眼差しを送る。
すると、そんな哲矢の視線に気づいたのか、美羽子が慌てた様子で弁解してきた。
「い、いや……違うのよっ。ちょっと洋助さんに整理を頼まれていてね。部屋を片づけている最中なの。それにしても……もう起きたんだ? 今日も早いのね」
どこか少しだけ眠そうに目を擦りながら美羽子はそう口にする。
「……あの。これからシャワー浴びようと思うんですけど、使ってもいいですか?」
「全然っ! そんな気を遣わなくていいのよ。好きに使ってね」
「ありがとうございます。それじゃ遠慮なく」
「……あっ、か、関内君っ!」
「はい?」
「なんか私、昨日の夜様子おかしくなかった?」
「…………」
記憶が無いとでも言いたいのだろうか。
だが、『仕事でこの宿舎へ泊まりに来ているんじゃないんですか? 酒飲んで酔っ払って帰ってくるって、そんなので調査官の仕事が務まるんですか?』などと、生意気なことを哲矢が言えるはずもなく……。
「いえ。特に変わりなかったと思いますけど」
「そっ、そう!? それならいいの! ごめんね引き止めて。まだ登校するまで時間もあるしゆっくりどうぞ」
哲矢は一礼して美羽子の横を通り過ぎると、1階のバスルームへと向かった。
頭を押さえながら辛そうに、まだ足元をふらつかせている彼女の後ろ姿が印象的であった。
(…………)
脱衣所で制服を脱ぎながら哲矢は思う。
美羽子も様々なストレスを抱えているのだろう、と。
(この案件以外にも仕事を抱えているんだろうし……)
あまり邪険にはしたくなかったが、近づかれるほど哲矢の足は一歩二歩と下がってしまう。
そういう性格なのだ。
今さらどうしようもない。
関係が深くならないところで相手と会話している方が哲矢には居心地がよかった。
◇
シャワーを浴び終えた哲矢は自室へ戻ると、新しいワイシャツに袖を通し、ブレザーを羽織ってネクタイをしっかりと締めてからダイニングに顔を出す。
今日は、初日の夜と同様にそこには洋助の姿があった。
テーブルには朝食にしては豪華なメニューが並んでいる。
和風のオムレツにキャベツと豚肉のおかか和え。
納豆と海藻のサラダに野菜汁。
それに、炊き立ての白いご飯がついていた。
おそらく、すべて洋助が作ったのだろう。
哲矢は軽く会釈をする。
洋助は「おはよう」と口にして出迎えてくれた。
「どうだった? 昨日初めて宝野学園に通ってみた感想は?」
「まあ、普通でした」
「馴染めそう?」
「そうですね」
「そっか。ならよかった。今日も合わせてあと2日だけだからね。あまり気負わずに」
「はい」
洋助はそれだけ口にすると、美羽子にこれから仕事へ向かうと短く言い残し、足早に宿舎から出て行ってしまう。
相変わらず、他人に関心が無いように見えた。
(仕事熱心なだけかもしれないけど……)
そこは哲矢と大きく異なる点であった。
「藤沢さん。ここに並んでいるの食べていいんですか?」
哲矢はキッチンで洗い物をしている美羽子に問いかける。
「ああ、食べて食べて。洋助さんが作ったの」
「おいしそうですね。いただきます」
「どうぞ」
哲矢は箸を取ってテーブルに並べられた朝食に手をつける。
こうして温かい食べ物にありつけるだけでも嬉しいものであった。
昨日の夜がたこ焼き6個だけだったので余計に美味しく感じられる。
洗い物が終わったのか、しばらくすると美羽子がダイニングに現れる。
哲矢の向かいのテーブルに座り、その食べっぷりをじっと眺めるのだった。
「……もぐもぐ……。……っ……な、なんですか?」
「いや、いい食べっぷりだなぁーって思って」
「はぁ……。もぐもぐ……」
哲矢は気にせずそのまま食事を続けるが、彼女はまだ何か言いたそうにしていた。
やがて、彼女はどこか昔を懐かしむようにこう零す。
「昔ね。父もよくそんな風にして食べてたの。気持ちのいい食べっぷりで。私と違って母は料理するのが得意だったから。そんな光景を見るのが私は好きだったんだ」
「…………」
哲矢は思わず箸を止めて美羽子の顔を覗き見た。
自分でも思いがけない言葉を口走ってしまったことに気づいたのだろう。
美羽子は早々に話題を切り替えた。
「――って、そんなことはどうでもよくて。今日の放課後、生田将人の自宅を訪ねに行く予定だから。今度はちゃんと覚えておいてね」
「自宅ですか? そんなところへ行ってなにかするんですか?」
「ご家族の方に話をちょっとね。警察や私たちの方でも何度か訪ねたことはあるんだけど、少年調査官にも事件を起こした少年の家庭環境を知ってもらう必要があるから。学園へただ通っているってだけじゃダメなのよ」
「そういうものですか」
また面倒ごとが増えてしまったと哲矢は内心気分が落ちる。
どのような目的でここへ来ているのかを考えれば、当然の務めであることは理解できるのだが、どうしてもすんなりと受け入れることができないのだ。
その原因を哲矢は知っている。
(生田将人……。俺は彼の一体なにを知っているっていうんだ?)
事件を起こした少年に対してまだ何の思い入れも持てていないことが、すんなりと受け入れられない最大の原因であった。
そもそもだ、と哲矢は思う。
彼は四人のクラスメイトを襲ったことを認めているのだ。
今さら何を掘り下げる必要があるというのだろうか。
家族の話を聞いたところで、特別何か意味があるとは哲矢には思えなかった。
あとは裁判官が勝手に決めればいいのだ、と哲矢は思う。
「ごちそうさまです」
朝食を綺麗に食べ終えると、哲矢は食器をキッチンへ持っていき、それを丁寧に洗い流した。
美羽子に別に洗わなくてもいいと制止されたが、哲矢は構うことなく洗いものを続けた。
哲矢の性格が美羽子も徐々に分かってきたのだろう。
それ以上、彼女は何も言ってこなかった。
洗い物を終えてダイニングへと戻ると、哲矢は気になっていたことをふと美羽子に訊ねていた。
「……あの。高島さんはまだ寝ている感じですか?」
「メイちゃん? いいえ。なんか今日はやることがあるって言って、朝早くに宿舎を出て行ったけど」
「えぇっ!? もう出発したんですかっ?」
「確かに私も驚いたんだよね。昨日はあれだけ寝惚けてたっていうのに」
朝が弱いのか強いのか、これで分からなくなった。
しかし、その話を聞いて哲矢はホッと胸を撫で下ろす。
今日からは自分たちの足で通学することになっていたからだ。
そんな中で気がかりだったのは、やはりメイの存在であった。
まだろくに話もしたことのない彼女と一緒に通学するようなことになったら、それは地獄だったに違いない、と哲矢は思った。
話す気のない相手と一緒にいることほど苦痛なものはない。
それがいくら美少女であったとしてもだ。
(まあ、ちょっと残念ではあるけど……)
そんなことを考えていると、あっと言う間に出発しなければならない時間となっていた。
哲矢は慌てて1階の自室へと戻り、鞄を用意して急ぎ足で玄関へ向かう。
「それじゃ、行ってきます!」
「気をつけてね。放課後終わったら迎えに行くから。スマホに連絡して」
「それなんですけど、俺、藤沢さんの電話番号知らなくて」
「あれ? 昨日何度か電話しなかった?」
「あ、ああ……。そういえば知らない着信が残ってました」
「それ、私の番号だから。登録しておいて」
哲矢は頷いてスマートフォンがブレザーのポケットに入っているのを確認すると、靴を履いて玄関のドアノブに手をかけた。
最後に彼女は少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべてこう口にする。
「メイちゃんにも伝えておいてね」
「えっ? あ……は、はい……」
「ほとんどあの子と話してないでしょ? これチャンスだと思って。少しは仲良くしなよ♪」
美羽子は嬉しそうに手を振って哲矢を見送った。
(仲良くできれば、それに越したことはないんだけど……)
そう心の中でグチを零しながら、哲矢は玄関を出て外に飛び出すのだった。




