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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
108/421

第108話 残る課題

「お~い、花ぁー。そろそろ起きろぉ~」


 哲矢は依然として気持ちよさそうに眠り続ける花の肩を揺する。

 六時間目は、あと5分もしないで終わりを迎えようとしていた。

 このままだと授業を終えて教室へ戻る大勢の生徒にこんな姿を見られてしまう。


「花、起きろって。そろそろ行かないとヤバいから」


「うっ……うう……。一万年前のぉ……南米にわたしぃぁ……むにゃむにゃ……」

 

「いや、意味分からんし」


 この場所でここまで深く寝れることはある意味一つの才能なのかもしれない。

 哲矢はもう少し強く彼女の体を揺らしてみることにした。


「ほら花、起きろーっ。みんな来ちゃうぞ」


「うっ……丸まったあの子はぁ、でかくて速くてぇ……むにゃ……」


「一体どんな夢見てんだよ……ってか、早く起きろって!」


「わたしぃ走れなぁ……あっ……ほへぇっ?」


「グッモ」


「ぼ、ぼんじゅう……?」


 瞼を擦りながらむくっと花が体を起こす。

 その瞬間、ツインテールの短い髪がふわっと春風に舞った。


「目は覚めたか?」


「う、うん……。そっか、私……あのままここで……」


 花はどうして眠ってしまったのか原因を一人で探っているようであったが、すぐにこの長閑な春の日差しのせいだ、という結論に至ったようであった。

 首を左右に振ると、ようやく彼女はその場から立ち上がる。

 

「多目的ホールに戻ろう、哲矢君っ!」


「……いや。多分もう遅い」


 哲矢がそう口にしたその時、六時間目の終了を告げるチャイムが中庭に鳴り響いた。

 

「え、嘘っ……」


 花の顔がみるみる青ざめていく。

 きっと、すぐに授業に戻る予定だったのだろう。

 なんとも彼女らしい反応であった。




 ◇

 



 それから哲矢と花は、大勢の生徒たちが駆けつける前に中庭を後にして三年A組の教室へと向かう。


 中は出発した時と同様に無人であった。

 人のいない教室には主を失った遺品のような物悲しさが漂っていた。


「…………」

 

 教室へ足を踏み入れるなり、花の表情が曇った。

 おそらく、脅迫文のことを思い出してしまったのだろう。

 あの手紙には、内容を簡単には忘れられないような不思議な魔力が込められていた。


 哲矢はその件には触れず、応援者の件の報告をいつまでに利奈へ伝えるかについて花に質問する。

 

「……えっと。放課後に図書室で待ち合わせすることになってるの」


「鶴間のやつ、まだ生徒会室で仕事してるのか?」


「そうみたい。五六時間目は選挙管理委員会との打ち合わせがあるんだって」

 

「へぇ……」


 哲矢は気のない返事でそう答える。

 つまり、利奈と図書室で会うタイミングがリミットというわけだ。


 そんなことを哲矢が考えていると、クラスメイトが徐々に教室へ戻ってくる。

 どうやら誰もこちらが授業を抜け出したことに気づいていない様子だ。

 視線をまったく感じないのだ。


 そういえば、今日は朝に少し視線を感じたくらいでじろじろと見られた記憶がない、と哲矢は思う。

 

(やっぱり昨日の告白が大きかったんだ)


 改めて、哲矢はクラスメイトに受け入れられつつあるという感覚を抱く。

 机の落書きやリークの一件、脅迫文など、まだまだ気になることはあったが、彼らとの関係が少しずつ前進している実感を哲矢は抱くのだった。


 すると、その時――。

 教室へ入ってくる生徒の中に混じって、見知った顔があることに哲矢は気づく。


「……翠っ!?」


「追浜君っ!」


 野庭と小菅ヶ谷に支えられるようにして翠が教室へ入ってくる。


「ごめん。心配かけたみたいで」


「そんなことですよ! もう大丈夫なん……」


 そこで花がビクッと肩を震わせる。

 翠たちの背後に一兵の姿が見えたのだ。

 

 一兵は一瞬だけ哲矢と花の方に目を向けると、そのまま自分の席に向かっていく。

 すれ違いざま、花は彼を無視するようにして翠たちの元へ駆け寄った。


「もう大丈夫なんですかっ?」

 

「うん。しばらく眠ったらすっかりよくなったよ」


「頭は痛くないのか?」


「後ろにコブがちょっとできたくらいでもう痛みは感じないかな」


「そっか。よかったぜ」


「それと関内君、僕のことを助けてくれて本当にありがとう。野庭さんと小菅ヶ谷さんから聞いたんだ。関内君が真っ先に僕の元へ駆けつけてくれたんだって」


「いや、俺はただ……」


「とても」

「かっこよかったです」


 哲矢がバツが悪そうに鼻をかいていると、野庭と小菅ヶ谷が笑顔を向けてくる。


「哲矢君はもっと自分に自信を持つべきだよ。普通できることじゃないんだからさ!」


「そんなこと言ったら花の方がよっぽどすごいだろ。俺なんか、ただ返り討ちにあったってだけで」


「いやいや! 私なんか駆けつけるのが遅くて、哲矢君がいなかったら……」


「……なんか、二人とも。距離縮まった?」


 その翠の言葉に哲矢は花とお互い顔を見合わせる。

 すると、途端に気恥ずかしさが込み上げてきて、哲矢はぷいと顔を背けるのだった。


 花も花で自分たちが口にしていることが、ある種の惚気であると気づいたようだ。

 大きく身振りを交えて、「とにかく追浜君が無事でなによりですっ!」と、まとめの言葉を口にするのだった。


 それから話題は移り、花と翠は他愛ない話で盛り上がっていた。

 

「……だからね。野庭さんと小菅ヶ谷さんと話してたんだ。今度、一緒にどこかで食事でもしないかって」


「あっ。だったら私、気になってるお店あるんです!」


「もしかして、丘の上プラザに新しくオープンしたバナナケーキのお店?」


「そうですそうです! まだ一度も行ったことがなくて行きたいなぁって思ってたんです♪」


「やっぱスイーツのトレンドは押えておかないとだよね」


 二人は意気投合したのか、お互い「ねーっ」と言って楽しそうにしている。

 普段は大人しい野庭と小菅ヶ谷も今回ばかりは一緒になって笑って、その日を楽しみにしているようであった。

 

 哲矢はそっと彼らの輪から離れると、自分の席へと戻る。

 四人が自然体で笑い合う姿を見ていると、どうしても今後のことが気になってしまったのだ。


 明日の立会演説会。

 哲矢たちにとって紛れもなく勝負の一日となる。

 だからこそ、打てる手は打ちたいという思いがあった。


 哲矢は自分の席に腰をかけると、右隣を向く。

 一兵は両手を頭の後ろに回し、騒がしい教室の一角で目を閉じたまま姿を溶け込ませていた。

 

 そんな彼に対して、哲矢は先ほど喉元まで出かかった言葉を口にする。

  

「……魂が感じられたら、手伝ってくれるのか?」


「…………」


 哲矢の問いに対して、一兵が静かに目を開く。

 だが、それだけであった。

 彼は再び目を瞑ると、この場所から魂だけを抜き去るようにして自分だけの世界へと閉じ籠ってしまう。


 哲矢はまだ諦め切れなかった。

 一兵が応援者となってくれたら、間違いなく生徒らの興味を引くことができる。

 だが、一兵の心を動かす肝心な一言が哲矢には分からなかった。

 

 結局、哲矢は彼の心を開くことができず、放課後を迎えしてしまう。

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