第105話 衝撃の発言
多目的ホールを出た哲矢は花の行方を探して文化棟を歩き回っていた。
(どこ行ったんだ?)
一通り舎内を見て回った後、教室に戻ったのかもしれないと思い、哲矢は文化棟を出ることにする。
来た時と同じように中庭を通って教室棟へ向かおうとしていると、花壇脇のベンチに見覚えのある女子生徒が座っているのを哲矢は目にする。
(こんなところにいたか)
花だ。
彼女は何をするわけでもなく、両手をスカートの上に置いて花壇に目を向けて座っていた。
すぐに多目的ホールへ戻れる位置で座っている辺りが彼女の優等生な一面を表している。
哲矢は特に声をかけず、そっと彼女の隣りに座った。
そのまま時間に身を任せる。
まだ授業中のためか、周囲はしんと静まり返っていた。
(こんなところにいると、サボりと思われるな)
そう思いつつも多目的ホールへ戻る気にもなれず、哲矢は花が自分から何か口にするまで黙っていることにした。
春のそよ風に運ばれて、微かに遠くの人の声が聞こえる。
方角的にグラウンドからだ。
おそらく、どこかの学年が体育の授業をしているのだろう。
(授業中の学校って、こんな静かだったんだ)
地元の高校ではこのようにサボることはまずない、と哲矢は思う。
だからこそ、今の自分が哲矢は新鮮であった。
(花の言う通りかもな)
些細なことではあったが、哲矢は自分が変わってきていることを実感する。
花壇ではモンシロチョウがふわふわとマリーゴールドの周りを舞っていた。
気温もちょうどよく、このままベンチに腰を掛けていると眠ってしまいそうだ。
「すぅー……zzz……」
(って、本当に寝てんじゃねーか!)
先ほどからほとんど動かないと思ったら、どうやらこういうことだったらしい。
花は規則正しい寝息を立ててその場で眠っていた。
(まあけど、色々疲れてるのかもな)
昨日も夜遅くまで付き合わせてしまっていた。
今朝は今朝で演説文を書いたり、説明会に参加したりと、休む暇がなかったはずである。
それに、脅迫文の受け取りと一兵との交渉決裂が重なって、精神的にも参っていたに違いない、と哲矢は思った。
そっとベンチから立ち上がると、哲矢は中庭をぐるっと見渡す。
色鮮やかな花壇の近くには複数のベンチが置かれており、どこもしっかりと手入れが行き届いていた。
きっと、昼休みや放課後には中庭は多くの生徒で賑わっていることだろう、と哲矢は思う。
甘い春の香りに誘われるように、哲矢はそのまま意味もなく近場の花壇に目を向ける。
そこには、黄色と赤色と白色のチューリップが咲いていた。
(こうしてゆっくり花壇を眺める機会なんてほとんどなかったな)
落ち着いて眺める機会などほとんどなかったということを哲矢は思い出す。
これだけ手入れが行き届いているのだ。
園芸委員も苦労していることだろうと、哲矢がなんとなくそんなことを考えていると――。
「おぶぉぅ!?」
突然、背後から何者かに襟首を引っ張られ、哲矢はつい後ろへ倒れそうになってしまう。
「なに暢気にサボってんのよ」
「って――んなっ!?」
そこには当たり前のように仁王立ちをしているメイの姿があった。
しかも、腕を組んでなぜか偉そうである。
「待て待て! なんでお前がここにいるっ!?」
「随分とご挨拶な言い方ね」
「今日は自宅でゆっくり休むって話だったじゃないかっ!」
「気が変わったの」
ケロっとメイはそんなことを口にする。
哲矢は一度うとうとと首を傾ける花に目を向けると、「ちょっとこっちに」と言ってメイを中庭の隅へと手招く。
「なによ」
不機嫌そうについて来る彼女は制服を着ておらず、ゴスロリ風の私服に身を包んでいた。
メイクも普段よりも濃い印象で、唇には華やかな赤色のリップを塗り、まるで別人のようだ。
(ったく、めちゃくちゃ目立つな)
フリルのスカートから真っ直ぐに伸びる白い素脚に思わず目が向いてしまう。
すぐに頭を振って邪念を打ち消すと、哲矢はメイに改めて質問を投げかけた。
「静養してなくて本当に大丈夫なのか?」
「ええ。午前中休んだらすっかり元気になったわ」
「じー……」
「疑うとはあんたもいい度胸してる」
「まあ、いいけど。もうここまで来ちまったわけだし」
「ふぅん。テツヤにしては物分かりがいいのね」
「けど、もう授業も終わるぞ」
「あのね。この恰好見て分かるでしょ? べつに私は授業を受けたくてこんなところまで来たわけじゃないのよ」
「じゃなんで?」
「伝えておきたいことがあったから」
「そんなもんLIKEで――」
そこまで口にして哲矢はハッとする。
二人ともスマートフォンが昨日から壊れているのだ。
「……っと、悪い。そういやスマホ使えないんだったな」
「そーゆこと。わざわざこんなところまで来てやったんだから感謝しなさいよね」
ブロンドの長い髪を振り払いながらメイは太々しくそう口にする。
だが、哲矢はすぐに疑問を抱く。
本当にたったそれだけのために学園までやって来たのだろうか、と。
羽衣市にある少年調査官宿舎から宝野学園までは結構な距離がある。
行動力がある方と言っても、彼女がここまで面倒なことをするとは哲矢には思えなかった。
そんな疑惑の眼差しに気づいたのか。
メイは手の平を広げながら胸のうちを明かすようにこう続ける。
「……って言っても、どーせ信じないだろうから素直に打ち明けるわ」
突然、改まったように背筋を伸ばすと、彼女は息を深く吐き出しながら答える。
「ここに寄ったのはついでなの」
「ついで?」
「ええ。マサトに会いに行くついで」
まるで、近場のコンビニに出かけるような気軽な口調でメイはそんなことを言う。
(将人に会いに行くだって……?)
さすがに事態が飲み込めず、反射的に哲矢は言葉を返してしまう。
「将人って、この間会ったばかりじゃないか」
「また会って話をするのよ」
「なぜ?」
「なぜって……」
メイは何が可笑しいのか、哲矢の顔を見て含み笑いを浮かべる。
その反応で哲矢はすぐに気づいた。
自分が本当に可笑しなことを口にしてしまったということに。
よくよく考えれば、将人に会いに行くことはとても理に適った行動であるということが分かる。
哲矢たちは彼の無実を証明するために行動しているわけで、その本人とまったく話したことがないという状態はどう考えても不自然だからだ。
そもそも、本人から『無実を証明してほしい』とお願いされているわけではなく、いわば勝手に行動しているのである。
ならば、実際は本人がどう考えているか。
確認したいと思うのがまともな発想だろう。
おそらくメイはそのように考えて将人に会いに行こうとしているに違いない、と哲矢は思う。
(でも、なんで俺たち……今まで将人に会いに行こうとしなかったんだろう?)
昨日も思ったことではあったが、将人に事実を確認すれば事態が大きく進展する可能性があるのだ。
それをこれまでしなかった理由は一つしかない。
親族以外の面会は禁止されている、という花の言葉である。
(なら、メイが行っても会えないんじゃ……)
そんなことを考えながらメイの言葉の続きを待っていると、彼女は哲矢の予想に反した発言を口にする。
「……あいつの本心を覗いてみたいからよ」
「えっ」
「あの時――マサトと初めて会った時、テツヤはなにか感じなかった?」
「なにかって?」
「違和感よ」
「うーん……。そう言われると、よそよそしい雰囲気だった気もするけど」
「パーソナルな情報を答える時もどこか〝言わされている〟ような印象があったと思わない? 私はそれがずっと引っかかっていたのよ」
哲矢は思わずメイの顔をまじまじと覗いてしまう。
言葉の切れ端に何か得体の知れない棘が隠れているような気がしてしまったのだ。
(どういう意味だ? どうして自分のことを答えるのに言わされなくちゃならないんだ?)
そう思った瞬間――。
哲矢の脳裏に先ほどの一兵の言葉がパッと甦る。
『かつてあった生田は破壊されたんだ。そして、新しい生田が生まれた』
よくよく考えれば、この言葉は何かがおかしいということに気づく。
こんなのはまるで……。
「……記憶喪失、みたいでしょ?」
「――ッ!?」
「いえ、違うわ。〝みたい〟なんてあやふやなものじゃない。あいつは、マサトは……これまでの記憶をすべて失っているのよ」
そう確信を持った口調で断言するメイの言葉が哲矢の頭の中で何度もリフレインするのだった。




