第100話 誰がその脅迫文を書いたのか?
中庭を斜めに横切りながら、哲矢と花は文化棟までの道のりをかけ足で走っていた。
教室を出てから花は一切口を開かなかった。
よほどショックが大きかったのだろう。
昨日も悪意ある落書きを見たばかりなのだ。
彼女が暗い気持ちを引きずるのも無理はない。
犯人が分かれば気持ちも少しは落ち着くのだろうが……、と哲矢は走りながらふとそんなことを思う。
(だけど、犯人か……)
先ほど、哲矢たちが保健室から戻ってきた時には、教室には数えるほどの生徒しか残っていなかった。
声をかけてきたあの四人組の顔が哲矢の脳裏を過る。
(いや、あいつらがあんなことをするはずがない)
今日初めて会話したような者たちだったとしても、彼らのことを哲矢は疑いたくなかった。
(他の誰にでもチャンスはあったはず)
花は朝からずっと自分の席を空けている。
犯人が脅迫文を差し込むタイミングは無数にあったはずだ、と哲矢は思った。
(……そうだ。今日は大貴たちも教室に来てたじゃないか)
一番疑わしいのはあの集団ではないか。
そう思う哲矢であったが、昨日あれだけ〝証拠を提示してみろ〟と挑発しておきながら証拠となり得る脅迫文を彼が花の机の中に入れることなどあり得るのだろうか、という疑問がすぐに頭に浮かぶ。
また、脅迫文も大貴が書いたとは思えないほど回りくどい内容であった。
そもそも……と、哲矢は思う。
明日の計画を彼は知らないはずである。
生徒会長代理選挙に立候補するなと脅す理由が大貴にはないのだ。
(もしかして、俺らが知らないだけでなにか他の目的があるのか? あるいは……)
大貴たちが脅迫文を入れたのではないとすると、次に思い浮かぶのは清川や社家による犯行であった。
だが、その場合一つ大きな疑問が生じる。
彼らは学園内において物ごとに干渉できる立場にある。
わざわざ脅迫文など書かなくても、花の立候補を認めなければそれで済む話なのだ。
よって、清川や社家による犯行もあまり現実的な考えとは言えなかった。
(他にあるとすれば……)
花と並んで走り続けながら哲矢はハッとする。
(待てよ。代理選に花が立候補して純粋に不利益が生じる人物がいるじゃないか)
同じく生徒会長代理選挙に立候補したという二年生の男女。
もしくは、それを支持する者たち。
彼らにとって、三年生である花の立候補は間違いなくストレスとなっていることだろう。
けれど、これはあくまでも代理の選挙に過ぎない。
本番の生徒会長選挙は6月に控えており、今回当選したとしても2ヶ月ほどの命なのだ。
ここでリスクを負ってまで潰しにかかるメリットがあるのか。
この件がバレたら、生徒会長代理どころか宝野学園に在籍することさえ危うくなってしまうことだろう、と哲矢は思う。
結局、これといった犯人の目星が付かないまま、哲矢は文化棟の入口へと到着してしまう。
花が中庭と文化棟を結ぶドアをゆっくり開くと、哲矢は彼女の後に続いて舎内に足を踏み入れる。
2階にあるという多目的ホールを目指しながら哲矢はふと思った。
(脅迫文の件は社家に知らせるべきだろうか……?)
普通なら担任にそれを伝えるのが真っ当な手順だ。
しかし、今の哲矢は社家と対立した立場にある。
それを言ったことで、あらぬ言いがかりをつけられる可能性もあった。
(一旦脅迫文の件は忘れるよう)
それを気にするばかり他を疎かにしてしまえば、それこそ脅迫文に屈したことになってしまう。
やはり、今は一兵への協力者打診の件が最優先事項であった。
「……っと」
先を歩く花との距離が開いていることに哲矢は気づく。
「ちょっと待ってくれ、花ぁーっ」
彼女は哲矢の声にまったく気づくことなく、すたすたと廊下を歩き続けていた。
気持ちもう少しボリュームを上げて哲矢が同じ言葉を繰り返すと、ようやくそこで花が立ち止まって振り返ってくる。
「なっ、なにっ?」
その声は明らかに動揺していた。
まだ脅迫文の一件が尾を引いているのだ。
ひとまず、哲矢は花の気持ちを落ち着かせるため、なるべく明るい調子を装って言葉を続けた。
「この後、稲村ヶ崎に応援者の件で話をするだろ。その前にさ。ヤツと話す時の注意点とかあったりするか? ほら、話を聞く限り相当変わってるじゃん?」
「えっと……」
「俺、まだ稲村ヶ崎と一度も話したことないからさ。なにかアドバイスがあったら教えてほしいんだ」
「うーん……。なんだろ……」
そう相槌を打つ花であったが、哲矢には彼女が別のことを考えているのがはっきりと分かった。
心がどこか遠くへ飛ばされてしまっているのだ。
(まだダメか。それなら……)
このままでは花のためにも良くない。
そう考えた哲矢は、意表を突いた質問を投げかけることにする。
「んじゃ率直に訊くけど、稲村ヶ崎は花のタイプに入るか?」
「わぷっ!? な、ななな……」
大きな瞳を急に見開くと、花はわたわたとし始める。
どうやら効果があったようだ。
だが、この反応は……。
「まさか……本当にタイプだったりするのか?」
「ううん、ぜんぜん」
あっけなく撃沈される一兵であった。
(いや、なに話したこともない相手で遊んでんだ俺は)
さすがにこれ以上引き合いに出すのは失礼だなと、哲矢がそんなことを考えていると……。
「強いて挙げるとすれば、ちゃんと目を見て話すことかな?」
花がようやく返答を口にする。
その立ち振る舞いは生気を取り戻していた。
「自分が否定されることを一番気にするから。稲村ヶ崎君の側に立って話すことがコツだと思う」
「そっか。サンキュー」
「って偉そうなこと言ってるけど、私もまったくできてないんだ。あはは……」
「それだけ変わり者ってことだな。肝に銘じておくよ」
そんなことを話しながら階段を上っているうちに、哲矢たちはいつの間にか多目的ホールの目の前へと到着しているのだった。




