第1話 はじまりの日
哲矢は羽衣駅に降り立ち、その街並みに圧倒されていた。
「すげぇ……」
驚くのも無理はない。
今まで暮らしてきた北関東の地方都市とはその規模がまるで違うのだ。
すべてにおいて都会基準であった。
「えっと……こっちか?」
スマートフォンを片手に持ってそのまま繁華街を進む。
満開の桜に彩られた公園を早足で横切り、ショッピングモール前の歩道を歩いていく。
街の区画一つ取っても絵になるその光景に哲矢は只々感心するのだった。
通りを進んでいくうちにモノレール沿いに白い巨大な建造物が見えてくる。
家庭裁判庁だ。
その眺めは圧巻であった。
こんな場所に自分が呼ばれたのかと思うと胸がドキドキしてくる。
哲矢は少し心を落ち着かせるために、近くの小さな公園のベンチに腰をかけた。
地区開発の一環で整備されたのだろうか。
その公園にある遊具はどれも真新しく、周囲の景観によく溶け込んでいた。
「にゃ~」
「うーん。よしよし」
「にゃ~ん」
「いい子、いい子」
ふと声のする方へ目を向ければ、砂場で猫とじゃれ合っているブロンド髪の少女の姿が見えた。
彼女はあどけない微笑みを浮かべ、嬉しそうに猫と戯れている。
その瞬間、一陣の風が吹き抜け、公園の隅に咲いている桜の花びらがふわりと舞った。
少女の長い髪がきらきらと揺れる。
「…………」
そんな光景に哲矢は目を奪われていた。
やがて、春の暖かな日差しに誘われるように、哲矢はうとうとと眠りに落ちてしまう。
――――――――――――
「……あ、やべっ……」
哲矢が意識を戻す頃には、辺りは少しだけ暮れ始めていた。
ついついベンチに腰をかけたまま寝てしまっていたようだ。
視線を砂場の方へ戻すと、少女と猫の姿は無くなっていた。
「う~~んっ!」
哲矢は一度ベンチから立ち上がって伸びをすると、鞄から大型の封筒を取り出してそれを橙色の景色に掲げてみる。
『日時:令和6年4月3日(水) 場所:東京都羽衣市緑町×-×-×』
そこに書かれている日時と場所を哲矢は改めて確認する。
(この通知書が俺をこの場所まで連れて来たんだ……)
改めて見知らぬ土地にいるのだということを実感しつつ、哲矢はそのまま公園を出て家庭裁判庁までの道を急いだ。
公園から早歩きで3分もかからずに庁舎の入口へと到着した。
【東京家庭裁判庁羽衣支部】と石製の銘板に太く刻まれた文字を前にして、哲矢は今一度建造物を見上げてみる。
そのガラス張りの外観は、どこかの大型研究施設のようにも見えた。
緊張感が徐々に高まってくる。
「……よしっ!」
深呼吸をして気合いを入れると、哲矢は正面玄関から庁内へと足を踏み入れるのであった。
◇
入ってまず目についたのは、数名の警備員の姿であった。
手荷物の検査でもしているのかと思いきや特に呼び止められることもなく、すんなりと中へ入れてしまう。
幸いボストンバッグの中には衣服とトラベルセット、あとは勉強道具くらいしか入っておらず、呼び止められたところで特に問題は無いのだが、どうしても気になってしまった。
大人の権威として映るものは哲矢にとっては警戒の対象であった。
学生服で入ったことも、彼らは特に気にする様子もなかった。
ロビーに足を踏み入れて、しんと静まり返る庁内を改めて見渡す。
荘厳な外観の割りに中はとても狭く感じられた。
パッと見の印象では、地元にある市役所の雰囲気に近い、と哲矢は思う。
閉庁の時間が迫っているためか、人の姿はそこまで多くなかったが、狭く感じられたことも相まって庁内は幾分賑やかに見えた。
入口付近の机に置いてあるファイルを黙って読む人。
手を組みながらソファーに座り、まるで何かの祈りを捧げているような人。
判決の内容を小声でスマートフォンに話しかけている人。
どれも哲矢にとっては未知の世界であった。
自分が場違いな場所にいる不安を抱えながら、受付に来庁の理由を告げ、しばらくその場で待っていると、エレベーターホールの奥の方から一人の女性が姿を見せる。
「――君ね。新しくやって来た少年調査官は」
「あっ……」
「初めまして。藤沢美羽子よ。この家庭裁判庁で調査官をしています」
「か、関内哲矢と申します……! 遅くなってすみませんっ!」
緊張のあまりぎこちない動作でお辞儀を繰り返してしまう。
それを見た美羽子は笑いながら、そんなに固くならなくていいのよとリラックスさせてくれた。
見たところ仕事がバリバリできるキャリアウーマンといった感じだ。
後ろにきちんと結われた長い黒髪。
切り揃えられた知的な眉毛。
しわ一つない紺色のスーツ。
(でも、怒ると怖そうだな……)
そんなことを考えながら、まだ少し緊張したままその場で直立していると、彼女が手を差し出してきた。
「わざわざよく来てくれたわ。これから3日間、よろしくね」
「は、はいっ!」
「じゃあ……さっそくだけど、ついて来てくれる?」
早々にどこかへと歩き始めた美羽子から逸れないよう、哲矢はその後を慌てて追いかけるのだった。