烏(からす)
中央からはるか西の地にある、現在の主の屋敷。
ここは主が住み始めるまで、長い間放置されていたのだろう。
ウメが先回りして屋敷へ到着したとき、それはそれはぼろ家だった。よくぞこんなものを見つけてきたなと感心しながら、ウメは主がやって来るまでに最低限の掃除を済ませておいたのだ。
そのころから薄々と気づいていたことだが、この屋敷には、おそらく精霊が宿っている。
古いものには、梅の精のように精霊が宿ることがある。
そしてきっと、屋敷の精霊はウメの主のことを気に入っている。でなければ、先日のひどい嵐でこんな屋敷など吹き飛んでしまっていただろう。
屋敷の精霊と接触を図ったことはないが、主に害がないならそれがどんな存在でもウメは構わない。
そして屋敷に精霊が宿っていたとしても、あくまで建物の維持くらいしか力は無いようで、日々の掃除はウメの仕事だ。
主の侍女として、今日もウメは立派に務めている。
「………………?」
空き部屋を拭き清めていれば、庭がなにやら騒がしい。
なんだろうかと不思議に思ったウメが庭に面した縁側へ出てみれば。
そこには、大きな黒い鳥を小さな足で踏みつけたウグイスの姿があった。
「まあ、ウグイス?」
「ぴ」
誇らしげに胸を張るウグイスの下で、黒い鳥はばさばさと羽を動かして抵抗の意思を示している。
よく見れば、それは大きな烏だった。
ウグイスは手のひらに乗るほどの小鳥だが、その烏はそれとは比べものにならないほどに大柄だった。体の部分だけで鷲ほどの大きさがあるだろうか。翼を広げればもっと大きいだろう。
その烏が大きな体と翼を震わせて必死にもがいているが、上に乗ったウグイスには効き目がないようで。
「ぴ!」
「カア…………」
それどころか、ウグイスが嘴でその首元をつつけば、烏は詫びるように小さく鳴いて大人しくなった。完全にウグイスが上位に立っている。
その様子を見て、ウメは事情を察した。
「喧嘩でもしたのですか?」
ウグイスは屋敷への侵入者には容赦がない。
その名前を与えられる前から、のんきに主の近くへ寄って来てさえずっていたウグイスだが。そもそも鶯とは縄張り意識を持ち、警戒心の強い鳥だ。いくらのんきでもそういった本能的な意識はやはりあるようで、ウグイスはこの屋敷を縄張りと定めて見回りを欠かさない。
おかげで、あの食材荒らしの狸以来、この屋敷での主の安全と食はしっかり守られている。貧乏ばかりはどうにもならないので、明日の食料に困ることはしばしばあるものの。
「ぴ、ぴ、ぴ」
「カア…………」
ウメの質問に答えたウグイスと烏の言い分を聞くに、どうやら先に烏から喧嘩を売ってきたらしい。
主人の使いの帰りにこの辺りをぶらついていた烏が、ふとこの屋敷が気になって無遠慮に入り込み。それを鳴き声で牽制したウグイスに対して飛びかかってきたのだとか。
烏がこの屋敷に目を留めたのは、精霊の宿る梅の木のためか、あるいはこういったものに好かれやすいウメの主の存在によるものか。
ちらりと、ウメは烏を見やった。
ウグイスが得意げに踏み台にしているのは普通の烏ではない。
その姿からそうだろうと思っていたが、会話が成立したことで確信した。ウメに言葉が理解できたのだから、この烏は力を持った存在ということだ。
(でも、ウグイスの方がずっと強いのねえ…………)
ウグイスは喧嘩がとても強いのだった。
「ひとまず、事情は分かりました。ウグイス、そちらも反省しているみたいですし、許してあげたらどうですか?」
「ぴ? ぴぴぴ」
「そうですね。確かにこの烏の礼儀はなっていませんでしたが、ときには寛容な心も大事ですよ」
「…………ぴ!」
少し考える素振りがあって、ウグイスは烏の上から飛び立つとウメの肩へ止まった。その際、なぜか烏が小さく残念そうな声を上げた気がした。
「この件であるじ様に迷惑がかからなかったのは、ウグイスが素早く行動したおかげですね。えらいですよ」
「ぴ、ぴ、ぴ」
頼もしい小鳥の頭をくりくりと撫でてねぎらう。その場で嬉しそうに羽をぱたぱたさせるので、少しくすぐったい。
そんなことをしていれば、ウグイスから解放された烏がよろよろと立ち上がった。
一見したところ大きな怪我は無さそうだが、大丈夫だろうか。
すると突然、烏はウメたちの前で翼を広げて腹ばいになり。さらには、まるで甘えるようなか細い声で鳴いた。
呆気にとられたウメがその鳴き声の意味を理解する前に、ウグイスは肩から飛び立ち、勢いよく烏を蹴り飛ばしていた。
「まあ、ウグイス。降参したものに乱暴はいけませんよ」
「ぴぴ!」
「え? あれで喜んでいるはずだから、いい? …………あら、本当」
突然のウグイスの暴挙に驚いて諫めようとしたが、当の本人である烏は恍惚とした声で呻いている。
どうやら喜んでいるようだ。
「ぴぴぴ」
「はあ、世の中にはこういう扱いを喜ぶ性格があるのですか。なるほど」
「ぴぴ、ぴ」
「先ほどまでは普通の烏だったのに、急に目覚めてしまったようだ? はあ、そうなのですか」
ウメは長く生きているが、こういった存在は初めて見た。ウグイスはどこで知ったのだろう。
あまりの珍しさにウメが興味深く観察していると、やがて烏はゆっくりと起き上がり、こちらへ向けて一礼した。
「ご丁寧に、どうも」
「ぴ」
ウグイスから退出の許可をもらった烏は、名残惜しそうに飛び去って行った。
翼を広げた姿はとても立派で、本当に大きな烏だったのだと改めて分かった。
「不思議な友達ができましたねえ、ウグイス」
「ぴ?」
「あら、友達ではないのですか?」
「ぴ…………」
それからしばらくして年が明け。
雲が広がる冬空の日、烏は再び屋敷へとやって来た。
「カア」
ウグイスに折檻されたおかげなのか、烏は勝手に敷地内へは入らず、屋敷の塀の上あたりの空中で飛んだまま静止した。両足の爪で大事そうに握っているものがあるため、足を下ろすことができないようだ。
そのときウメは、ちょうど主と共に縁側でお茶をしていたところで。
そういえば主は烏とは初対面だから、紹介しておかなければと気づいた。
「あるじ様。あの大きな烏は、ウグイスの友達になったのですよ」
「そうなのか。ウグイス、お前を呼んでいるのではないか?」
「ぴぃ…………」
主に声をかけられ、ウメの袖口から小鳥が面倒そうに顔をのぞかせた。
このところ寒い日が続き、ウグイスは暖を求めてウメの衣服の中へ潜り込むようになっていた。ウグイスが袖の中にいると、ウメも暖かい。
「ぴ」
「カア」
ウグイスの許可を得た烏は庭へと降り立ち、爪で握っていたものを丁寧に置いた。
それは、一本の苗木だった。
しっかりと張った根には土がついており、しなやかな幹から枝先の葉の一枚まで、すべてが生命力にあふれた瑞々しさを保っている。
それから烏は苗木の横で畏まると、甘えた声で「ギュウ……」と鳴いた。その目はもちろんウグイスへ向けられている。
するとウグイスが面倒そうにしたままウメの袖口からようやく出てきて、烏を思いきり足蹴にした。
「………………」
それを見た主が困惑していたので、ウメは心配ないと説明する。
「あの烏は、ああしてもらうのが嬉しいそうですよ。ほら、喜んでいます」
「そう、なのか…………」
ウグイスに蹴ってもらった烏は歓喜の鳴き声を上げると、こちらへ一礼して飛び去って行った。
相変わらず、翼を広げたその姿はとても立派だった。
「ウグイスには、変わった友人がいるのだな」
「そうですね、変わっていると思います」
「ぴ! ぴぴぴぴ」
ウグイスが抗議の声を上げたが、それはさておき。
「良いものをいただきましたね、あるじ様」
「これは…………梛か?」
主の視線の先の苗木。
それは、まさに梛の木だった。
梛といえば、古くからこの国で祀られ国生みの神とも言われる尊い神たち――熊野神の象徴とされる木である。
「あの烏、三本足でしたから。やはり熊野のお使いだったようです」
「ぴ」
「そういえば、三本足だったか?」
主は、烏の突飛な行動にまず驚いてしまい、その姿はあまり気にならなかったようだが。三本足の烏といえば、熊野神の使いとして有名な存在だ。
先日、主人の使いの帰りだと言っていたのは、この辺りの土地神にでも用事があったのだろう。
「それにしても、なぜこのようなものを……?」
「ぴ!」
「ウグイスが言うには、あの烏からのお年賀だそうですよ」
ならば、この贈り物にはきっと熊野神も関わっている。あの日、烏は主人にこちらでの出来事を伝えただろう。そして熊野神は、こちらと縁を結んで構わないと判断したということだ。
ここで主が彼の神たちと縁を繋いでおくのは、悪いことではないとウメは思う。
なにしろ、いつか主には神にでもなってほしいとこっそり願っているので。
「神様からの賜りものですから、ありがたく頂戴しましょう」
「ぴ」
「……まあ、それもそうだな」
まだ訝しげにしている主へ微笑みかければ、ウグイスもウメと同じように考えたのか元気に返事があった。
そのようにふたりから言われてしまえば、そういうものなのかと主も納得してくれた。
ウメとウグイスのことを信用してくれている主の態度に、ウメの笑みはますます深まる。
こうして、主の屋敷に熊野神の守護を宿した梛の木が植えられることになった。
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