友人からの文
この国の中心は、主上のおいでになる中央である。政治、経済、何においても中央を基準に回っている。
ウメの主が飛ばされた西の地は、外敵からの防衛という点においては重要な場所であるが、その役を担うのはごく一部の官僚であり、もちろん主はその内に入らない。主を讒言により左遷したのは、とても権力を持つ貴人だったから、徹底して出世の道から外されたのだ。
すでに主自身は中央へ戻ることを望んではいないが、優秀な役人だった彼を惜しむ声は少なくない。西の地へ引きこもってしまった主へ、文を送る者もあるのだ。
先日、中央からわざわざこの西の地まで訪ねてきた、物好きな友人。その友人から文が届いた。こんな僻地へと無事に文を届けるためには、どれだけの金を積んだのだろうか。この文は、それほどに重要なものであるのだろう。
(あれは金持ちの家柄だから、どれほどの金を積もうと気にもしないのだろうが)
もちろん、主はそのような面倒なことをするつもりはなかった。そもそも生活に余裕などないのだから、したくともできない。
せっかくの友人からの文には返事を出すが、それがどうなるかは天の意思であり、届かなければそれまでだ。
そんなことを考えながら、流麗な文字を目で追っていく。
この友人は、軽薄そうに振る舞っているのに、その筆跡は美しい。数多の書を読み込んできた主をして、その素晴らしさを認めざるを得ないほどだ。
だから友人からの文を読むのは楽しい時間ではある。
が、ある一点で目が留まる。
曰く、侍女殿をしっかり愛でろ。逃げられるなよ、とあった。
「………………いらぬ世話だ」
ぐしゃりと手の中の文を握りつぶしそうになるのを、なんとか堪える。
そうして最後まで読み進めてみたが、けっきょく文の内容はそのようなことばかりに終始していた。
つまり、まったくもって重要な文ではなかった。
(まあ、あれらしい文ではあるな)
まるで中央にいたころに届けられていたような、くだらない文だが。それが友人なりの気遣いでもあるのかもしれない。
「ん?」
読み終わった文を折りたたんで仕舞おうとしたところで、同封されていたもう一通の存在に気づいた。
書き忘れたことでもあって二通目を認めたのかと、紙束を確かめてみれば。
「………………ウメ、中央のあれから文が届いているようだが」
思わず声が低くなってしまったのは、妙に気合いの入った優美な文字で、侍女殿へ、とあったからだ。なぜ、友人がウメへ文を書く必要があるのか。
「あ、お客人ですか! わあ、待っていました」
眉間にしわを寄せている主とは対照的に、ウメはぱっと表情を明るくしていそいそと近寄って来る。
「……待っていた、とは?」
「以前にお迎えした際に、お互いにあるじ様の情報交換をしようという話になったのです。私はあるじ様の近況を伝え、お客人は中央にいたころのあるじ様のことを教えてくれるそうです」
「………………」
「わあ、さすがお客人ですね。この文、開くといい香りがします」
料紙に香を焚きしめておくなど、そういった細やかな心配りを苦も無くするのがあの友人だ。そういったところが、また中央の女性たちから人気を得ていた。
「ふふっ」
「………………」
ウメが笑顔で文を読む様子をなんとなく眺めていると、あっという間に読み終わってしまったらしく、こちらを向いた。
「ウメ、その文を少し見せてもらえるか」
「はい。あるじ様が読んだと知れば、きっとお客人も喜びますね」
友人が喜ぶかどうかは別として。さっと目を通してみると、初めての文らしくまずは差し障りのないあたりからと、最近では中央で鳥を飼うのが流行っている、といったようなことが書かれていた。
ひとまず、今回は問題のある内容ではなかった。
だが、次があるようであれば、それはどうなるか分からない。過去のあることないことを書かれては、たまったものではない。
「聞くが、返事を出すつもりか?」
「ふふっ、もちろんです。あるじ様が大好きなお客人は、こちらの様子を知りたいでしょうから」
にこにこと笑うウメは、とても楽しそうだ。
あの節操なしの友人と文のやり取りをするというのは、正直なところあまり面白くはないが、無理にやめさせることではないだろう。
念のために毎回その内容を確認しておけば、間違った情報をウメに与える心配もないはずだ。
「…………そうか。では、書けたら私に持って来るといい。一緒に中央へ送っておこう」
「はい、ありがとうございます。急いで書いてしまいますね」
急いで書く必要など微塵も無いだろうにと思ったが、ウメが嬉しそうなので、まあいいかと黙っておいた。
「あら、ウグイス?」
そこへ、縁側からすいっと入って来た緑の鳥が、ウメの膝へと降り立った。
屋敷の一員となってからのウグイスは、こうしてウメや主のもとへとよく寄って来る。本当に、警戒心の強いと言われる鶯らしからぬ鳥だった。
ウメはこのウグイスとも、すっかり仲良くなっている。
「ねえ、ウグイス」
我が物顔で膝の上でくつろぐウグイスに、ウメが言う。
「あるじ様のお客人から先ほど届いた文にありましたが。世間では、鳥はこうして愛でるもののようですよ」
ゆっくりとウグイスへ向けて指を持ち上げたウメは、つんつんと、そのくちばしをつついてやった。
「ぴ」
つんつんつん。
「ぴぴ」
すると、気持ちいいのか構ってもらえるのが嬉しいのか、ウグイスは喜んだようだった。
友人は節操なしであるが、それゆえに女性との会話のために流行りものにはとても敏感だ。この話も、きっと女性たちとの逢瀬で得た情報なのだろうから、ある意味で信用できる。
「こちらはどうですか?」
次にウメが、ウグイスの頭をつんつんとしてやった。
「ぴっ、」
だが指の力が強かったのか、ウグイスの小さな体はころんと転がってしまった。
ウメの赤い袴に埋もれて、緑がばたばたともがいている。
「ぴっ、ぴっ、ぴぴっ」
「あらあら」
これは大変と、ウメがウグイスをすくい上げようとするのに、なんとなく主は手を伸ばした。
長く垂れたウメの髪を少しだけ摘まんで、つんつんと軽く引く。
「……あるじ様?」
「ん? こうやって愛でるのだろう?」
不思議そうに振り返るウメに、主は微笑んで答えた。
「お前はウグイスを愛でていればいい。私はウメを愛でることにする」
「え…………」
固まってしまったウメを面白く思いつつ、主はウメの髪を指に巻きつけ、再度つんつんと引いた。
こうして女性の髪に触れるなど非常識なことだが、ウメは人間ではないし、こちらはウメを愛でているだけだから構わないだろう。
梅の香りのする髪の感触を楽しんでいれば、動かなくなったウメに飽きてしまったのか、ウグイスが主のもとへ、ちょこちょことやって来た。
「ん? どうした、ウグイス」
「ぴ」
ウメの髪を指に巻きつけたままにウグイスを見やれば、その小さなくちばしで、上衣の裾をつんつんと、つついてきた。
「………………」
どういうことかとしばし見つめていれば、ようやく復活したウメが微笑ましげに教えてくれた。
「あら、ウグイスはあるじ様を愛でているのね?」
「ぴ」
得意げに胸を張る緑の塊に、なるほどと納得する。
「そうか。ウグイスは私を愛でているのか」
「ぴ」
人間のすることを真似したがるウグイスが、まるで小さな子供のようでもあり、自然と頬が緩む。
「では、今度はウグイスを愛でようか」
「ぴっぴっ」
「あら、じゃあ私はあるじ様を愛でますね!」
しばらく三人でつつき合い、和やかなときを過ごした。
このきっかけが友人のくだらない文だったことを思えば、すこしは感謝するべきなのかもしれない。