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4. 梅に鶯

「お客人、すぐに帰ってしまいましたね」

「あれが言うには、出発時に海が荒れたためになかなか船が出なかったようだ。急いで帰らねば間に合わないのだろう。あれも中央の役人として役目があるからな」

「そうですか。中央の生活は忙しないですね」


それを聞いて、やはり主が西へ左遷されてよかったなとウメは思った。

今も、主とふたりで梅の木のある庭を眺めながら、のんびり一服している。こんなことができるのは、この西の地だからこそだ。


陽ざしに暖かさを感じるようになってきたので、そろそろ本体にも花が咲くだろうなとウメが眺めていれば、まさに春を告げるような美声が響いた。


「鶯だな」

「そうですね。いつもの子みたいです」


この鶯はウメの木を気に入っているらしく、よくやって来る。


「本当に、逃げないな」


警戒心の強い鶯は、人間の気配があればすぐに逃げ出してしまうものだ。だが主が存在を主張するように呟いてみても、この鶯はおかまいなしに枝から枝へ飛び回って遊び、ご機嫌にさえずっている。


(……もしかすると、私の木ではなく、あるじ様のことを気に入っているのかもしれない)


見たところ、この鶯は長く生きている。まだウメほどの力は持っていないようだが、そういったものは、優れた存在を好む。

主は貴人であり、文人としての能力が高いから、気に入られても不思議ではない。


(ということは、この鶯もお客人と同じように、あるじ様が大好きな同士なのかもしれない)


ならばいつでも遊びに来て構わないよと、ウメは鶯へ頷いておいた。


「この茶は、美味いな」

「これ、お客人にいただいたお茶です。よい香りですよね」


客人は、中央からたくさんの土産を持ち込んでくれた。おかげでしばらくは食料に困らずにすむ。

ふとそこで、あることをウメは思い出した。


「あるじ様。野菜をいくらか、持ち出しました?」

「ん? いや、覚えはないが」


そうだろうなと、ウメは頷いた。

主は自分で野菜を調理するようなことはしないだろう。食べたければ、ウメに言うはずだ。

だが、先ほど食料の残りを確認したとき、客人のおかげで潤沢にあるはずの野菜が不自然に減っているような気がしたのだ。

そのことを話せば、主は少し考え込んだ。


「…………この辺りはずいぶんと田舎だから、獣でも来ているのかもしれないな」

「獣………………」


まさか、鹿だろうか。

梅の木にとって鹿は大敵だ。新芽をむしられてしまうから。そうすると梅の木は枯れることだってある。

中央の屋敷は人間がたくさんいたので鹿が入って来るようなことはなかったが、ここにはウメと主しかいない。容易に侵入できるだろう。


「あ、あるじ様……。鹿は駄目です」


顔を青くして縋りついたウメに、主は驚くことなく抱きとめて背中を撫でてくれた。

主の優しさのおかげで、少し落ち着いた。


「……ああ、鹿は木の新芽を好むのだったか。まだこの寒さであれば鹿がそれほど活発になるとは思えないが」

「…………鹿ではありませんか?」

「おそらくな。だが念のためにお前の本体の周りを柵で囲っておくか」


そうしてウメのために柵を手配してくれた主は、だがうっかり食料を盗む犯人への対処を忘れていた。


その結果、翌日にははっきりと食い散らかされた魚の干物と米が発見された。


「これはまた、見事に食われているな」

「あるじ様、感心している場合ではありませんよ。これは大問題です」

「そうだな。だが、どうやら鹿ではないようだ」


鹿は草食だから、魚には手を出さない。

食料を荒らした獣は、魚も野菜も米も、なんでも食べるようだ。


「雑食の獣か。この辺りには何がいるだろうか…………」


主と共に考え込んでいると、ケキョケキョケキョと警戒するような鳴き声が響いた。

何事かと鳴き声のする方へ向かってみれば、庭で鶯が飛び跳ねながら、ケキョケキョケキョと高く声を上げていた。あの鶯だ。

そして、鶯が飛び跳ねるすぐ下には、魚の干物をくわえた食料荒らしの犯人が困ったようにうろうろしていた。


「あらまあ」

「…………なるほど、たぬきか」


驚くウメと主の頭上で、鶯は得意げに鳴いてみせた。



食料を荒らした狸は、縛って近所の猟師のもとへ持って行った。喜んだ猟師からはたっぷりの米をもらったので、荒らされた分は取り返すことができた。


「無事に解決してよかったですね、あるじ様」

「そうだな」

「このまま食料に困るようであれば、あるじ様には梅の精になってもらおうかと考えてしまいました」


ふふっと笑うウメに、主は呆れたような視線を向けてくる。


「…………勝手なことはするなよ」

「分かりました。次のときは、あるじ様の意思を確認しますね」

「いや、私は人間をやめるつもりは無いのだが……」

「でもそうすれば、あるじ様とずっと一緒にいられますから」

「……………………」


黙ってしまった主を気に留めず、ウメは庭へ目を向ける。

あの鶯はまだウメの木に止まって、ひとり楽しく遊んでいる。


「ウグイスのお手柄でしたね」

「そうだな」


犯人を見つけた鶯に、主はウグイスという呼び名をつけた。これでもう、ウグイスはこの屋敷の一員といえる。

主が大好きな同士として、ウメはウグイスを歓迎している。


「梅に鶯……、よい取り合わせだな」


となりで、主がぽつりと呟いた。


「あるじ様、梅と鶯が好きですか?」

「そうだな。…………鶯もだが、ウメは好きだな」

「ふふっ。今年もたくさん花を咲かせますね。あるじ様がいるからこそ、きれいな花を咲かせる甲斐があるというものです」

「そうか…………」


主はおもむろにウメの頬に手を当て、目を細めた。


「私は、ウメを愛でるのが好きだ」


そのまま親指でウメの目元の辺りをゆっくりと撫でる主は、なんだかいつもと雰囲気が違う。墨の香りのする清廉な主には珍しく、視線に熱がこもっているような。


「え、あ、あの…………」


なぜだか分からないが、ウメは体の奥がむずむずして、じっとしていられないような気持ちになった。

叫びたいような、逃げ出したいような、その懐に飛び込んでしまいたいような。

人間などよりもずっと長いときを生きてきたはずのウメだが、このときはどうしていいか分からなかった。


「ウメ、」

「あるじ様………………」


じっとふたりで見つめ合い、感情が高ぶったウメは目が潤んできた。

すると主が、ふっと、声を出さずに息だけで笑った。

そうして空気が動いて、ウメが思わず、ぎゅっと目を閉じてしまったとき。


「ぴぴぴぴぴ!」


どこから見ていたのか、ウグイスが突然ふたりの間に飛び込んで来た。


「っ…………、お前、」


主に意識を向けられたウグイスは、無邪気に喜んでいる。

先ほどまでの空気は霧散してしまい、ウメは目を開けてぽかんと主を見上げた。


「ウグイス、急に飛び込んで来ては驚くだろう。……どうした、ウメ?」

「…………あ、あの。腰が抜けました……」


やんちゃなウグイスに言い聞かせていた主はウメの言葉に目を瞬くと、くくっと笑った。


「そうか。驚かして、悪かったな」

「い、いえ。いいえ」


先ほどのあれは何だったのか、よく分からない。だが、このまま流してはいけない気がした。


「あの、あるじ様」

「なんだ」

「…………末永く、愛でてくださいね。私、ずっと側でお仕えしますから」


ウメの言葉に、主は朗らかに笑った。


「そうだな、末永く愛でよう」

「はい」


興奮したウグイスが、ウメの肩に乗ってご機嫌にさえずり始めた。

澄んだ声が響く空には、春がもうすぐそこまで来ている。


これにて、「梅の精、主を追って西へ行く語」は完結です。

お付き合いいただき、ありがとうございました(^^)

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