6.王都への予兆
エリザベス九歳の年ももうすぐ半ばとなるころ。
エリザベスの前に金貨が積まれていた。
「これは?」
「エリー商会のエリザベス様の取り分でございます。こちらはアリア様の」
積み上げたのはエリー商会を任せているショーン・ニンという人物だ。
ピンと伸ばした口ひげが特徴的な男性で、年齢は若くも見えるしいい年にも見える。
エードッコ侯爵家の御用商会から有望な若手を独立させたはずので若いはずだ。商人基準の若手が何歳くらいなのかエリザベスは知らないが。
現在エリー商会は砂糖の生産販売と食料輸入、公衆浴場の運営、甘いもの研究所の支援と排泄物処理の委託業務など、すでに幅広く活動している。
出来たばかりの商会としては異例の優遇なのは侯爵家の事実上の代理であることと、うんこ処理を押し付けられていることによる。
だが排泄物処理の予算は侯爵家から出るので少なくとも利益にできる。
砂糖の販路拡大には侯爵も協力しているし、公衆浴場も軌道に乗りはじめ、侯爵への上納や借金の返済があることを込みでみても、ついに出資者に利益を還元できるようになったのである。
もちろんまだまだ出資額には程遠いとはいえ、わずかな期間で収支を黒字にできたのだ。侯爵の支援があったとはいえ十分偉業である。
「よくがんばっているのね。えらいわ。でもこれは持って帰りなさい」
「エリー様?」
エリザベスの思いもよらぬ言葉に、金貨だわ実家に送ったら驚くかしらうふふでもお小遣いをもっともらっているからどうかしらふふふ、などと考えていたアリアが思わず声を上げる。
ショーンも顔には出さなかったが、内心訝しく思いエリザベスを見つめた。
「わたくしはたくさんお小遣いをもらっているからお金はあるの」
「今年はまだ無茶なお金の使い方をしていませんからね。おやつにもこまっていませんわね」
去年までは無茶なお金の使い方をしてたよねーおやつも抜きだったよねーとアリアが指摘するがエリザベスは聞き流した。
「だからそのお金は商会で使いなさい。またなにかやってもらうことになるかもしれないしね」
「そうおっしゃるのであれば。追加で投資いただいたものとして計上しておきます。今後も同じく処理させていただきますので、入用になった時はいつでもお声がけいただければお持ちします。という形でいかがでしょう?」
「よしなに」
「あー、わたくしも同じように」
「かしこまりました」
アリアはすこし、いやだいぶ迷った。
半分を実家に送って、残りはちょっとおやつを増やして一緒に食べよう、それにまたエリザベスがお金を使い切ったらこまるかもしれないし残しておこうと。
だが、エリザベスがああ言っているのに、自分だけ受け取るというのもどうなのだろうか。
自分が受け取るならエリザベスにも受け取るように説得するべきではないか。
しかしエリザベスは簡単には意見を変えないだろう。
となると答えは決まってしまった。
今年はエリー商会のおかげでまだエリザベスは無茶なお金の使い方をしていないし、大丈夫かもしれない。
淡い期待を抱いてエリザベスに倣ったのだった。
「ところで一つ尋ねたいのだけど」
「なんなりと」
「王都ってくさいかしら?」
「はい?」
エリー商会の王都進出が決定した。
十歳で王都のお披露目パーティに出席する。
十二歳で王都の学園に入学し、見聞を広める。
これがミャーコ王国貴族が成人するまでの定番の流れだ。
横のつながりを得ると同時に王国貴族の自覚を持たせ、人質としても機能し、婚活にもなる。
また領地貴族が地元で閉じこもって団結し反乱することを抑止する。
共に生活する者は連帯感を持つため貴族同士のいざこざが致命的なところまで行きつかずにすむ可能性があがる。王族に対する親近感も芽生えそれが忠誠へ育つ。
などの期待をされている政策で、もう長いこと続いている。
つまりどういうことかというと。
王都に行ったらくさいのは嫌だな。
ということである。
せっかく地元がくさくなくなったのに、王都で生活しなければならない。そして王都がくさいとなると。
エードッコ領を離れたくないという気持ちが湧き上がってくるのは仕方がないことだろう。
だがそれでももしかしたら王都はくさくないかもしれないというかすかな希望をもっていた。
それをふと思い出したので尋ねてみたのだ。
それでどうしろとは、今の段階では考えていなかった。ちょっと聞いてみただけだ。
尋ねられた側はこう受け取った。
王都をきれいにせよ。
普通ならそんな受け取り方はしない。そんな無茶はさすがに上段くらいでしか言わないからだ。
しかし相手はエリザベス。
くさいからという理由でエードッコの街からうんこを排除し、公衆浴場を作らせ、家畜のえさから砂糖という富を作り出した令嬢だ。
普通ではない。
だからこれぐらいの無茶を言い出してもおかしくない。
そんな斜め上の信頼があった。
エリー商会を任せられているエリザベス係ショーンとしては手を尽くす以外の選択肢はなかったのだ。
ショーンは早速動き始めた。
エードッコ侯爵まで動かして王都へ殴り込んだ。
その活躍は割愛するが、残念ながら十歳のお披露目パーティの時点では成果を出せなかった。
「アリアを伯爵領へ帰すって本当ですかお父様!?」
「そうだよ」
ショーンの話はさておき。
エリザベスにとってもっと重要な話が伝えられ、エリザベスはいてもたってもいられなくなってまた父侯爵の執務室へと乗り込んだ。
「どうして!?」
「お披露目パーティの準備があるからだね。ドレスも合わせなくちゃいけないし、アリアもたまには実家で過ごしたいだろう」
「やはりここでしたか。エリー様、廊下は走ってはいけませんと……はい?」
エリザベスはアリアから伯爵領へ帰るように言われたと告げられ、エリザベス付きを首になるのかと思って飛び出した。
だがそういうわけではなかったらしい。と胸をなでおろしかけ。
いやまって、まだそうとは決まったわけではない。
そのまま家に戻ってしまうこともあるかもしれない。。
確認しないと。
エリザベスも成長していた。
「ではアリアはいなくならないのですね?」
「どうかなあ。エリザベスはアリアがいなくなるのは嫌かい?」
「あたぼうよ!」
「口調」
「もちろんですわ!」
すでに人生の半分近く、何なら家族よりも一緒にいる相手である。
エリザベスは力強く肯定する。
アリアはいつも通りに口調を指摘したが、胸の奥が熱くなっていた。なぜそうなったのかは自覚していない。
「アリアはどうだい?」
「エリー様……エリザベス様はわたくしがついていないとだめですから」
いつもと違う感情を抱いたアリアは、いつもならやらない失敗をした。
「は? アリアがいないのは寂しいけれど、アリアがいなくても別に問題はないのですけれど? アリア、ちょっとじーしきかじょーなんじゃないの?」
エリザベスに着火したのである。
最近はエリザベスがやらかしそうになった瞬間にアリアがエリザベスの腕を引くことで暴発を防ぐ外付けエリザベス暴発抑止システムアリアが機能するようになってきていた。エリザベスがカチンときそうな言葉や状況を、アリアは把握しつつある。
だが今回はアリアが当事者であり、また平常心ではなかったことで、エリザベスを止める者がいなかった。
そしてアリアもまたエリザベスのいいようにカチンとくる。
「本当ですか? 朝いつもわたくしが起こしているのに?」
「一人で起きれらぁ!」
「着替えもお風呂も手伝っているのに?
「あたぼうよ!」
「髪を結うのも梳くのもわたくしがやっているのに?」
「できらぁ!」
「口調」
「できますわ!」
「ふうん? へーえ?」
二人は顔を突き合わせてにらみ合う。
「それなら、わたくしが実家に帰るまで一人でやってみてくださいよ」
「望むところ!」
エードッコ侯爵は、娘と娘同然の令嬢の口喧嘩を見て仲良しだなあとほっこりしていた。
しかしこのちょっとした喧嘩は少しばかり尾を引くことになることには気づいていなかった。