4.ワンちゃん
エードッコ侯爵は娘に甘い。ダダあまだ。
新参のワンでもわかる。
「さてどうするかナ」
侯爵の城、その庭の一角が、数人の農夫によって耕されている。
目に前に広がる景色と、横でふんぞり返っている侯爵令嬢を見て、ワンはため息をつく。
ワンは東の果ての大国出身の若者である。
ワンの家は代々受け継いできた農神書を研究する一族で、それぞれが一種類の作物を研究するしきたりに従っていた。
ワンも一つの作物をあてがわれたのだが、これがなかなかうまくいかない。
これは気候が合わぬか土が合わぬかと見当をつけたワンは、ならば合う場所を探すべしと故郷を飛び出した。
縁のあった商人に頼み込み、条件の合いそうな場所を求めて旅立ったのだ。
そして商人の手伝いをしながら隊商を乗り継ぎ乗り継ぎ乗り継いで、はるばる大陸横断交易路を越えて、ミャーコ王国はエードッコ侯爵領に辿り着いたわけだ。
奴隷として売り払われなかったのは幸いだったと後に思ったものだが、結局奴隷同然に異郷に置いて行かれてしまった。
公爵令嬢エリザベスが種を欲したからだ。
作物の種を取り上げられては自分の目的が果たせない。ワンにとっては絶対に譲れないことだ。
しかしそんなことは高位貴族の令嬢エリザベスには関係がなかった。
お偉いさんの意向の前に、隊商のボスが提案したのだ。
それならこいつも一緒に引き取ってやってくれませんかと。
ボスはワンの目的を知っていた。この作物を研究できる環境を求めてることを。
交易経路のお偉いさんの機嫌を取るためにワンごと種を差し出したのだ。
両者得するいい提案だと満足げだった。
ワンの意見は介在していない。
おいおいちょっとまてよふざけんなと言いたいところだったが、ボスに見放されて異郷の地となるとさすがに手も足も出ない。食い下がるわけにもいかず、うなずくしかなかった。
そしてその結果お城の庭の隅に畑と人手を与えられたのだ。
ワンはちょっと展開が理解できなかった。
都合が良すぎる。
「いい? わたくしは甘いものをたくさん食べたいの」
「はア」
「でもみんなでわけたらわたくしの分は少しになるでしょう?」
「そうですネ」
「だから分けてもたくさん食べられるほどたくさんの甘いものを作ってちょうだい!」
「えェ……」
なんとも無茶な要求だ。
ワンの目的がこの作物から砂糖をつくることであることを知らなければ。
砂糖を生成する技術が確立すれば、この作物を植えられるところであればその夢はかなうかもしれない。
寒冷地はそもそも食料の栽培に難がある。だから農地を転換するのは難しいだろうという問題はあるが、侯爵という立場ならそのあたりどうにかできるのだろうか。
「お父様にお願いして場所と人を貸してもらったわ。お金もわたくしのお小遣いを預けますから、いくらでも使っていいわ」
「あ、アリガトゴザイマスネ」
「いいってことよ!」
「口調」
「よろしくてよ!」
侯爵は娘に甘い。
エリザベスはやりたい放題だった。
しかし思いのほかワンにとっても都合のいい展開だ。都合が良すぎて戸惑って、疑って、頬をつねってしまうほどだ。
ともあれ、こうなったからにはやるしかない。他に行き場はないし逃げ出しても研究はできまい。
ワンは腹をくくった。
その矢先。
「これはニガダイコンだね」
「だなぁ、馬のエサに植えてるやつだ」
なんと、ワンの作物はすでにこの地で栽培されていたのだった。現地の農夫が言うからには間違いない。種と現物も見せてもらったからなお間違いない。
えぇ……。
ワンは崩れ落ちた。
翌日、甘いもの研究所が城の庭の畑の隣に建てられた。
「えぐみがあって苦くてまずいって」
「ちがうヨ。そのまま食べるんじゃないのヨ」
「いいわけこわけたぁふてぇやろうだ」
「口調」
「苦くてまずいものから甘い蜜が取れるとでもいうのですか?」
「正しく処理する必要があるネ。それを研究するためにきたんだヨ」
「ならやってみろやワンちゃんよ」
「おウおウやってやるヨ」
「両者口調」
エリザベスにいつも張り付いているアリアの口癖は口調らしい。
ワンはちびっちゃい侯爵令嬢にすごまれてつられてしまった。
まずいと思ったが、エリザベスは気にした様子もなく、ふふんとふんぞり返ったままワンを見ている。
できるもんならやってみろ?
やってやろうじゃねぇの。
ということがあり。
一年後、糖蜜を安定して取り出すことに成功し、さらに一年後、それを精製して白い砂糖を作る手法を確立したのだった。農神書が大いに役立ったのは言うまでもないが、同時にエリザベスによる丸投げ式応援が功を奏したのもまた事実である。。
「どうヨ」
「甘い!」
「甘いです」
「これはこれは。まさかですな」
無駄に終わると見られていた甘いもの研究所が成果を出したので、侯爵家一同は大変驚き、そして喜んだ。
信じていたのはエリザベスくらいのもので、それもお小遣いとお父様へのお願い権をすべてつぎ込んだので異国の農神さまを信じて祈るしかなかっただけだ。
ニガダイコンが砂糖に生まれ変わると誰が思うだろうか。
侯爵家予算の十分の一ほどを費やしたが、かわいい末娘エリザベスへの教育の一環として捨てたつもりだった。研究が実を結んだのはいい意味での誤算だったのだ。
「ワン、君は素晴らしい成果を出した。正式にわが家へ仕えたまえ。そして娘の言う通り、この砂糖を広めるのに力を貸してもらえぬか」
「え、エ?」
侯爵が早速取り込みにかかる。
しかし。
「ダメよお父様、ワンちゃんはわたくしの家臣よ。お金を出したのも指示を出したのもわたくしなのよ」
「うーん、そっかー。だけどエリザベス、エリザベスだけでは砂糖を広められないだろう?」
拒むエリザベスを父侯爵がなだめようとする。
しかしそれがエリザベスのカンに障った。
「てやんでぇ、やってやらぁ!」
「エリー様、口調」
「はい。ごめんなさいお父様」
エリザベスが興奮してしまったので侯爵は眉が八の字になる。エードッコ侯爵家ではまれによくある光景だ。
エリザベスは突然暴発するので、十歳、いや、学園に入る十二歳までにはこの癖をどうにかしないとなあと侯爵はのんびり考えている。
さておき、侯爵は自分の失敗を自覚していた。
エリザベスにできないだろうと問いかけるのは禁句だったのだ。暴発のきっかけの中でも多い例であるのにうっかりしていた。
しかし、子どもに任せられるような規模の問題ではない。
輸入するしかなかった、縁遠かった砂糖を生産できるようになる、となれば広範囲に波及するだろう。
まとめるのにエリザベスでは貫目が足りないし、能力もない。教えていないことをできるはずがない。妙な喋りは教えていないのに出てくるが。なんでだ。
侯爵は少し考えてこう言った。
「わかったよ。でもパパにも手伝わせてもらえるかな?」
「それならいいですわ!」
最終的にエリザベスを立てつつ必要なところを侯爵の手で押さえる方向で合意。
こうして「エードッコ侯爵印のエリーちゃんが大好きあまぁいお砂糖」が販売されることになった。
バカ売れした。